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自分たちの世代背景を次世代に押し付けたくないと思う理由

「これだから最近の若いもんは…」
「俺たちの若い頃はなぁ…」
「あんまり調子に乗んなよ」

これまで何度言われたことだろうか。

そのたびに「価値観を押しつけてくるなよ」と思ったのを思い出します。

でも、不思議だなと思うこともありました。
それは僕らに対してそう価値観を押しつけてきた上司世代もまた、さらに上の世代から「新人類」と呼ばれ、「これだから最近の若いもんは」と言われてきたはずなので。なぜ自分たちが言われていたのに僕らに同じことを言うのか。

そして今の現役世代もまた、その言葉を次の世代に投げかけてはいないでしょうか。

今回はなぜこの不毛なループが繰り返されるのかについてまとめてみました。

世代が移り変わっても構図はそのまま

僕らの上司世代は「新人類」と呼ばれ、そのまた上の「団塊の世代」から「忍耐力がない」「甘えている」と言われていたそうです。
団塊の世代は戦後日本の高度経済成長を直に体験し、幼少期は戦後でモノがない時代に育ち、学生時代は政治的な活動にも熱心だった世代。
そこからすると「新人類」世代の頃には政治的活動は下火となり、小さな頃からある程度中流な家庭に生まれ育った人も多く、恵まれていたことから、忍耐がない、となったのでしょう。

その新人類世代は別名「バブル世代」とも呼ばれています。
日本の景気が最高潮に達した時に社会人になり、栄養ドリンクのCMで「24時間戦えますか?」と高らかに歌う曲がヒットするなど、長時間労働に接待・接待・また接待と夜も大忙し、出世を目指し、モノとお金が飛び交う時代を生きてきました。どれだけ一生懸命働いて出世し、お金を稼ぎ、車を買い、恋愛にもパワーを注ぐか、そういった志向が当たり前とされていた時代ですね。

そして僕ら現在30代後半〜40代前半くらいの世代は「就職氷河期世代」と何とも悲しい名前で呼ばれることが多い世代です。
バブル経済が弾けて一気に不景気の局面に入り、企業が求人数を絞った時に就職活動だった僕らは最初から正社員になれなかった人も多く、接待接待どころか経費削減・経費削減と言われ続け、先行きに対して危機意識が強くなりがち。
バブル世代では当たり前だった長時間労働という感覚を強いられつつ、長時間労働をしても見返りが大きくないことから疑問を抱き始めた世代とも言えるかもしれません。
バブル世代の上司たちからは「仕事は死んでも離すな」「何時まで残ってでも終わるまでやれ」と言われ、口ごたえをすれば「これだから最近の若いやつは」とそこからお説教。そんな感じでした。

パワハラ系研修が賛美された時代

実際僕自身も新卒1社目で入った企業の入社研修は壮絶なものでした。
●入社式後、研修施設に移動しそこから約一週間の入社研修
●施設に入った段階で全メディアを没収される(ipod・携帯など)
●研修期間中に何かしらのメディア(TVや新聞も)に触れた人は罰あり
●毎日朝5時に起きて体育館で発声練習と行進・社訓の暗唱、日中はずっと研修、晩ごはん後も夜は23時頃までレポート書き
●最終日は一人ずつ決意表明をする
外部の研修講師による徹底的なしごきはまさに、軍隊。

今だったら確実にワイドショーが放っておかないようなこんな外部講師によるパワハラだらけの研修が全国いろんな企業でなぜ行われていたのか。
それは、この研修を乗り切ることで、のちに現場に配属された以降に起こる苦難や理不尽に対して「あの研修に比べればマシ」と思わせる効果があるからだったんだろうなと。
この研修に限らず、僕らの世代が社会人になった時はまだまだ長時間労働にサービス残業、サービス出勤も当たり前、上司からの理不尽な叱責や要求も当たり前という感じでした。

じゃあ、次の世代にもそれを強いていくのか。
もちろん、絶対にNOです。
ただ、それは社会的にコンプライアンス意識が高まっているから、ということだけで片付けてはいけないと思うんですよね。

実際、今の若い世代に対して「理解できない」「根性がない」「ゆるすぎる」と感じる瞬間がある人もいるかもしれません。その時に芽生える「とある感情」こそがこの負のループの要因なのではないか、僕はそう考えました。

自分たちは〇〇だったのに、という押しつけ

団塊の世代からバブル世代、バブル世代から就職氷河期世代へと続いてきた負のループは「自分たちは苦労してきたのに」という気持ちの押しつけによって起こっているんじゃないかと感じます。

戦後の焼け野原でモノがない時代から復興を実現した世代からすれば、着る物や食べ物に困ることなく学校へも行き社会に出られることが当たり前じゃなかったが故の苦言。
高度経済成長からバブル経済までの景気を24時間働き続けて経済を回しつくった世代からすれば、長時間労働に難色を示しつつも会社に待遇改善を求めたりしがみつこうとする(ように見える)僕らの世代へは「甘くないんだよ」という感情があるのかもしれません。

でも、それは間違っていると思います。

責めるのではなく、喜ぶべきことだと思う

戦後から約75年、焼け野原だった日本は着実に豊かになりました。
かつ安全で、さまざまなカルチャーが育まれ、技術も進化し、暮らしやすくもなっています。それは過去の諸先輩方が歯を食いしばって育ててくださったから。

実際、世代が進むごとに日本はどんどん良くなっているんだと思います。
良くなってきている時代に、それ以前の時代の価値観を当てはめること自体に無理があるし不毛なんじゃないかなと感じます。

昔は長時間労働をしなければ経済発展がなされなかったのかもしれません。
それは伝票が複写式、通信はPHS、会社間のやりとりは郵送とFAXが基本、パソコンはダイヤルアップ、商談は会いにいくのが前提、その環境においては、です。

今はみんながスマホを持ち、あらゆるデータがインターネットで繋がって瞬時に送ることができ、通信はまもなく5Gになり、メールは当たり前でワークスペース上で離れていても仕事もできる、わざわざ出張しなくてもオンラインで商談もできる。この環境において、わざわざ長時間労働をする理由はないと思います。

それを「自分たちはこんな苦労をしてきたから」と同じスタイルを強要するのは理不尽なんじゃないかなって、僕は思う。

僕らの時代と同じ経験をする必要はない

パワハラまがいの研修に耐える経験。
確かに僕自身はあの研修があったから大抵の理不尽は乗り越えられました。
ただ、そんな体験は次世代には必要ありません。

そもそも理不尽なことが起こること自体が間違っているのだから。

ストレス耐性、という言葉がありますが、それにも違和感があります。
ストレスに耐えることを求めるのではなく、成果を上げることへの責任感や自分の意志を他人に伝える経験と自信を育んで上げる方がよっぽど本質的だと感じています。

だから少なからず僕らの世代はこれから未来を創っていく若者世代を支援し、育んでいけたらいいなと、そう思っています。

僕の周りにいてくれる同世代の仲間たちは多分、同じ価値観だと思います。

負のループはもうおしまい。
世代を超えて力を合わせていきたいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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