潔癖症
最近、潔癖症気味かもしれない。
時代がそうさせているのだろう。
昔、ゲーセン育ちだった私も、今ではビデオ筐体のレバーやボタンに、何人、何十人、何百人が触れたかと思うと、少し躊躇してしまう。
もちろん、掃除はされていると信じたいが、それでもプレイ前にウェットティッシュで一拭きしたい。
実際、物理的に汚いことは少ないだろうが、ゲーム中に前の人の手汗や油分を感じたら、それが頭をよぎり、パフォーマンスは確実に落ちる。
100円を入れて、そんな集中できない環境で遊ぶのは避けたい。
ゲーセンも企業努力をしているだろうけれど、やっぱり自分でウェットティッシュを持ち歩くべきかもしれない。
こんなことを言って、ゲーセンに対して否定的に聞こえるかもしれないが、ゲームセンターは私の心の故郷の一つだ。
だから、見つけたら極力寄るし、これからも続いてほしいと思っている。
問題は、潔癖症になってきた自分にあるのだ。
飲食店でも、店内が清潔でなければ、どれだけ料理が美味しくても心の中で減点してしまう。
お皿やフォークの洗い残しがないか、無意識にチェックしてしまうのも最近の癖だ。
共有のコップに口をつけるのが嫌で、今ではストローを持参するようになった。
いつかマイ箸も持ち歩く日が来るかもしれない。
めんどくさい人間になってきた自覚はあるので、親しい人の前でしかこうしたことは表に出さないようにしている。
これ、マジで褒めてほしい。
心の中で「ぎえーーーーーッ!」と叫びたい時も実はある。
高所恐怖症の人が、皆に黙ってバンジージャンプをするような感覚に近い。
めんどくさい話かもしれないが、理由がある。
この記事を書いている今、私は電車の椅子に座っている。
隣には40代くらいの女性が居眠りをしていて、その頭が私の肩に寄りかかっているのだ。
知らないおばさんの頭皮と髪が、私のジャケットにベッタリついている。
疲れているのか寝不足なのかはわからないが、やっぱりシンプルに嫌だ。
定食に髪の毛が入っていたら萎えるのと同じように、知らない人の髪が私に触れていると、心の中でげんなりしてしまう。
知り合いならまだしも、見知らぬおばさんの髪が、肩に当たるなんてたまったものじゃない。
「げんなり」を数字化した場合、ガリガリ君を食べた後の棒が肩についているのとほぼかわらない数字だ。
「おばさん」だからダメというわけではなく、若い女性でも子供でも同じだ。
私が肩を預けても大丈夫なのは、彼女、チワワ、ポメラニアン、アライグマだけだ。
今、私の頭の中では、オール巨人師匠が「弟子やったらパンパンやな、お前」と何度も言っている。
舌打ちをこらえながら、肩に力を入れておばさんの頭を押し返しているが、すぐにまた肩に寄りかかってくる。
今、こうして文章を書いていることで、冷静を保っている。
noteがあってよかったよ、おばさん。パンパンよ?ほんと、弟子やったらパンパンやな!もうパンパン!パンパンパンパン!!
おばさんは電車が登戸駅についたと同時に目覚め、シャキッとした様子で降りていった。本当にさっきまで寝ていたのか怪しいくらいだ。
控えめに言って、パンパンよ。おばさんの居なくなった席にワンパンチしておく。
ンモ〜。
完