【雑感】さようなら、「読書」
文章を書くことを、「ペンを執る」などと言う。いまだに言う。みんなスマホやパソコンで書いているのに。
それでいうと、いまだに「書く」って言う。フリック入力してるのに。キーボードたたいてるのに。
このモヤモヤはいつまで続くのだろう。もっと早い段階ではっきりさせておくべきではなかったか。
今、同じような問題が起こりつつある。
オーディオブックだ。
「読書」。読んでないのに「読書」。モヤモヤする。
「聴書」と言う人もいる。しかし朗読の音声ファイルは「書」と言えるだろうか。モヤモヤする。
「聴読」と言う人もいる。「聴くことによって読んでいる」という意味だろうか。何を?目的語もない。モヤモヤする。
「聴音」はどうだろうか。音楽鑑賞か診療行為みたいだ。モヤモヤすらしない。
「聴声」はどうだろうか。風流ではある。朗読会のようでもある。近いが、読書の代替行為とは違う感じがする。モヤモヤする。
「聴朗」はどうだろうか。うむ、なかなか悪くない。白くて長いあごひげが生えていそうではあるが、厳かな感じもするし、晴れやかな感じもする。
これで決まりじゃな。
命名「聴朗」(注1)。
いやいや、お代はけっこう。自由に使ってもらってかまわぬよ。ふぉーっふぉっふぉっふぉっ。
注1. 念のため使用例がないか調べてみたら、「聴七朗」という助聴器がヒットした。