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君と同じ世界線に産まれた自分は誰なのか(Omoinotake / アイオライト)

君と同じ世界線に
産まれたこと出逢えたこと
きっとね僕の一生分の運を
全部使ったけれど
それでいいんだよ

Omoinotake / アイオライト(2024)

「同じ世界線に産まれた」というフレーズを聴いて、はっとした。

もともとは相対性理論の用語らしいけど、最近はパラレルワールドの一つを指すらしい。

この広い世界で、何十億もの人が暮らすこの地球で君と出会えた奇跡、ではなくて、さらに無数のパラレルワールドが存在する世界で、たまたま君がいるこの世界線に生まれたことを幸運だ、と言っているわけだ。確かにすごい確率だ。

昨今、運命の人と出会うことは、こんなにも大変なことになっているのか。

そういえば、しばらく前に「親ガチャ」という言葉を聞いてヒヤッとしたのを思い出した。

なぜ「ヒヤッとした」のかというと、そこには、この親とこの家庭でなかったら、もっとスペックの高い自分だったのに、という含意があるからだ。

この親でなかったら、そもそも自分が存在していなかったかもしれない可能性をまったく考慮に入れていない、ように聞こえる。

自分という存在(たぶん「人間」を前提としている)が、親とか君とか世界とは独立して、確固として存在していて、これまでも存在していたし、これからも存在し続けると、多くの人が信じているらしい。

その永遠不変の「自分」なるものが、要所要所でガチャを回して、いろんな条件のもとに生まれたり生まれなかったり、いろんな才能を持っていたり持っていなかったり、運命の人と出会ったり出会えなかったりしている、ということらしい。

その「自分」って、誰なんだろう。



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