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作り手が本当に作りたいものを受け手がエクスキューズにし、作り手のエクスキューズを受け手がハートで受け止めるという倒錯(レキシ『墾田永年私財法』)
今ごろになってレキシにはまっている。
その存在をはっきり認識したのは今年の夏ごろだが、これまでまったく接触がなかったわけではないと思う(中村一義は好きだった)ので、耳にすることはあっても、コミックソングだと思ってスルーしていたのだろう。
年をとって、歴史に興味を持つようになったこともあると思う。
じっくり聴いてみると、名曲揃いだ。詩も曲もいい。クスッと笑えて、ジーンとくる。
思うにこれは、歴史縛りの名のもとに、てらいもなくセンチメンタルな詞とベタなポップスの両方のエッセンスを融合させている、つまり美味しいどころ取りだからではないか。しかも斜に構えている。
たとえば時代小説に人情ものというサブジャンルがある。私はほとんど読んだことがないが、これは現代劇でストレートに表現しずらくなってしまった人情話を、時代小説をカモフラージュにして成立させているといえる。SFや転生ものにも同様のサブジャンルがあるだろう。構造は似ている。
重要なのは、おそらくレキシは、ラブソングや応援歌で人を感動させたいわけではない(なかった)、という点だ。歴史にまつわるタームを音楽に乗せて歌いたい、というのが初期衝動なのではないか。そのために古今東西の無数のポップスを参照して、そのメロディとアレンジと歌詞を、装飾に利用しているのだ。
たとえば『墾田永年私財法』という曲がある。
この曲は、この法令名自体がサビのフレーズになっている。「失うものがあると人は強くなれる」というメッセージを伝えながらも、実は「墾田永年私財法」というフレーズをソウルフルにかっこよく歌いたいのだ。歌詞とAメロBメロはそのための前フリ、エクスキューズでしかない。
しかしこの曲は聴く人の胸を打つ。ポール・マッカートニーあたりが作りそうな感動的なバラードであることもあるが、その歌詞にはベタだが抗いがたい、エッセンスとしての真実のメッセージがあるからだ。しかも安心して感動できる。これは真面目で道徳的な曲ではなく、「墾田永年私財法」についてのフザケた曲だ、というエクスキューズがあるからだ(注1)。
作り手が本当に作りたいものを受け手がエクスキューズとし、作り手のエクスキューズを受け手がハートで受け止めているのだ。
同様に「明治」と「maybe」、「土器」と「好き」、「草履」と「story, sorry」は韻を踏んでいるから歌うと気持ちいいし、歌詞のテーマである時代の流れやノスタルジー、愛する人との別れは、誰もが共感を覚える。
これが、おそらく企まざるして獲得したレキシならではの強みなのだろう。
【後記】
ところで、レキシのMVのコメント欄を見ると、海外からのコメントもちらほらある。歌詞の意味はわからないが、感動したというのである。
私も洋楽をよく聞くが、9割以上の曲は歌詞を知らない。歌詞を読まずに聞き取れることはまれだ(注2)。しかし感動はする。音楽に人の言葉が乗るだけで、あるいは人の言葉に節がつくだけで、意味は伝わらなくとも人を感動させることができるというのは、なんだか不思議だ。本能なのか、刷り込みなのか。チンパンジーや宇宙人を感動させる音色や旋律もあるのだろうか。
注1. 『愛は勝つ』(1990)や『それが大事』(1991)のような曲をいま流行らせるのは難しいと思うが、逆にいまだからこそ可能なのかもしれない。誰かしてみて。
注2. メロディック・デスメタルやメタルコアばかり聴いているからかもしれない。