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難病になったとき、私の世界が揺らいだ

はじめに


2012年、病院で「SLE(全身性エリテマトーデス)」という耳慣れない言葉を聞いた瞬間、私の世界は大きく揺らぎました。初めての入院、そしてSLEという難病になってしまった私は不安と恐れに押しつぶされそうになったのです。

今では、SLEを「悪友」と表現し、共に生きていく存在だと捉えています。しかし、当時はまだ中学生。そんな風に前向きに考える余裕などありませんでした。突然の出来事に戸惑い、悩み、そして深く苦しんでいたのです。

今回は、発症当時の心境と、その後どのように前向きに生きる道を見つけたのかを振り返ります。


ネガティブな感情に支配されて


発症当時の私は、絶望の中にいました。「なぜ自分がこんな病気になってしまったのか」「どうしてこんな人生になってしまったのか」、頭の中にはそんな思いばかりが巡り、夜中に一人で泣き続けることもありました。

何より辛かったのは、これまで当たり前だった日常が突然できなくなったことです。友達と遊ぶ楽しさ、美味しい食事の喜び、何気ない笑い声、すべてが遠ざかり、自由を奪われたような感覚。それは、閉ざされた部屋に取り残されたような孤独感でした。

忘れられない主治医の言葉


そんな中、ある日の出来事が今でも心に深く残っています。

ある日、入院生活に耐えきれず、「こんな病気になった自分なんて、この世界から消えてしまいたい」と泣き叫んでしまいました。狭い病室で主治医の先生は私を見つめながら静かにこう言ったのです。
 
「サーシー君と同じ年齢の子供でも、頑張って乗り切ろうとしているよ。もっと頑張ろうよ」
 
励ましのつもりで言ったのだと思います。しかし、精神的に不安定だった私はこの言葉を受け入れることができず、「自分が否定された」と感じてしまいました。「私が頑張っていないということか」「私の努力が足りないということか」、そんな思いが膨らみ、ますます自分を追い詰めていったのです。
 
この経験を通じて、私は2つの大切なことを学びました。それは「他人と自分を比べるのをやめる」ということです。人は人、自分は自分。他人のペースではなく、自分のペースで生きていけばいい。
また、この考えに至ってから、「頑張ろう」という言葉を慎重に使うようになりました。時にその言葉が自分や他人を追い詰めてしまう可能性があると感じたからです。

ゲームの存在


精神状態が不安定な入院中、私の支えになったのはゲームの存在でした。自由が制限される中でも、ゲームの世界で新しい冒険や達成感を味わうことで、ほんの少しだけ未来に希望を持つことができたのです。

周りに何かを言われることもなく、没頭できるゲームはこの時期の私にとっては一番の薬となったのです。この経験は、後にゲーム制作という夢を追いかける原動力にもなりました。

入院の反動


入院中はやりたいことがあっても、それに挑戦できない状況が続きました。その反動で退院後の私は、これまで以上に新しいことに挑戦するようになったのです。 

専門学校では、生徒会活動に参加し、副会長や会長を務め、入学式では在校生代表として1000人以上の前でスピーチをするという大役を果たしました。この瞬間、私は「あの病室で泣いていた自分が、こんな場所に立つなんて」と胸が熱くなりました。あの時の風景、感情は一生忘れることはないでしょう。 

ゲーム制作という夢にも真剣に取り組み、卒業後にはゲームクリエイターとして就職しました。その後、SLEの悪化や透析、腎移植といった困難はありましたが、「自分のペースで挑戦し続ける」という信念を胸に今も歩み続けています。

まとめ


SLEを発症したとき、私は絶望の中で他人と自分を比べ、自由を奪われたような感覚に苦しんでいました。しかし、「人は人、私は私」という考えにたどり着き、自分らしく生きる道を見つけることができました。

今では、SLEを「悪友」として受け入れ、共に生きていく覚悟を持っています。この経験は、生きる意味や価値観を再定義する重要な転機となりました。

最後に


もし、この記事を読んでいる方の中に、同じような苦しみを抱えている方がいるのなら、どうか無理をせず、自分のペースで一歩ずつ、休憩をはさみながら前に進み続けてください。

あなたには、あなたにしか描けない人生の道があるはずです。 

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サーシー@SLE×腎移植
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