見出し画像

12.枕草子かさね色目 源氏物語乙女の庭

 道具や衣装などセットの時代考証が精密な大河ドラマ「光る君へ」が流行っていますね。平安時代は、唐の影響が薄れ、国風文化が花開いた時代です。和歌は、素朴な風景を写実的に描く中に作者の心情を読み込む万葉集から、優美で繊細な観念を歌いこむ歌風に、変わっていきます。仮名文字で枕草子の随筆や、源氏物語などの王朝物語が記されるようになりました。これらの文学作品を絵巻物にし、ふすまに大和絵が描かれます。蒔絵という工芸や、十二単じゅうにひとえなどの布の端を重ねる「かさね色目」などを含め、豊かな王朝色が生み出されます。寝殿造りの建物と庭は、これらの文芸の舞台として洗練されていきます。そこで、平安時代の文学作品から、庭や衣装に見られるツツジに託された想いと色を紹介します。

 松田修は、古事記77種、日本書紀85種、万葉集182種、古今和歌集76種、枕草子117種、源氏物語116種の植物名の記載を、報告しています。万葉集は、生産・生活の中で使う植物の首数も多いのがわかります。残念ながら、万葉集に9種詠まれたツツジは、古今和歌集では1首、枕草子では2か所の有職ゆうそく装束の色、源氏物語の1か所の庭の表現に限られています。しかし目立たなくても、ツツジは平安貴族の意識に通底しています。

 そこでまず平安期の和歌を4種選びます。
『古今和歌集』905(延喜)5年 題知らず 詠み人しらず
 思ひいづる 常磐の山の いはつつじ 言はねばこそあれ 恋しきものを
 思いがあっても、常磐ときわ山の岩つつじのように、言わないからこそ、恋しさが伝わらない

後拾遺ごしゅうい和歌集』1086 (応徳2)年 和泉式部
 岩つつじ 折りもてぞ見る 背子が着し 紅染めの 色に似たれば
 岩つつじの枝を折り取って見ると、いとしい彼が着ているくれない染めの、色に似ているので

後拾遺ごしゅうい和歌集』 1086 (応徳2)年 藤原義孝
 わぎ妹子もこが 紅染めの 色とみて なづさはれぬる 岩つつじかな
 彼女が着ていた、くれない染めの色に見えて、親しさを感じる岩つつじだ

金葉きんよう和歌集』1124(天治元)年頃 源仲政なかまさむすめ
 入り日さす 夕くれなゐの 色はへて 山した照らす 岩つつじかな
 入日が差し込み 夕暮れのくれないの空の色がなおさら映えて、山の下を照らし出す岩つつじです

雪彦山のコバノミツバツツジ(岩つつじ)
人が里山を開く前は、このように他の植物が生えにくい場所に分布していた

 第4話で示した、岩つつじはコバノミツバツツジで、紅は濃淡のグラデーションがある紅紫、つまりつつじ色、「岩」は「言は」との掛詞で、和歌という表現に託して、彼氏、彼女に思いを伝えるために言いたいと、読み取れます。今日、多くの著書やネット上では、赤や、あるいは黄味がかった丹や朱の、燃え上がる恋を連想させるかのように、ヤマツツジやサツキの写真を添えて岩つつじを解説しています。しかし、紅紫のつつじ色の奥ゆかしさのある恋心が、万葉から続く、岩つつじの和風の花言葉と言えるでしょう。
 
『枕草子』 1001(長保3)年頃 清少納言
 下襲したがさねは、冬は躑躅つつじ、桜、掻練襲かいねりがさね蘇芳襲すほうがさね。夏は二藍ふたあい、白襲。
 殿方の正装の下襲(裾が長い中間着)は、冬はつつじ色、桜色、掻練色、蘇芳色で襲ねる。夏は二藍色、白で襲ねる。
 汗衫かざみは、春は躑躅つつじ。夏は青朽葉くちば朽葉くちば
 女の子の正装のかさね色目(重ね上着)は、春はつつじ色、夏は青朽葉色、朽葉色である。
 枕草子は、古典を習熟して「うつくしきもの」「をかしきもの」を批評しています。一方、松田によると枕草子が初出の植物が40種もあり、清少納言は進取の気質を持っているとも言えます。後の世には、有職装束の色目は型にはまっていきますが、この平安中期は、貴族たちは様々な色目を工夫して用いたようです。紅紫のつつじ色で重ねた清少納言の色はいかがですか。

殿方の裾が長い冬の正装の中間着の理想的な色        女の子の春の正装の理想的な色
JIS慣用色名に基づく。絹を重ねる色のことなので、絹のしろ色を追加した。
実際はこのようなのっぺりした均質な単色でなく、絹のきめ細かな光沢色になります。

 『源氏物語』21じょう 乙女 紫式部
 南の東は、山高く、春の花の木、数を尽くして植ゑ、池のさまおもしろくすぐれて、御前近き前栽せんざい、五葉、紅梅、桜、藤、山吹、岩つつじなどやうの、春のもてあそびをわざとは植ゑで、秋の前栽せんざいをば、むらむらほのかに混ぜたり。
 源氏物語では、「もののあはれ」として、人物の心理の背景である自然を写実的に表しています。光源氏は、が東西・南北2町四方の新しい大邸宅「六条院」を入手して、北東の夏の庭には竹と小高い木々とウツギの垣根、南西の秋の庭には秋の草花、北西の冬の庭には松・コナラ・深山の木々を植えました。そして、南東の春の庭には、池を上品にしつらえて、前庭に五葉松、紅梅、桜、藤、山吹、岩つつじといった春を彩る木々をさりげなく植えて、春に秋の草花をうまく混ぜて植えたのです。続く22じょう玉鬘たまかずらでは、六条院などを舞台に、光源氏が衣配きぬくばりした姫君たちの彩り豊かなかさね色目が披露されます。

平安の庭 右奥で山吹が咲き始めている 2017年4月13日

 豊かな湧水を引き込む池のある庭で、平安装束を召して、和歌を詠ずるとなれば、曲水きょくすいの宴です。おススメできる場所は、京都の城南宮の神宛です。城南宮は、平安遷都とともに祀られて、平安末期の白河上皇時代に鳥羽離宮の鎮守となりました。現在の庭は、戦後になって造られて、春の山、平安の庭、室町の庭、桃山の庭、城南離宮の庭の5つがあります。春の山には、コバノミツバツツジが見事に咲き誇っています。

春の山のコバノミツバツツジ(岩つつじ) 2017年4月13日

 平安の庭は、社殿と接して大きな池があり、泉や遣水やりみずという流が施され、寝殿造りを意識しています。枕草子や源氏物語に記された平安植物が、植えられています。ここで春には、盃を水に浮かべて、一人づつ和歌を短冊にしたためる、曲水きょくすいの宴が行われます。

平安の庭の遣水やりみず 2017年4月13日
残念ながら、著者自身、曲水きょくすいの宴に立ち会ったことはないですが。

 室町の庭には、入り組んだ池を、石や木々が取り囲んでいます。桃山の庭は、武士が勢揃いできるような開けた芝生が、ソテツや刈込で囲まれて、豪壮な石組が配置されています。城南離宮の庭は、平安の上皇の時代というより、白砂を敷く枯山水でまとめています。室町の庭と桃山の庭の間に、楽水軒があり、お茶がいただけます。楽水軒の巫女さんに生けられた花の種類や季節感を尋ねると、さすが、的確に答えていただけました。

 楽水軒で一服 2017年4月13日

 万葉集や庭ぐらいは理解できても、正直、平安の文学や衣装は、著者には難しかったです。不備を教えていただければ幸いです。

参考文献
松田修『古典植物辞典』2009 講談社
早坂優子『和の色のものがたり 歴史を彩る390色』2014 視覚デザイン研究所


いいなと思ったら応援しよう!