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万葉集の昔から人々に愛されて、自治体の木や花として最も選ばれている植物のツツジ。ツツジという名前は身近ですが、いろんな種類があるがゆえに、多様なツツジの魅力は、意外と知られていません。我が家は、100株のコバノミツバツツジ、10株ほどのモチツツジ、生垣のオオムラサキツツジ、サツキツツジに囲まれています。また、2014年から、コバノミツバツツジを始めとする野生ツツジの写真を撮りに、3月末から6月初旬まで全国を旅しています。蓄積した数万枚もの写真や、各地のツツジの熱中人の心温まる話が、溜まってきました。そこで、ツツジの種類や植物としての特徴、和歌・美術などの古典を紐解くツツジの文芸、ツツジを愛する人々とのふれあいなどを織り交ぜて、ツツジ旅の魅力をお届けします。
大台ヶ原は、アクセス距離はありますが山頂近くの駐車場まで車で手軽に行けて、標高差があまりない散策路が整備され、咲き乱れる花木が楽しめる日本百名山です。 三重県松阪市出身の探検家の松浦武四郎(1818~1888年)が、大台ヶ原へは明治18年に最初の登山を行ったあと3年にわたり登っています。本人の遺言に従い、西大台には松浦武四郎の分骨碑が建てられています。 古川嵩(1860~1930年)は、1891(明治24)年に初めて大台ヶ原に登って、単独で夏場に100日間、冬場に3ヶ
関西でツツジの山と言えば、一目百万本と言われる大和葛城山です。2015年5月9日に、標高959mの大和葛城山に、葛城登山口から登り、ツツジ園を見て、葛城高原ロッジで昼食を食べて、北尾根登山道から下りました。登山路沿いのツツジを観察するためには使っていませんが、ロープウェイがあるので容易に登れます。 元来の葛城山は、古代の葛城氏の支配する葛城という地域の山のことで、今日の大和葛城山とともに、金剛山、和泉葛城山の山並み全てを含んでいます。「古事記」「日本書紀」には、初期の神話
著者の住む滋賀県には、里地や低山にコバノミツバツツジ、鈴鹿の標高700mぐらいより上はトウゴクミツバツツジとトサノミツバツツジ、比良山やここで紹介する己高山などの北部の山々はユキグニミツバツツジと、4種のミツバツツジが分布しています。そこで、今までしっかりと紹介していないユキグニミツバツツジを紹介します。 秋田県南部から鳥取県東部までの日本海側の雪国で一般的なミツバツツジは、ユキグニミツバツツジです。ダイセンミツバツツジの変種とされて、葉柄に毛が無いことで区別されますが
2024年4月2日、著者の誕生日なので、久しぶりに京都の修学院を散策しました。曼殊院、詩仙堂、金福寺の3ヶ所を巡りました。 いつ訪れてもインバウンドで溢れかえっている京都市内ですが、京都駅始発の5系統のバスには少し並ぶと座れます。始発ですぐに満員になるバスも、銀閣寺道でほとんどの人が下車します。修学院でバスを降りると、実に静かです。まず曼殊院へ。参拝者は全員、夫婦や恋人のアベックか、一人です。白川砂と鶴石、亀石が配された枯山水の盲亀浮木乃庭を望む宸殿の前の廊下で、西洋人男
紫香楽宮は、742(天平14)年に、聖武天皇によって離宮として造営されました。翌743(天平15)年に、聖武天皇によって大仏建立の詔が紫香楽宮で発せられます。正式に都として定められたのは745(天平17)年正月です。しかし、周辺の山火事や、地震の発生があって、同年5月には、都が奈良に戻されました。 紫香楽宮跡は、1926(大正15)年に、国の史跡に指定されました。史跡の範囲はその後拡大されて、26.6haとなっています。史跡は、甲賀寺または甲賀宮国分寺の寺院跡と比定される
11月15日は、週の半分は登る標高303mの天山に、おばさん2名、女子学生2名の女性4名を、ゆっくりと2時間かけて案内しました。自治会の60周年記念に、展望場所を確認し、草木を観察して、周辺の山のイラストマップを作るためです。女子学生の1名は美大生で、これからイラストマップを描く予定です。 自治会の住区の端から、天野川ルートを登ります。 アキノキリンソウは、終わりかけです。 ワレモコウです。当日は花が終わっていたので、この写真だけは、2週間ほど前に撮りました。
2024年4月6日に、花崗岩でできた笠岡諸島の白石島と高島を訪れました。23話のしまなみ海道に記したように、瀬戸内の多島海の風景は、世界的に見ても魅力的です。ただ、この日は残念ながら、春霞で遠くまで見渡せませんでした。 白石島は、笠岡港から16.2kmの 沖合の沖にあり、船で35分の瀬戸内海に浮かぶ面積2.86㎢、周囲10kmの島です。人口は、最盛期は2400人ほど住んでいましたが、現在は350人程度です。最高点は、標高169mの立石山で、大玉岩、鬼ヶ城の鎧岩、高山など
香川県の公渕森林公園は、明治百年記念事業として1978(昭和53)年に開園した93haの森林公園です。1676(正保4)年に造られた堤長190m、堤高16.5m、面積19ha、貯水量72万tの城池と、1863(文久3)年に造られた讃岐平野南部最大の溜池で、堤長260m、堤高27.8m、面積26ha、貯水量176万tの公渕池の周りにあります。ちなみに、雨量が少ない香川県には、農業用水を確保するために、15000もの溜池が造られました。 園内は、北側の公渕池周辺と、南側の城池
八ヶ岳の西山麓の長野県原村の八ヶ岳自然文化園と別荘地の、トウゴクミツバツツジを紹介します。原村は八ヶ岳のなだらかな裾野に位置しています。標高1100mあたりを南北にエコーラインと呼ぶ道路が通っており、これより東の標高1600mの間に別荘地があります。この中央の標高1300mあたりに、16haの八ヶ岳自然文化園が立地しています。 原村は、縄文遺跡が残っていますが、諏訪大社の神野とされた御狩場とされて、中世には、村や田畑がない場所でした。1610(慶長15)年から新田開発が進
蓼科高原の、秋の美しい木々を紹介します。ヘッダー写真は蓼科山と、その麓に広がるカラマツの林です。 落 葉 松 北原白秋 一 からまつの林を過ぎて、 からまつをしみじみと見き。 からまつはさびしかりけり。 たびゆくはさびしかりけり。 二
蓼科で最も眺望が良い場所は、標高2530mの蓼科山山頂です。平らな山頂からは、360°遮るものがなく、抜群の眺望です。山に登らなくても、蓼科高原には、八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、御嶽山、乗鞍岳、北アルプスまで一望できる、素晴らしい展望台があります。 1.日向木場展望台 1900m 国道299、メルヘン街道沿いです。パノラマでは、左の八ヶ岳から右の蓼科山まで見渡せます。ただし、冬季は閉鎖されます。 八ヶ岳(日本百名山) 南アルプス 中央アルプス 御嶽山
蓼科高原の別荘滞在6日目です。いろんな動物のお客さんが、我が家の庭を訪れます。 野鳥は、カラが主です。ヒマワリの種をつかんでは、すぐに木の枝に持っていって食べます。シジュウカラは、お腹に黒い線が入っています。仲間を呼びますね。 ゴジュウカラは、少し橙色のお腹です。 ゴジュウカラは、下向きに樹に止まります。 コガラもいます。お腹は白いです。 リスが庭を素早く駆け抜けます。 リスは小さな野鳥のカラと比べて、大食漢です。30粒ぐらいのヒマワリの種を、1匹でボ
著者は2014年より、3月下旬から6月上旬まで、全国各地の野生ツツジを観察、撮影するツツジ旅に出かけて、500箇所のツツジの名所を訪ねました。主に、ミツバツツジを狙っています。4月中旬ぐらいまでは里地近くの公園などが多いですが、徐々に高い山になり、5月下旬には標高2000m近い山になります。 2018年には山で出会った方から勧められて、車中泊を始めました。今年は、2週間以上連泊で、ツツジ旅を続けました。朝の4〜5時ごろに起きて、コンビニ弁当や買い置きしたパンを食べて、6
2024年11月6日、7日に、2名の友が蓼科高原の別荘を訪問してくれました。そこでいっしょに、日向木場展望台、御射鹿池、横谷峡を散策しました。ヘッダー写真は、日向木場展望台からの眺望です。 御射鹿池は、東山魁夷の名画の「緑響く」のモチーフになった農業用溜池です。下流の標高1100mの笹原では、渋川から引いた水で水田耕作をしていましたが、上流の奥蓼科温泉郷からの水が強酸性であることと、冷水なために、不作が続きました。そこで、1933(昭和8)年に湧水を加えて酸性水を希釈す
愛媛県今治市の標高357mの笠松山と標高339mの世田山は、東から北にかけて瀬戸内海を見下ろせ、南に四国山地を望む、見晴らしの良い花崗岩の山です。しまなみ海道の、島々や大橋が、良く見渡せます。 両山は、中世の山城の笠松城跡、世田城跡です。1342(興国3)年に、南朝方がたてこもる両城を、北朝方の細川頼春が落城させました。 笠松山は、2008年8月24日に発生したタバコの火の不始末による山火事で、107haを焼失しました。 著者は、2020年4月11日に、野々瀬古墳
岩石山は、福岡県の添田町と赤村の境にある標高454mの花崗岩の山です。第57話で記した英彦山の北12kmにあって、英彦山の修験者は岩石山でも修業をしました。 1158(保元3)年に、平清盛が家臣の大庭景親に、ここに岩石城を築かせました。戦国期には、大内、大友、秋月らの大名が岩石城をめぐって攻防を繰り返しました。1587(天正15)年に、豊臣秀吉の九州出兵で、落城しました。 著者は雨模様の2020年4月13日と、晴れたけれども花が少し早かった2024年4月14日に、添田