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32.南方熊楠ゆかりのひき岩群と天神崎

 和歌山県でのコバノミツバツツジの見どころは、田辺市の北5kmにあるひき岩群です。その名のとおり、ヒキガエルのような岩が、東西1.5km、南北1kmに並んでいます。最高標高は127mで、岩の上から360°眺望が開けており、海まで良く見渡せます。ひき岩群は、和歌山県の天然記念物に指定され、さらに吉野熊野国立公園の区域となっています。

砂礫岩

 新生代第三紀中新世の1800~1600万年前に堆積した田辺層群という砂岩・礫岩と泥岩が、南西方向に30°ほど傾いて相互に重なった地質です。泥岩の部分が風化・浸食を受けて削られやすく、砂礫岩は残されるので、斜めに出っ張った岩が、ヒキガエルのように並んでいるように見えます。高校地理の教科書に載っている、いわゆるケスタ地形の例です。

上の砂礫岩層が残り、下の泥岩層が削れる

 こういった砂礫岩が残る景観は、江戸時代に、現在の田辺市新庄の海岸で製塩事業が広がり、薪にするための木材をひき岩群からも大量に伐り出したために、やわらかい表土が流出して出現しました。伐採によって一度露岩になると、森林に戻りにくいことは自然破壊ではありますが、このような景観が珍しいので、景勝地とみなされて、天然記念物と国立公園区域になったのです。

山頂付近からの市街地と海の眺望

 駐車場は、東側の岩口池の横にあるふるさと自然公園センターと、北側のピクニック広場にあります。どちらから登っても、十数分で第1展望台にたどりつけます。著者は2024年3月28日、コバノミツバツツジの開花には少し早かったですが、訪問しました。他の樹木が生えにくい場所に、コバノミツバツツジが生育するのです。

山頂付近のコバノミツバツツジ

 紅紫の花弁の中央が薄く、端が濃い、グラデーションのかかったコバノミツバツツジが、なん株かありました。

コバノミツバツツジのグラデーション

 田辺は、博物学者・エコロジストの南方熊楠みなかたくまぐすが、1902(明治35)年から終の棲家ついのすみかとした地です。熊楠は、菌類、シダ植物、昆虫が豊かに生息するひき岩群にもよく観察・採集に訪れました。海辺で熊楠がよく訪れた場所は、海洋生物が豊かな天神崎です。

 天神崎にも、コバノミツバツツジが咲いています。天神崎で最も高い場所は標高28mの日和山です。全国95か所の江戸時代の港で、日和山が確認されています。南波松太郎は、日和山の目的を次のように記しています。

主目的:全ての日和山の目的

  1.  日和を見ること:今日的な天気予報に加えて順風の予報

  2.  出船を見送ること 

  3.  入船を望見すること:隻数、帆印から船主を判断し、船繋ぎ場や船宿の受け入れを判断

  4.  入船との連絡のこと:4km内に近接時に、メガホンで船の誘導や荷物の種類・数量確認

  5.  入船の目印になること

副目的:一部の日和山の目的

  1.  遊覧場所なること

  2.  商人の商況判断の資料を得ること

  3.  唐船見張番所の設置と砲台の築造

(:の後ろは著者の補足)

 南波は、昭和58年1月26日の調査について「日和山はこの段丘の最高所にあって標高36m余、かなり広い範囲に礫岩が露出し、草も木も生えず、遠方から見るとハゲ山でよくわかる。日和山の用がなくなると樹木が繁にまかされ、展望がきかないのが通例なのに、ここの四周の樹木は風のため余り丈高からず、頂上からの見通しは実に上々で、四方八方全方位が見晴らせ、既調査の日和山のうちこんな所は初めてである。」と記しています。現在でも、標高36mの礫岩の日和山からは、四方が見渡せました。

日和山山頂

 コバノミツバツツジは、日和山から少し下った林の中で、元気に咲いていました。日和山が使われていた明治初期までは、周りの常緑樹はなくて、コバノミツバツツジなどの落葉樹の明るい林だったと考えられます。

天神崎の常緑樹の中のコバノミツバツツジ

 天神崎は、1974年に沿岸部の湿地が別荘地になる計画に反対して、環境を守るために有志の寄付で土地を買い取る、ナショナルトラスト運動の地として有名です。ナショナルトラストとは、19世紀末に英国で始まった、市民の寄付で自然の景勝地や文化財のある土地を買い取って、非営利団体で土地を管理するしくみと活動です。天神崎では、公益財団法人天神崎の自然を大切にする会が、50年間活動を続けています。天神崎は、県立自然公園でしたが、2015年にひき岩群とともに吉野熊野国立公園に編入されました。

 南方熊楠の博物学の思想であり、神社合祀ごうし反対運動のエコロジーの系譜をうまく継承して、天神崎は守られたのでしょう。天神崎から少し離れた白浜町に、南方熊楠記念館があります。残念ながら当日は閉館日でしたので、次の機会にぜひ訪れたいものです。

【参考文献】
南波松太郎『船・地図・日和山』1984 法政大学出版会


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