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67.修学院の春の閑寂
2024年4月2日、著者の誕生日なので、久しぶりに京都の修学院を散策しました。曼殊院、詩仙堂、金福寺の3ヶ所を巡りました。
いつ訪れてもインバウンドで溢れかえっている京都市内ですが、京都駅始発の5系統のバスには少し並ぶと座れます。始発ですぐに満員になるバスも、銀閣寺道でほとんどの人が下車します。修学院でバスを降りると、実に静かです。まず曼殊院へ。参拝者は全員、夫婦や恋人のアベックか、一人です。白川砂と鶴石、亀石が配された枯山水の盲亀浮木乃庭を望む宸殿の前の廊下で、西洋人男性が一人で座禅を組み瞑想にふけっています。他はすべて日本人。出会った人は、10名もいませんでした。
ちなみに、南は大文字山、如意ヶ岳から、北の比叡山四明ヶ嶽までは、花崗岩の山で、そこから白川が流れ出て、石英質の美しい白川砂を生み出します。
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大書院前の書院庭園は、キリシマツツジ、ツバキ、ウメ、ソメイヨシノ、サルスベリ、サザンカが植えられた庭です。もしやして、庭の奥にコバノミツバツツジが咲いていないかと目を凝らしましたが、みつけられませんでした。
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実は、曼殊院前の弁天堂と、そこに流れ込む小川の周りに、コバノミツバツツジが自生しており、その周りの草が綺麗に刈り取られています。こんなさりげない野辺が、50年前に見ていた京都の三山の麓の風景です。まだ残されている原風景だし、ずっと残してほしいと感じました。
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曼殊院の塀の外のコバノミツバツツジが満開でした。
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境内の外では、ますます春のコバノミツバツツジの勢いを感じます。
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次は第18話で紹介した詩仙堂です。玉物に綺麗に刈り込まれたキリシマツツジに対して、庭の端を囲う木々の中に、コバノミツバツツジも姿を覗かせています。
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第6話でも紹介した金福寺は、芭蕉ゆかりの小さな寺です。庭の入口となる門被りのコバノミツバツツジは、心憎い見事な設えです。
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見返す場所にもコバノミツバツツジがありましたが、まだほとんど蕾です。
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七代目小川治兵衛が1932(昭和7)年に手掛けた白川砂を敷いた庭の添景としても、コバノミツバツツジがあります。砂の周りは、主にサツキが植えられています。
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元禄時代に芭蕉が金福寺の鉄舟住職を訪ねて、禅や風雅の道について語り合って親交を深めた場所で、これにちなんで庵は芭蕉庵と名付けられました。しかし、それから70年後に蕪村が訪れたときは、芭蕉庵が荒廃していたので、蕪村は庵を再興し、俳文「洛東芭蕉庵再興記」を記しました。この冒頭は、「四明(比叡山四明ヶ嶽)山下の西南一条寺村に禅房あり。金福寺という。土人称して芭蕉庵と呼ぶ。階前より翠微に入ること二十歩、一塊の丘あり。すなはち芭蕉庵の遺蹟也とぞ。もとより閑寂玄隠の地にして、緑苔や百年の人跡をうづむといえども、幽篁なお一炉の茶烟をふくむがごとし・・・」と記されています。
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龍安寺の蹲をまねた、意味深い吾唯足知もありました。
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3ヶ所とも、来訪者は少なく、閑寂でした。5月には園芸種のキリシマツツジ、6月にはサツキが庭に咲きます。これらの赤いツツジが造られた庭の主たる花木でしょうが、4月の初めに野性味を持ってさりげなく迎えてくれるコバノミツバツツジがありました。芭蕉、蕪村は、禅・風雅の深い道理を求めて隠棲、すなわち玄隠したのでしょう。誕生日に、一人で閑寂玄隠の地を散策し、風雅を考えさせられました。