23.しまなみ海道 開山のツツジ
しまなみ海道(西瀬戸自動車道)が通る愛媛県今治市の伯方島の開山公園は、ツツジと桜の名所です。しまなみ海道は、7本の橋で6つの島々を結びます。瀬戸内海の中でも最も島々が密集した場所だからこそ橋が架かり、各島の山や丘から見る瀬戸内海と島々の重なりは、人々を魅了します。
西田正憲は、「近世以前の日本人のまなざしは歌に詠まれた名どころつまり歌枕や名所旧跡の伝統的風景にとらわれていた。」とし、1826(文政9)年に瀬戸内海を通って江戸参府に随行したシーボルト以後明治初期までの欧米人の紀行をまとめて、「欧米人は、瀬戸内海の風景について、湖のようにおだやかで川のように細長い内海、無数にちりばめられた島々、火山の形をした島や禿山や緑の植物におおわれた海岸、様々な色彩に彩られた光輝く海や浜辺、ただよう霧、自然と一体となった村々や城や美しい段畑、海に浮かぶ帆掛船、楽園のお伽の国のような平和な情景、そして船の前にくりひろげられる島々の絶え間ない変化としてとらえ絶賛した。」と述べています。近代化されて、自然と一体となった村々や城や美しい段畑は少なくなり、海に浮かぶ帆掛船は失われましたが、長大な橋や世界的にも有名なしまなみサイクリングロードは魅力的です。
1931(昭和6)年に国立公園法が施行されて、1934(昭和9)年3月16日に瀬戸内海国立公園、雲仙国立公園、霧島国立公園が最初の指定を受けました。翌1935年にかけて9か所を追加して、戦前の国立公園は12か所になりました。岡野隆宏によれば、国立公園の選定に関する方針は以下のとおりです。
第1 必要条件
我が国の風景を代表するに足る自然の大風景地
即ち日常体験し難き感激を与うるが如き傑出したる大風景
海外に対しても誇示するに足り世界の観光客を誘致するの魅力を有するもの
(1)同一形式の風景を代表して傑出
(2)自然的風景地にして区域広大
(3)地形地貌が雄大或いは風景が変化に富みて美
第2 副次的条件
(1)保健的にして多人数の利用に適するもの
(2)社寺仏閣、史跡、天然記念物等教化上の資料に豊富
(3)土地所有関係が便宜
(4)公衆の利用上有利 交通便利にして全国的分布の当を得たる位置
(5)水力発電、農業、林業等産業との抵触少なきこと
(6)既設の公園的施設が有効、将来の開発容易にして公園事業の便益多きこと
瀬戸内海国立公園は、当時の14ヶ所の国立公園候補地の中で、面積が2番目、自然風景地を存ずる区域の割合が3番目が利点であり、私有地の割合の多さが2番目、御用林・国有林の割合の少なさが3番目という欠点がありました。つまり、瀬戸内海は、国有地は少なく民有地が多いのは欠点だが、自然科学的に風景形式を評価すると、区域が広く地形が雄大であり、船旅の便が良く、国内はもちろん有名な点で世界的に代表する景観だとして、最初に国立公園に選ばれたと言えます。日本の植民地や中国に居留する欧米人の避暑地としても有名で、船便が便利な雲仙と霧島が、同時に選ばれました。
さて、開山公園は、面積2haで、花崗岩でできた標高149mの開山にあります。公園からは、大島、大三島、生口島、岩城島が見渡せて、吊橋の伯方・大島大橋、アーチ橋の大三島橋、斜張橋の多々羅大橋が望めます。
著者は、2020年4月11日と2024年4月10日に訪れました。2020年の春は少し早く、ソメイヨシノはかなり散って、コバノミツバツツジが満開でした。2024年の春は少し遅く、ソメイヨシノが満開で、コバノミツバツツジは少し早かったです。さすがに2024年は花見客が満員で、駐車場に入るのに1時間も待たされました。
3ヶ所の駐車場の近くの中央に展望台があります。北側はつつじロードを経て展望デッキまで、南側は散歩道を通って見晴らし台まで、どちらも10分弱で行けます。
つつじロードの途中の丘には、桜が点在する中で、コバノミツバツツジと園芸ツツジの大きな植込みがあります。コバノミツバツツジが散った後は、園芸ツツジの季節になります。展望デッキに行くと、岩城島とさらに奥に因島が遠望できます。
フェリーで渡る岩城島の積善山も、コバノミツバツツジの名所です。
南側の散歩道は、まずは斜面にソメイヨシノの大きな植込みがあり、芝生広場や、滑り台があり、アスレチックの遊具もあります。
そこを抜けると、コバノミツバツツジとソメイヨシノの並木道です。
見晴らし台の上からは、伯方・大島大橋が遠望できます。石仏も散歩道を見守っています。
行き帰りにしまなみ海道で車を止めると、サイクリングをするインバウンドの欧米人が日本人よりも多くいますが、さすがに花見の季節、開山公園では、多くが日本人でした。欧米人は、江戸後期から明治初期を船旅と同じように、今はサイクリングで、自転車の前にくりひろげられる島々の絶え間ない変化として風景を捉え、絶賛していました。
伯方島にはかつて、花崗岩を切り出す丁場があって、船で運び出しました。塩田があり、塩の道の重要な港でした。こういった歴史から、今日の伯方島も、造船と製塩、そしてミカンの島になっています。
西田正憲「瀬戸内海の風景と異文化のまなざし」白幡洋三郎編『瀬戸内海の文化と環境』瀬戸内海環境保全協会 1999 246-267p
岡野隆宏「12国立公園の誕生と風景形式による風景評価」西田正憲編『国立公園と風景の政治学』京都大学出版会 2021 178-207p
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