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10.筑波山 思春期の原風景

 1976年4月中旬、著者は、大学入学したてで親しくなった友達の、I君と、女の子のYちゃんと、筑波山に登りました。地球温暖化で、年々ツツジの開花が早くなっていますが、昔は現在と比べて、季節が遅いはずです。ただし、1976年は、季節はもちろん、心の春も、早く来た年でした。

女体山山頂 しっかりと一等三角点の前で撮っている
肖像権あるけれども顔がぼやけているから許可なしでいいか

 山麓につくと、早々、園芸ツツジが満開に近づいていました。ケーブルカーなど使わずに、登山道を登ります。後日授業で教わったことですが、筑波山の南麓は、気候的にも逆転層という原理で暖気がたまり、周りでは育たないミカンまで出荷用に栽培されているのです。山頂近く、たぶん8合目ぐらいだと思いますが、急坂にさしかかりました。著者が先頭、Yちゃんが中手、I君が後ろ。岩をよじ登るために、著者は無意識にYちゃんに手を差し伸べ、彼女を引き上げました。その瞬間、女の子の手はとてもやわらかいことに驚き、心身に激震が走りました。彼女は女子高出身、著者は男子高出身です。横を見ると、故郷の山と同じ「山つつじ」を見たのです。当時は種名は知りませんでしたが、これがコバノミツバツツジの類縁種の、トウゴクミツバツツジとの出会いです。そこから山頂にかけて、トウゴクミツバツツジは、何株も咲いていました。筑波山は、万葉集の東歌として25首も詠まれ、常陸国風土記でも有名な、男女が出会う歌垣で有名な場所です。

登山道の男女川みなのがわの説明

 大学のクラスのコンパでは、担任や関係する助手の先生方とも、酒を飲みました。数名の男子学生が20代中頃の若い数学の助手を囲んで話していたときのことです。IW君が「大学は何をするところですか」と尋ねると、友達は皆「何バカなことを聴く奴だ」と思い唖然と口をあけました。10秒ほど間を置いて「大学は、熱中するところだ。学問でもよい。サークル活動でもよい。恋愛でもよい。何でもよいから熱中しなさい」と、助手は応えました。バカでなく素晴らしい質問で、答えをもらえた。欲張って、学問も、サークル活動も、恋愛も、すべて熱中しようと決めました。空回りが多かったとはいえ、大学時代は熱中したと思います。オリエンテーリングのサークルに入り、レースで山野を駆け回りながら、当時は気にもとめなかったけれども、春には全国の野生ツツジが咲いているのを見ました。

 当時の男子学生は、とても議論好きでした。とりわけ私の大学の理学系の男子学生は、特に議論好きで、クラスや、サークルの仲間とは、いつも喧々諤々でした。その議論の理屈はさておき、科学的知見と古典の表現とを掛け合わせた、機知に富む絶妙な言い回しという文芸趣味を求めて、一同納得するまで議論を続けることも多かったです。まわりの女子学生は、また男子がと呆れていたのでしょう。ただ、生物学を専攻する女子学生のYちゃんと二人でいときは、ユング、フロイト、マルクスなど硬派の啓蒙書、詩、芸術鑑賞、免疫などの生物学、著者の出身地の京都も含めた全国各地の体験などの彼女の話に、心が躍りました。広い関東平野が続き晴れれば常に筑波山が見えるキャンパスで、大学時代をすごしました。

女体山から男体山を望む

 ツツジ旅を始めてから、ネットで筑波山にもミツバツツジ類が咲いていることを見かけたとき、Yちゃんの手を握ったときの激震を思い出し、45年ぶりにツツジの風景がフラッシュバックしました。開花を待ちわびて、2021年4月18日に、筑波山の登山道を麓から登りました。45年たつと、登山道は、木々が成長して、目を凝らしても残念ながら、トウゴクミツバツツジは咲いていませんでした。人の手が入らなくなって、登山道の背の低いツツジは枯れたのでしょう。ケーブルカー終点の御幸ヶ原から、男体山周辺の自然探求路を一周し、女体山を往復して、ようやく咲き始めた数株のトウゴクミツバツツジに出会いました。帰りのケーブルカー沿いは、雑木を刈ったのでしょう、トウゴクミツバツツジの大株がありました。

自然探求路のトウゴクミツバツツジ

 御幸ヶ原の売店横で、満開の株も見つけましたが、残念ながら1つの蕾に3輪開くにぎやかなホンミツバツツジでした。このツツジの自生地ではないので、植えたと思われるのが残念でした。

御幸ヶ原のホンミツバツツジ

 沢山咲いて綾なすコバノミツバツツジに対して、トウゴクミツバツツジは紅紫がやや濃くて気品を放ちます。まるでYちゃんのように。そして、雌しべの付け根には、腺毛せんもうという突起が多く付いているのが特徴です。文芸趣味に触れて、喜怒哀楽、熱中しながら自身の価値観を育んだ、著者の第3の、思春期の原風景が、筑波山にありました。
 こちらが著者の、第1の原風景第2の原風景です。

雌しべの付け根に腺毛がある

 全国のツツジ熱中人には、その人にとっての原風景があります。著者自身、今になってようやく説明できますが、熱中人は、本人でも言葉だけでは表しきれない原風景の魅力を秘めています。その意味と価値を聴いて、科学的表現と古典とを掛け合わせた文芸趣味で伝承していきたいのです。自身についてなお言えるのですが、思い出を守っているだけに留まらずに。そうだ、各地の熱中人のことをこのような記事にして書き上げた後、本人に手渡して「あなたの原風景は何ですか」と尋ね聴いてから、さらに記事に磨きがかけられそうですね。

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