33.東山の春興 尾張名古屋の岩ツツジ
1844(天保15)年に岡田文園、野口梅居の『尾張名所図会 前編』、1847年(弘化4)年に小田切春江の『名区小景』が出版されて、岩ツツジ、つまりコバノミツバツツジの漢詩、和歌、俳句が、名所絵とともに紹介されています。これを紐解きながら、幕末のツツジの花見を紹介します。
幕末の尾張名古屋の岩ツツジの名所は、東山です。現在、東山動植物園がある場所ではなくて、より南西の名古屋市昭和区・天白区のかつて八事山と呼ばれた丘陵地一帯が、当時の東山です。『尾張名所図会』には、「東山の春興」という表題で、名所絵が描かれています。
香美
幾担の行厨幾瓢の酒 人々隊を結び東山に入る 東山満地、花開くの処 未だ花を看了らず酔倒して還る
【訳】
数多く担いできた野外仕出し用の弁当や瓢箪酒、人々は大勢並んで東山に入る。東山の満開の場所で、花が開いているが、花を見て愛でるよりも、酒におぼれて帰る。
陳季淋 泥鵬台文集
天気の克を見立て 凪に行く寄木山 毛氈を芝生に布き 酒樽を樹間に置く 三絃を敲き躍を始め 芸者と戯れ 還るを忘る 野山の興を蹴狎れ 憐れむ可し開帳の閑
【訳】
好天を見定めて、そよ風が心地よいときに、寄木山に行く。毛氈を芝生に敷いて、酒樽を木々の間に置く。三味線をたたいて飛び跳ねて踊りはじめ、芸者と戯れて、帰るときを忘れる。野山で盛り上がって暴れ芸者と遊ぶこの場ののんきさは、実に情けない。
無孔笛
花衣 裾もつつじの 紅裏に 見せばやふりも げにやよひ山
【訳】
花見用の晴れ着は、裾はつつじ襲の 紅染の裏地を付けた着物で、しぐさを見せたいものだ、実に旧暦3月の山で。
以上の説明書きを読めば、岩ツツジが満開の天気が良いときに、芸者をあげて派手に遊んでいることがわかります。第11話で記した白幡洋三郎が、群桜、飲食、群集の日本固有の花見を主張し、かつては桜だけでなくツツジを含めて様々な花が愛でられたという事実を、明瞭に示しています。
名所絵には、伊勢湾が遠望できる芝生が開けた丘陵地に、アカマツとコバノミツバツツジが点在して描かれています。これが、建築、燃料、肥料のために、木々を伐採し、柴刈りをして、刈敷を集めた、幕末はもとより1960年の燃料革命まで続く日本の里山の原風景です。3ヶ所で、平坦な芝生に敷いた毛氈の上で、男が酒を飲みながら弁当を食べて、三味線に合わせて踊り、芸妓が接待しています。給仕をしている男もいますし、この様子を眺めている女もいます。晴れ着を着て散策している女や、扇を持って浮かれながら歩いている男もいます。
「東山の春興」の名所絵をカラーにした図のリンクです。こちらのカラーを見れば、より分かりやすいです。
『名区小景』には、東山春遊の漢詩、和歌と、東山春興の元から色刷りの名所絵が描かれています。
『名区小景』 東山春遊
【漢文読み下し】
躑躅が花紅し翠巒(緑の峰)に映え、此時羅綺を(美しい着物)競いて、団を為す。烏巾(黒い頭巾)妓を携え、誰かの家の子が笑い指す、東山の今の謝り安し。 重威
【漢文読み下し】
卵色の天の光、躑躅を開く。東山羅綺(美しい着物)の日堆を為す。誰かの家に一つ伴う蒼松の影。拇戦(拳の遊戯)の場を占め、且つ杯を送る。 重禎
春くれハ うす花さくら 岩つつし あそひたえせぬ 東山かな 義雄
【訳】
春が来れば、薄い花の桜や岩ツツジのもとで、遊び続ける東山だ
岩つつし よもに匂ひて をとめ子か 袖も裳《もすそ》も 春風そふく 興達
【訳】
岩つつじの中で、とても輝かしく、女の子が、着物の袖も裾も、春風にひらめかせている
ひかし山 つつしの華の 紅に すそ引返し 遊ぶ少女子 鍗子
【訳】
東山で、紅色のツツジ花に囲まれて、着物の裾をひらめかせて活発に遊ぶ女の子
全体的にはげ山で、一部に背の低いアカマツや、コバノミツバツツジが描かれています。コバノミツバツツジが、紅紫でなく赤なのは、色版が限られて、毛氈、着物、扇などと同じにしたからでしょう。手前では、2名の主人が踊り、2名の妻がおしゃべりをして、下男が仕出しや酒を担いでいます。後ろの山にツツジ見の散策をしている人々がいて、八事にある寺の塔の先端が見えます。
今日では、東山は市街地になってますので、当時に似ていると思われる瀬戸市の愛知県森林公園の写真を載せます。
『名区小景』には、春日井郡品野村にありとされた三国峠の岩ツツジの和歌や俳句や名所絵があります。尾張、三河、美濃の三国の境の峠、尾張側の旧品野村は、現在の瀬戸市に含まれます。
岩つつし 三国峠に 咲しより 山ほととぎす 啼ぬ日そなき 道直
訳
岩ツツジ 三国峠に咲いている 山のホトトギスが鳴かない日はない
咲にほふ 岩根のつつし うつろひて 滝のしら糸 あけに染ミゆ 重粛
訳
咲いて輝いている岩に根を下ろした岩ツツジ 散った後には滝の流れ落ちる白糸の中で明るく染まる
はるはると のほる三国の たふけとて つつしの錦 ひまもなき哉 補壽
訳
はるばると登ってきた三国の峠では 絶え間なくツツジが錦を織りなす
峯におく 雲に照添ふ つつじ哉 英寉
訳
峰に生えて 雲にまで光り輝くつつじだ
登るとも 思はす峯の つつじ哉 蓬南
訳
登るつもりがなかった峯まできて つつじだ
岩ツツジにふさわしい岩、アカマツ、コバノミツバツツジに挟まれた峠道が描かれています。
三国峠から5.5km南にある尾張と三河の境界の猿投山山頂から眺めた写真を載せます。猿投山は花崗岩、三国峠は花崗岩の一種に含める場合もありますが細かく分けると花崗閃緑岩と、いずれもコバノミツバツツジに適した地質です。今日では花崗岩の山が、緑に復元しています。
著者の曾祖父は明治時代、兄弟4人で尾張から京都に出てきて商売を始めました。自身のルーツを探るために、戸籍を確認して、尾張のどこからなのか訪ねたいと思っています。曾祖父が見たであろうコバノミツバツツジの風景を確認するために。
岡田啓 (文園) , 野口道直 (梅居) 『尾張名所図会 前編 巻5愛智郡』1844
小田切春江『名区小景』1847 愛知県郷土資料刊行会「名区小景(翻刻版)」1976
林英夫編『日本名所風俗図会6 東海の巻』1984 角川書店