私の人生の目標って 3
前々回は女子高生時代の私。
前回は就活~病気、1回目の転職。
最後となる今回は移住と2回目の転職。
閑話を一つ挟んでようやく最後。
移住が決まるまでの頃の私
病気を機に1回目の転職をした。
しかし、この時は新卒で入って憧れだった仕事を辞めなければいけないこと、治るかわからない顔の麻痺によって狂った表情になってしまったことに精神をやられてしまい正常な判断ができなくなっていた。
とりあえず働かなくてはと思い転職活動をした。
仕事内容とか会社の雰囲気とか、口コミとか、そんなの考える余裕がなかった。
とりあえず内定をもらって中で、学生時代のバイトや新卒企業での業務内容が活かせそうな企業を選んだ。
選んだ企業は、資格取得のためのスクール。
生徒を集める為の営業と自分が入れた生徒のフォローをするといった業務だった。学生時代4年間集団塾で講師としてアルバイトをしていたのでその経験を買ってくれた。 同僚にも前職塾講師が多かった。
面接時に生徒のフォローと営業活動の割合を質問したら5:5ですと伝えられていた。
実態は大きく乖離していた。
1日の業務の中ではほぼ営業活動。
夜間に来る生徒に授業終わり少し挨拶をしたり、メールをしたりするくらいだ。
授業があるのは私が休みのはずの土日で授業が終わるのは21時過ぎ。
サービス出社と残業をしなければ生徒フォローが行えない。
休みの日だろうが夜だろうがお客さん(生徒)からは連絡が来る。
プライベートを犠牲にすれば確かに5:5の割合かもしれない。
営業活動はとにかく過酷だった。
半月程度の座学(商材内容について)と2週間程度のOJT(先輩社員について同行だったが先輩たちと喋って終わりでノウハウはわからない。)の末、1人で外回り行ってこいというような研修だった。
会社には属しているが、インセンティブが給料のほとんどを占めるため、みな個人事業主のようなものだ。そのため自分自身のことに必死だし後輩の面倒を見る余裕などないのだ。
管理職も現役営業マンだった頃のやり方を押し付けるばかりで男社会的な考え方且つ古い考え方過ぎてついていけなくなった。
何もわからず日中は企業に飛び込み、夜は個人のテレアポリストにひたすら電話をかける。学生イベントがある際には、あの手この手で学生から個人情報を獲得し営業をし100万弱のローンを組ませる。
勿論やり方なんてわからないから結果が出ない。
日中サボるうようになった。外回りに行く振りをしていっぱいさぼった。
学生にこの業界で一流になるには学生のうちに〇〇士の資格の勉強をし始めないといけないし、スクールに通わないと無理(実際そう)と圧をかけて高額なローンを組ませること、営業結果が出ずに業務量に対して給料がバイト並みだったこと、いやになってサボってしまう自分。
色々なことが重なり精神的にかなり追い詰められていたと思う。
けれど休職期間、引き籠っていた頃と変わらず4人でゲームをしながら話す時間はとても楽しかった。救われていた。
そんな中で人生の目標なんて立てられるわけもなく、毎日を乗り越えるためにはどうしたらいいかと考えていた。
毎日を乗り越えることが目標だったかもしれない。
移住するとなった頃の私
仕事を初めてしばらく半年近くたった時、待ちに待ったゴールデンウィークがやってきた。
せっかくの長い休みだし、と思って気になってた佐渡島に行くことを計画した。
いつも私とゲームをしてくれている3人のうち一人が佐渡に縁があるのでなんとなく誘ってみた。一緒に行ってくれることになった。
ゲームを機にオンライン上でたくさん話していたが、学生時代はそんなにたくさん話していたわけではなかった。
だから2年ぶりに再会して2人きりで話もつかな?なんてちょっと心配していたけど杞憂だった。
3泊4日、たくさんエスコートしてくれた。
初めての佐渡はとても楽しかった。
同時に一緒に来てくれた友人が自分の人生にとってなくてわならない人だと気づいた。一緒にいて楽しいし何よりも気をが休まる。
ずっと一緒にいたい、大好きだと気づいてしまったのだ。
彼が住んでいるのは新潟で、私は東京。
帰りに新潟駅まで送ってくれたけどきっとここで別れてそれっきりなんだろうなと思っていた。
明日からはまたオンライン上で話す、大学時代からの友人に戻るのだろうと思っていた。
しかし、1週間後に彼が東京に来ると聞いて心が躍った。
あきらめたはずの大好きの気持ちだったけれど、その大好きの気持ちが顔を表した。どんな顔で会えばいいのだろうと緊張もした。
付き合うことになった。
どうやら4日間の佐渡で私の大好きはあふれていたようだった。
そこから移住が決まるまでは時間がかからなかった。
いわゆる遠距離恋愛だったけど終わりが見えたし
月に1回、2回は会っていたからさみしさは我慢できた。
彼との同棲までは仕事を頑張ろう、と目標にしていた。
そんな矢先、仕事のストレスがピークになり泣きながら彼に電話をした。
12月でやめる予定だったけど精神が崩壊しかけていたので10月で仕事を辞めた。
そして11月には移住をした。
家族には年明けに新潟に行くと伝えていたから2か月程度早まった。
生まれ育った東京を離れ、実家を出て家族から離れ、友人たちとも会えなくなった。彼以外の知り合いもいない環境で私はホームシックになった。
やはり寂しかった。でもその寂しさに彼は寄り添ってくれた。
だから移住したことに寂しさはあっても後悔は1つもない。
新天地で私らしく、充実した日々を過ごすことが私の目標になった。
同時にいつも寄り添ってくれる彼の支えになれるよう頑張ろうと決意した。
2回目の転職をした頃の私
2回目の転職活動は夏の終わりごろから始めていた。
今度は失敗しないように。就活の軸は大きく変わった。
自分のやりたいこと、興味があることから自分に出来ること、自分の働き方に合うところを軸にしてゆっくりと探した。
彼と同棲するために移住するということは、恋人としてだけでなくその先の未来も見据えた行動だ。
だからそう遠くないであろう未来が訪れたときに、どんな選択をしたとしても柔軟に対応できる働き方ができる仕事を選んだ。
結果その軸を大切にしてとても良かったと思う。
今の仕事は好きに在宅勤務ができて、研修もきちんとあって、福利厚生もきちんとしていて、社内の平均年齢も若い。
仕事のやりがいという部分ではイマイチと感じるときもあるけれど、優先したことがやりがいではないから別に何の不満もない。
業務がこなせるようになったらきっとやりがいも生まれるだろうと思っている。
終わりに
与えられた環境で、自分ができる精いっぱいを目標にすればいいし、無理に自分のキャパを広げなくてもいいと思っている。
自分1人の人生じゃなくなったことは、人生の目標を立てるにおいて、考え方の大きなキーポイントとなったのだろうと確信している。