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自己紹介 ~町家再生・活用の仕事に至るまで~

今でこそ建築設計事務所を営み、町家の再生・改修設計とその関連が仕事の大半となっていますが、最初からこういうことをやりたいと思っていた訳でありませんでした。

大学卒業後は、大阪の独立系シンクタンクに入社

地方自治体からの業務委託が専らで、行政計画、産業・経済、健康・福祉、環境・景観など、幅広い分野にわたる課題や事象を対象とした調査や研究を行い、結果を報告、時には解決策を提示したりする会社でした。

私が多く携わったのは『住民主体のまちづくり』に関する業務

地域で暮らす様々な立場の人たちが一堂に会する中で行う会議やグループワークの企画・構成・運営を行い、その場で聴き取った意見やアイデアなどを行政施策に反映させるべく、集約・整理していくという仕事です。
そういった場づくりを経験してもらうという、一般市民向けの講座を企画・構成・運営し、また、数年後にはその経験を踏まえて、講座を開くノウハウを冊子にまとめたりもしました。

大阪市まちづくり講座
(2002~2005年)

これらは学生時代に取り組んだ研究テーマと関連が深かったため、会社でもその役割を期待されていたのです。

一方で、『様々な人から話を聴いたことを集約・整理する』ということは、単なる手段にすぎないため、シンクタンクとして長く仕事にするためには、『私自身の専門分野を持つこと』も求められていました。
しかし、会社には建築に関する部門はなく、建築以外の分野に専門性を見出すことも考えましたが、どちらについても先を見通せなかったため、最終的には退職するという判断に至ります。

無職の時に一級建築士を取得

大学を卒業して社会人になり、自己紹介の際に建築学科で学んでいたことを話すと、私が「建築に詳しい人」であったり「設計が出来る人」であると思う人がたくさん居ました。

しかし、実際の私は建築に詳しいわけでもなく、設計が出来るわけでもありませんでした。

建築の世界が性に合わないと思って就職活動をしていたくらいですから、建築士の資格を取得しようと思ったことすらなかったのです。
このことを説明する度に、なんだかがっかりされたり、興醒めな雰囲気が漂うこともありましたが、本当のことなので仕方がありません。

社会人になってから数年が経つと、自身の強みとして専門分野を持つことの必要性を強く感じるようになり、私は建築士の資格取得に本腰を入れることにしました。

受験に本腰を入れた1年目、シンクタンクを退職した直後に学科試験の合格が判明しましたが、生憎、その年の製図試験は不合格となります。
2年目は学科試験が免除され、製図試験に合格すれば資格が取得できるという状況。
これで試験に合格出来なければ、建築の道を諦めて、身の振り方を考え直そうと思っていましたが、結果は合格。
晴れて一級建築士の資格を取得することが出来たのでした。

建築設計事務所へ転職

建築士の資格取得した私は就職活動を始めるのですが、その頃の私は「建築設計の実務未経験者に中途採用の道はあるのか」「そもそも、建築の世界に入って私はやっていけるのか」という不安を常に抱えていました。

しかし、幸いにして、こんな私を拾ってくれる建築設計事務所と巡り合うこととなります。

この設計事務所は、医療福祉施設や公共施設の設計を得意分野としていました。
私が(主担当だったかどうかは別にして)関わった設計案件には、
・家畜保健衛生所の新築
・法務総合庁舎の増築
・博物館の耐震補強
・総合病院の増築と改修
などがありました。

入社して初めての仕事は
京都タワービル耐震診断業務の助手
ビルの地下からタワーのてっぺんまで
くまなく見て回りました

しかし、「実務未経験の有資格者」という自身の置かれた状況には、非常に厳しいものがありました。

事務所の全面的なサポートによって様々な実務の機会を与えられ、成長を促されるものの、その期待に応えられていないという思いが日増しに強くなっていくようになります。
いよいよ、気持ちが空回りして身体がついて来ない状況となり、大変申し訳ないという思いを抱えながら、事務所を退職することにしました。

職業として流れ着いた先がイマココ

設計事務所を退職した後は、これまでの自分を振り返り、今後の仕事や働き方について色々と思い悩む期間を経て、最終的には『一級建築士事務所  ささりな計画工房』を開設し、自営に転じることにしました。
詳細については、また別の機会に書くつもりでいますが、『これまでの経験を無駄にすることなく、活かした仕事がしたい』という思いでの決断でした。
今のところ、職歴としてはこれが一番長く続いています。

『人の話を聴くこと』を仕事にしたい

これは、学生時代から私が漠然と考えていたことです。
私はこれまでに、友人知人だけに限らず、折に触れていろんな人の話をたっぷりと聴く機会があり、その話の内容は、話している本人ですら驚くほどにディープなものになっていくことが多かったため、『人の話を聴くことが仕事に出来れば、その人に役に立てるかもしれない』と思っていたのです。

「そんな仕事はないんじゃない?」

私の考えを聞いた人達からは、大抵、このように言われました。
「カウンセラーにでもなりたいの?」と言われたこともあり、カウンセラーになるのが良いのかなと思ったこともありましたが、心のどこかでは「なにかが違う…」と思っていたのでした。

私がよく耳にした『設計の仕事に就く理由』

それは、『絵を描くのが好き(得意)』ということでした。
「絵を描くことを仕事にしたいと考えた先にあったのが、建築であり、設計だった」という話を同業の友人数人から聞いたことがあるのです。
その理由を聞いたとき、私はこの先、建築設計を生業にしていけるのか、とても心配になりました。

なぜなら、私は絵を描くことに苦手意識があったからです。

一方で、『今あるものに手を加えて何かをつくりあげること』については、得意とまではいわないものの、好きな部類に入っていました。
つまりそれは、『手がかりがあれば、そこからイメージを膨らませることが出来る』ということだったのです。

大学で建築を学ぶも、設計という行為にピンと来ず

建築学科に在籍中、設計課題に向き合う時ほど孤独でストレスフルな時間はありませんでした。

設計課題が発表された後は、自問自答の日々。
設計課題で想定される『施主(発注者)』と実際に直接話が出来ないということが、苦痛で仕方がなかったのです。

時に私は、設計課題にリアリティを求めて、取材をするという行動に出たことがありました。

それは、『美容師姉妹の家』という設計課題があったときのこと。

私が髪を切るのはいつも理髪店だったので、美容院がどんなところなのか判らなかったのです。

そこで、私は友人や先輩後輩の紹介で、何軒かの美容院を訪問して話を聞かせてもらうことにしました。
また、美容院で用いられる設備や道具のこともまったく知識がなかったので、メーカーのショールームを訪問したりもしていました。

実際に見聞きするとで判ることも多く、この課題に関しては比較的楽しく取り組めていたように思います。
※この課題の設定敷地が、実は町家の跡地だったことに気づいたのは、今の仕事を始めてからのことでした。

しかし、こういうことは小規模な設計課題では可能でしたが、それ以外については何をどうしてよいのやらまったくわからないまま。
卒業設計に至っては、『自身で課題を設定し、設計という行為を通してその解決に向けた提案を自身でつくる』ということが何一つ出来ず、私の設計課題の成績はどれも惨憺たるものでした。

今思えば、私の勉強不足や努力不足以外の何者でもなかったように思いますが、当時のこうした経験は「私は建築の世界には向いていない」との思いを強くし、建築設計という行為をトラウマ化させたのでした。

やがて私が気づいたこと

私には問題意識がないわけではありません。
また、「こういうことがしたい」などという思いがないわけでもありません。
しかし、私は自分で自身の問題意識に気づくことがあまり得意ではなく、自分一人で考えたアイデアのほとんどがつまらないものであるという経験を繰り返す中、『人の話を聴いていると、自分の中の問題意識がクリアとなり、色々なアイデアが出てくる』ということに気づきます。

それは建築や設計に限った話ではなく、『人の話を聴く』ことによって、『私の思考がドライブする』ということなのだと思っています。

私が調べたり考えたりしながら図面を描き、資料の作成をするのは、もちろん『町家を再生・改修し、活用するため』なのですが、『人の話が聴きたくて』なのかもしれないと思うこともあるほどです。

私が興味関心のある『人の話を聴くこと』と『今あるものに手を加えて何かをつくりあげること』の組み合わせが、今の仕事と相性が良いのかもしれないと深く思えたのは、ここ最近のことです。

町家再生・活用の仕事は楽しいことだけでなく、辛いことや苦しいこともたくさんあるのですが、それがこの仕事の醍醐味だとも思っています。



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