何左 昌範(なさ まさのり)/ささりな

一級建築士事務所ささりな計画工房 代表 『話を聴くこと』『線を引くこと』『文章を書くこと』が私の生業。 いまは奈良県大和郡山市を拠点として町家・古民家にまつわる調査や改修設計などを主な仕事としているけれども、これはいろんな人からいろんな話を聴きたくて辿り着いた現在地。

何左 昌範(なさ まさのり)/ささりな

一級建築士事務所ささりな計画工房 代表 『話を聴くこと』『線を引くこと』『文章を書くこと』が私の生業。 いまは奈良県大和郡山市を拠点として町家・古民家にまつわる調査や改修設計などを主な仕事としているけれども、これはいろんな人からいろんな話を聴きたくて辿り着いた現在地。

マガジン

  • 〇年前の今日、私はこんな記事を投稿していた

    私が過去に思考していた記録で、ブログやSNSに散在している投稿をnoteにまとめていきます。

  • 『仕事』と『働き方』の棚卸し

    『町家再生・活用の仕事に至るまでの自己紹介』のほか、今から十数年前、自営に転じようかどうしようかと思案していた頃に作った、『仕事』と『働き方』についての図表を文章にまとめ直しながら、これからの『仕事』と『働き方』を考えます。

  • 改修現場にて(町家・古民家etc.)

    町家や古民家などの改修現場で起こる『あれやこれや』のエピソードを紹介します。

  • ささりな計画工房の足跡(まちや建築、ヒトやコトなど)

    ささりな計画工房は一級建築士事務所ですが、事務所を開設するにあたり、屋号に『建築』や『設計』という文字を入れませんでした。 そんな『ささりな計画工房』がこれまでに手掛けた仕事などをまとめています。 ※投稿は順不同です。

最近の記事

『やぎさんゆうびん』に登場する“白やぎさん”と“黒やぎさん”の行動を深読みしてしまった時の話

10年前の今日、私はFacebookにこんな投稿を残している。 お互いにひたすらとぼけ合っているのだとしたら、両者の間に一体何があったのだろうかと考えた。 だから何だという話。 時にはくだらないことを考えるのも大事だと思う。 なお、冒頭の写真は、ひつじさんである。

    • 『啓蒙』でも『啓発』でもなく『教養』

      10年前の今日、私はFacebookにこんな投稿をしていた。 この日の私に何があったのか。 私は手元に保管してある手帳を確認することにした。 Facebookへの投稿は11月9日の未明。 前日に神戸からの客人と大和郡山城下町にて『奈良・町家の芸術祭  はならぁと』などを見て回り、その晩はその客人達との酒席を設けていた。 席上、我々は町家が失われていくことに憂い嘆き、町家の再生や活用に所有者が前向きになれるようにするにはどうすればよいかについて話していたのだろう。 そして

      • ささりな計画工房の足跡(3):業務用の小麦粉袋でエコバックをつくる(展示会への出品)

        ささりな計画工房は一級建築士事務所ですが、事務所を開設するにあたり、屋号に『建築』や『設計』という文字を入れませんでした。 そんな『ささりな計画工房』がこれまでに手掛けた仕事などをまとめています。 ※投稿は順不同です。 エゾシカエコバッグ展日 時:2018年4月27日(金)~5月11日(金) ←イベントは終了しています 場 所:豆パン屋 アポロ 2階 事務所近くにある馴染みのパン屋さん『豆パン屋 アポロ』が開店15周年を記念して『エゾシカエコバッグ展』を開催することとなり

        • もしも私が名乗るなら

          10年前の今日、私はFacebookにこんな記事を投稿していた。 私が『建築家』を名乗ることは、今も昔も将来的にもないのだが、建築士として設計し、監理する際の立ち居振る舞いとしては『ファシリテーター』でありたいとは常々思っていることである。 ちなみに、『ファシリテーション(facilitation)』や『ファシリテーター(facilitator)』の定義について、特定非営利活動法人 日本ファシリテーション協会のホームページにはこのように説明されている。 文字に起こすとこ

        マガジン

        • 〇年前の今日、私はこんな記事を投稿していた
          8本
        • 改修現場にて(町家・古民家etc.)
          3本
        • 『仕事』と『働き方』の棚卸し
          2本
        • ささりな計画工房の足跡(まちや建築、ヒトやコトなど)
          4本

        記事

          訃報に触れたとき

          私がそれなりに歳を重ねて経験を積み、『お年頃』になったということなのだろうか。 知人や恩師や親族など、誰に対してもそうなのだが、その人がこの世から去られたということを知ると驚きを持って受け止めるも、直後にはあらゆる感情が極限まで抑制され、「そうか、亡くなられたか…」という言葉にしかならないことが多くなった。 加えて、故人を(断続的に)偲ぶ期間が長くなってきたように思う。 その人との付き合いが長いか否か、あるいは濃密だったか否かは関係なく、忘れた頃にその人のことを思い出し、

          感情もさることながら、とりあえず動く ~物事に取り組む前の心構え~

          人は悲しいから泣くのではなく、面白いから笑うのでもないらしい。 その証拠に、悲しくもないのに泣いていると、なぜかしら悲しくなってくるし、面白くもないのに笑っていると、なぜかしら面白くなってくるのだという。 感情が涙や笑いを生み出すのではなく、順序が逆なのだという話。 これは、落語家の桂枝雀さんが噺の冒頭にマクラとして喋っていたもので、「つまらないと思う話でも、笑っているうちに面白いと思えるようになってくるのだから、私の落語が面白かろうが面白くなかろうが、兎にも角にもまず笑

          感情もさることながら、とりあえず動く ~物事に取り組む前の心構え~

          ささりな計画工房の足跡(2):奈良町の町家と町並みの魅力を伝える三部作(共同制作)

          ささりな計画工房は一級建築士事務所ですが、事務所を開設するにあたり、屋号に『建築』や『設計』という文字を入れませんでした。 そんな『ささりな計画工房』がこれまでに手掛けた仕事などをまとめています。 ※投稿は順不同です。 はじめに 「奈良町」は、奈良時代の平城京の外京(げきょう)と呼ばれるエリアを中心に形成されました。現在では、近鉄奈良駅界隈を境として北側の「きたまち」と南側の「ならまち」、ならまちの東に広がる閑静なまち「高畑」を総称して「奈良町」と呼ばれています。 今回

          ささりな計画工房の足跡(2):奈良町の町家と町並みの魅力を伝える三部作(共同制作)

          果たす役割があるならば、私が何者でも構わない

          12年前の今日、私はFacebookにこんな記事を投稿していた。 『私はこうありたい』と考えることは大事だが、『私は何者か』を考えたところで、私がリアルタイムに自覚することはほぼ不可能だと思う。 なぜなら、それは私の周辺環境が作り上げるものであり、私の後についてくる『おまけ』のようなものだから。 公私を問わず、有形無形に関わらず、どんなに些細なことであったとしても、私の目の前に自身の果たすべき役割があるならば、それが私の生きる力になるのだと思う。

          果たす役割があるならば、私が何者でも構わない

          困った時には気兼ねなく困りたい

          学生時代の話である。 研究室の仕事の一環で、某所にて合宿しながらワークショップを行うということとなった。 私はそのお世話係をしていたのだが、その間に、まったく何も問題が起こらないなんて事はあり得ない。 むしろ、大小入り交じった問題だらけといった方が正しい。 そして、またトラブルが発生するのである。 「…困りましたねぇ。」と、例のごとく私が呟く。 この呟き、目の前の人達には私が困っているようには聞こえないらしく、後輩君からは「なささんっていつも飄々としてますよね」などと

          困った時には気兼ねなく困りたい

          空間に佇み、その発する言葉に耳を傾ける

          建築学生時代に故・外山義先生の演習を受けたことがある。 「気になる空間にしばし一人で静かに佇み、その空間が発する言葉に耳を傾けてレポートせよ」とのお題。 (変わったこと言う先生だなぁ…)と思ったものの、文章を書くことは嫌いではないので、面白がってレポートを書いた記憶がある。 某所で一人、空き町家の実測調査をしていた時のこと、お昼過ぎに少々草臥れた私は、通り土間に向かって『みせのま』に腰を掛けた瞬間、その演習のことを思い出した。 言葉ではなかったけれども、何かを訴えてき

          空間に佇み、その発する言葉に耳を傾ける

          記憶は溶けて芯だけが残る

          12年前の今日、私はFacebookにこんな投稿を残している。 また、同じ日にこんな投稿も残していた。 当時の私に何があったのかは思い出せない。 だが、12年経っても私は同じ事を考えている。 12年間変わらずに同じ悩ましさを抱えながら。

          自己紹介 ~町家再生・活用の仕事に至るまで~

          今でこそ建築設計事務所を営み、町家の再生・改修設計とその関連が仕事の大半となっていますが、最初からこういうことをやりたいと思っていた訳でありませんでした。 大学卒業後は、大阪の独立系シンクタンクに入社 地方自治体からの業務委託が専らで、行政計画、産業・経済、健康・福祉、環境・景観など、幅広い分野にわたる課題や事象を対象とした調査や研究を行い、結果を報告、時には解決策を提示したりする会社でした。 私が多く携わったのは『住民主体のまちづくり』に関する業務 地域で暮らす様々

          自己紹介 ~町家再生・活用の仕事に至るまで~

          フォトジェニックと言うよりむしろフェティッシュ

          町家改修工事の定例打合せのために現場を訪れると、お施主様が険しい顔をされていた。 「どうかしましたか?」 私がこのように尋ねると、お施主様からはこんな答えが返ってきた。 「現場から腐った臭いがする。」 私はその時、一体何を言われているのかよく判らなかったのだが、とにかく現場に入ってみることにした。 現場では左官屋さんの作業が始まっており、竹小舞には荒壁の土が塗り付けられていた。 数日前までは、竹小舞から建物内に差し込む陽光がきれいだなと思っていたが、土が塗り始められ

          フォトジェニックと言うよりむしろフェティッシュ

          『町家の再生と活用とその実際』について話をします

          ならまち格子の家の企画で、私が所属する『なら・町家研究会』が奈良町で町家についてのパネル展と講座を開催します。 ※パネル展は開催中です。 なら・町家研究会第32回パネル展2024 ならまち今確かな時を見る 『町家の再生と活用とその実際』  ~豊かに暮らす秘訣~【パネル展】 日 時:2024年9月8日(日)~27日(金) 会 場:ならまち格子の家 離れ     ※入場無料、申込不要 【講座】 日 時:2024年9月21日(土)14時~15時半 会 場:ならまち格子の家 つ

          『町家の再生と活用とその実際』について話をします

          私が私から解放される日は来るのか

          私は、拝郷メイコさんがTwitterに投稿したこの言葉に釘付けになったことがある。 私はその日のうちに、自身のFacebookでこの言葉を引用投稿している。 2017年9月13日に私は、その引用投稿を偶然発見し、改めてノートに書き留めた。それが冒頭の画像である。 そして今日、不意にこの言葉をまた思い出し、今度はnoteに書き付けている。 私はよほど、この言葉が気になっているようだ。 気になる度に、私の頭の中でリンクする言葉も紹介する。 よほど私は窮屈な思いをしているの

          私が私から解放される日は来るのか

          保留することができる余裕と勇気

          11年前(2013年)の今日、私はFacebookで、こんなことを書いていた。 当時の私は内田樹さんの書籍を読み漁っていて、その中にこういうことが書いてあり、それをおおよそトレースしたのがこの投稿。 『待ったなし』や『決断が迫られる』などといった、考える余裕を失わせるような言葉が世に飛び交っていたことについて、私は大変つらい気持ちを抱えていたと記憶している。 そんな時に、心底共感できる言葉を得ることが出来て、とても救われたのだ。 「何も決めなくてよい」と言っているわけ

          保留することができる余裕と勇気