見出し画像

【第2章】 エディブルフラワー 〜前編〜

第1章『 夢現神社 〜前編〜 』
前話 『 夢現神社 〜後編〜 』

『恐』おみくじを引いた翌日の午後、本社の人事部に呼び出された私は、物流倉庫への異動を突然命じられた。

 物流倉庫とは、全国各地の契約農家さんたちから直送されてくる大量の無農薬野菜やお米、果物などをすべて検品し、直営店三十店舗へ振り分け配送するための場所である。

 会社にとって心臓部ともいえる物流倉庫がとても重要な職場であることは理解していたものの、私はこの異動命令に立ち眩んでしまった。

 なぜなら、物流倉庫での仕事は朝の七時から夕方五時まで、昼休憩一時間を抜いた九時間びっちり、倉庫内でのハードな肉体労働を強いられ、休日は日曜日のみという週休一日体制になっているからだ。

 しかも、ここへ配属される社員は男子だけだったはず。
 なのに、なぜ、女子の私が物流倉庫へ……。

 汝、遠くへ飛ばされ、ひどい仕打ちを受ける日々を過ごすことになる。
 肉体、精神ともに疲労困憊……。

『恐』おみくじに書かれていた呪われし言葉が、頭の中をぐるぐると渦巻く。

 あんな不吉なおみくじを引いたせいで、こんなひどい目に遭わされているに違いない。

 心の中で、『恐』おみくじの呪いのせいにしながらも、本当は物流倉庫へ異動になった原因が自分にあることを重々承知していた。

 物流倉庫への異動を命じられた社員のほとんどは、仕事で大きな失敗をしでかした者や、営業成績がいちじるしく悪い人たちで、一ヶ月も持たずに会社を辞めていた。

 つまり、物流倉庫は会社のリストラ対象者が送り込まれる、流刑地なのだ。

 入社以来、十年間ずっと同じ店舗で、アルバイトさんたちと一緒に単純作業に明け暮れていた私のような向上心の無い無能社員は、会社にとってお荷物でしかないのだろう。

 使えない万年ヒラ社員の給料を払うくらいなら、働き者のアルバイトさんを数人雇ったほうがいいに決まっている。

 もしかしたら、店長の優子は私が物流倉庫送りの対象者になっていたことを事前に知っていて、それを食い止めようとして、一緒に旬の野菜フェアー企画を考えようと声を掛けてくれたのかもしれない。

 だとしたら、なおさら、四歳年下の後輩店長にまで余計な気を遣わせてしまう、ダメダメ社員の私が物流倉庫へ島流しにされるのは当然のことだ。

 すっかり気落ちしながらも、三十二歳の今から別の会社へ転職する勇気も湧かない私は、とにかくこの会社にしがみつけるだけしがみつこうと決心し、翌朝五時の始発電車に乗って片道二時間かけ、新しい職場となる物流倉庫へ向かった。

 けれども、物流倉庫での仕事は、しがみつけるだけしがみつくほどの体力と精神を根こそぎ削がれるほど辛くて厳しいものだった。

 倉庫内はものすごい量のホコリが舞っていて、勤務中ずっとマスクをしていてもノドを痛めてしまうほどで、家に帰ってからも激しく咳き込むようになってしまった。

 それに、ずっと立ちっぱなしの力仕事が多いので、腰や背筋、腕や脚といった全身の筋肉や関節がギシギシと痛み、満足な睡眠が取れなかった。

 物流倉庫で働いている作業員の大半はパートのおばさんやおじさんたちで、常に時間に追われる仕事をしているためか、いつもイライラ、ピリピリしていて、私が少しでも作業にもたついていると、すぐにヒステリックな金切り声で罵倒された。

 それでもなんとか、今日で物流倉庫勤務の四日目を迎えることができた。

「コラ~! なにをボケ~っと突っ立ってるんだ! さっさとそこのダンボールをあっちへ運んで検品してこい! 発送までの時間が無いって言っただろうが!! ノロマ! ボケ! カス!」

 鬼瓦のようなイカツイ顔をしたセンター長に大声で怒鳴られた私は慌てて、無農薬野菜がいっぱい詰められた重たいダンボール箱を両手に抱え、歯を食いしばりながら、ヨロヨロとふらつきながら歩き出す。

 検品場所までなんとか運んできたダンボール箱を開けた私は早速、リスト表と照らし合わせながら、新鮮な野菜をひとつずつ取り出してチェックし始めた。

「あれ? これ、なんだろう……」

 ダンボールの中に詰められていた野菜の他に、リスト表に載っていない色とりどりな物が紛れていた。

 それは、プラスティック容器の中にパッケージされた、赤や黄、紫といった色鮮やかな可愛らしい花冠だった。

1章/花パック

「きれい……」

 思わず、花冠が詰められたプラスティック容器を手にしたまま見とれてしまう。

 それはまるで、暗澹たる牢獄に咲いた、天使の花々のようだった。

「ちょっと、アンタ! サボってないで、さっさと次の仕事にかかりなさいよ!」
 パートのおばさんに怒鳴りつけられ、
「あ、すいません、すいません。すぐに取りかかります……」
「まったく、社員は使えないねえ!」

 私はあたふたと、空になったダンボール箱と花の入ったパック容器を持って、パートのおばさんから逃げるように駆け出した。

 ダンボール箱を所定の置場へ投げ捨てた私は、そのまま倉庫の外へと抜け出し、周りに誰もいないのを確認すると、リスト表に書かれていた荷物の発送元である契約農家さんへ、自分の携帯電話から連絡してみた。

 リスト表に載っていない品物が間違って送られてきた場合、着払いで発送元へ送り返すか、こちらで処分することになっているのだけれど、なぜだか私はこの花のパックが無性に欲しかった。

 受話器の向こうで呼び出し音が数回鳴った後、
「はい」
 契約農家さんが電話口に出てくれた。

「あ、お世話になっております。あの、私、『ナチュラルン』の物流倉庫で仕分け作業をしている者なのですが、本日入荷したダンボール箱の中に、発注外のお花がパックされた容器が入っていたもので、できれば、私が自費で買い取らせていただければと思いましてご連絡させていただいたのですが、おいくらでしょうか……」

 伝えたいことを一気に話し終えた私へ、
「いやいや、こちらの手違いでエディブルフラワーを送ってしまい申し訳ありませんでした」
 契約農家さんはやさしい口調で、
「お詫びと言ってはなんですが、お代はいりませんので、どうぞご試食ください」

「え? このお花、食べられるんですか?」

「ええ。無農薬で栽培している食用花ですから、安心してお召し上がりください」

 私は手に持っていたプラスティック容器の中に整然と並べられている赤や黄色の花冠を見ながら、
「あの、どうやって食べたら……」
 契約農家さんへ尋ねようとした矢先、鬼瓦センター長が倉庫から外へ出てくるのが視界に入った。

「あ、じゃあ、ありがたく食べさせていただきます!」

 私は大慌てで携帯電話の通話を切ると、センター長に見つからないように物流倉庫の裏手へまわり、周囲を伺いながらロッカー室へ向かうと、お花のパックを自分のロッカーへそっとしまった。

 そして、いかにもトイレへ行っていたふうを装いながら、重たい野菜がいっぱい入っているダンボール箱を両手に抱え、検品場所へと運び始めた。

 重量二十キロはある野菜のダンボール箱を運ぶのはきつかったけれど、私の心はいつもより少しだけ明るくなっていた。

 あんなにきれいなお花が食べられるなんて知らなかったなあ……。
 いったい、どんな味がするんだろう?
 たしか、エディ……なんとかフラワーって言ってたよね。
 家に帰ったら、「食べられる花」でネット検索してみようっと!

 その後も、鬼瓦センター長や、ヒステリックボイスのパートのおばさんたちに怒鳴られ罵倒され続けたけれど、頭の中はエディなんとかフラワーのことでいっぱいで、辛くなかった。

第2章『 エディブルフラワー 〜後編〜 』へ続く。。。

いいなと思ったら応援しよう!

神楽坂ささら
いつも温かい応援をありがとうございますガァ。物語がお気に召したらサポートいただけますと大変嬉しいガァ。いただいたサポ―トは、資料本や取材費にありがたく使わせていただきますガァ。