パリパラリンピックのインプレッションから横浜国際プール問題を考えてみる(その1)
セーヌ川に陽射しが映り込みパリの街が輝く。パラリンピック閉幕から一月、遠い昔の記憶のようでもあり、熱狂がすぐ間近に蘇ることもある。20年前、アテネ(2004年)でパラリンピックの現地取材を始めてから、この夏の祭典を20年、6回追いかけてきた。そして今、パリでの経験を胸に、あらためて「パラスポーツの街づくり」という命題に、新たな光を見出そうとしている。
今回、出発前から特に気になっていた地元・横浜の「横浜国際プール廃止問題(PARAPHOTO 記事)」を視野に、思索の一端を共有したい。
(パラ水泳の聖地・横浜国際プールがなくなる?!Yahoo News!版 佐々木延江)
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/8cf9dfab4d3a82496370bd0d72ff5930e055c918
1. パリの「開かれた大会」の衝撃
今回のパリで最も衝撃的だったのは「開かれた大会」がコンセプトだったこと。大会前、フランス人は「スポーツで社会を変える」という信念というかオーラを感じていた。さすがだなと思った。パリでは本格的なレガシー計画が展開されていることだろうとワクワクした。しかし、実際にはフランスでも市民の「スポーツ離れ」に直面し、「開かれた大会」は現実的で切なる願いからくる戦略だった。
パリでは、多くの既存施設を活用するほか、観光名所を競技会場に改修した。スポーツ愛好家だけでなく、幅広い人々の関心を集めた。セーヌ川、シャンゼリゼ通りでのパレード、セレモニー、そして市内25箇所に設置されたファンゾーンでは、大画面でのパブリックビューイングやファンサービスのイベントで市民が気軽にスポーツに触れられる工夫が凝らされていた。入場無料で、障害のある人と介助者は優先的に入場できた。
これらの取り組みは、単なる大会の盛り上げではない。長期的なスポーツの普及と、誰もがスポーツを享受できるバリアフリーな生活環境を意識して目指したものだ。
(パリパラリンピック閉幕の記事/Paraphoto 丸山裕理)
https://www.paraphoto.org/?p=42358
日本の街づくりにも「開かれたスポーツ」の意識が重要だ。スポーツを特別な、華やかなものとしてではなく、新しいテクノロジーやアート、見直される歴史観など、人の営みの一つ、街の日常的な「風景」として捉える視点が必要だと思う。
2. 「スポーツの力」から「文化の力」へ
パリ取材を通じて私は「スポーツの力」だけでなく「文化全般」の重要性に気づかされた。オリンピック・パラリンピック競技の開催を通じてさらに育まれる多様な文化への「こだわり」「願い」「祈り」のようなものが、持続可能な、住みやすい街づくりの原動力になると感じた。
パリでは、応援が、市民の日常生活や芸術、教育と密接に結びついているとも感じた。当初、懸念していたことに「熱狂」は、オリンピックのみに当てはまりパラリンピックへの関心は低いのではないか?と危惧していたが、良い意味で裏切られる形となった。オリに劣らずパラにも多くの観客が、しかも地元の市民が会場を埋め尽くしていた。「パラスポーツの地域への浸透」という意味で理想形を見ることができた。
出発前のある選手が「スポーツ感度の高いフランス人に、最高の姿を見せ夢中にしたい!」と話していたことが現実に起きたのだ。
日本でもさまざまな社会課題へのアプローチをしつつ、スポーツで社会を変えたいし、市民文化醸成の機会としてスポーツを捉えなおし、深刻なスポーツ離れに歯止めをかける戦略を持ちたいと心から願う。
3. 「パリの社会課題」と「横浜国際プール問題」から見える日本文化の衰退
しかしパリの活気とは対照的に、日本ではスポーツインフラの縮小が進む。その象徴が「横浜国際プール再整備計画(素案)」による問題だ。
パリでは、スタット・ド・フランス、パリ・ラ・デファンスアリーナ、エッフェル塔やベルサイユ宮殿など95%以上既存施設を活用し、観光名所を仮設の競技会場にした。費用の問題がオリパラ開催都市の経済を圧迫し、開催へ異議を唱える人々を世界中に増やしてきた問題への対処で成功した戦略だった。特に本来スポーツ専用ではない観光名所の活用は、スポーツファンだけでなく幅広い文化を共有できる、来街者へもアピールとなった。
新設された競技会場はアクアティクスセンター(オリンピック水球/シンクロナイズドスイミングなどで使用)、ル・ブルジェ・スポーツクライミング場、アディダスアリーナ(バドミントン)の3会場と選手村だった。アクアティクスセンターはスポーツ施設が不足するサン・ドニ地区を再生させるレガシーの象徴となっている。
また、200〜300年の歴史あるパリの街は、深刻な「バリアフル都市問題」を浮き彫りにした。10年足らずではどうにも対処できず、決して万事うまくいったとはいえない上、交通アクセシビリティの問題は深刻だった。
車いすでの地下鉄移動は困難を極めるし、バスは都心で渋滞に巻き込まれまともに移動できる交通手段が非常に限られていた。
アコモデーションも、ポルト・マイヨーの大会関係者が宿泊するハイアット・リージェンシー以外は交通機関への接続の都合で車いすでの宿泊は難しかったようだ。(これらは2012年ロンドン大会も同様だったように、パリもさらに遅れているとして認識された。)
このように日本の何倍もハード面は厳しい中、人々のサポートには大きな努力が感じられた。電動車椅子の記者と一緒だったので、状況を詳細に見極めることができ、彼がパリにきてくれた勇気に敬意を表したい。
(「あわちゃんのバリパリ観戦記!」パラフォト公式Instagramコンテンツ)
https://www.instagram.com/paraphoto_official/
また、パリ市民がこの大きな課題を自覚・共有し、これから時間をかけて改善していくことを強く誓った。結果として大きな進歩があったと言えると思う。
そして、「泳ぐことへの思い」として、パリ大会を象徴する課題は、やはりセーヌ川の水質対策だった。莫大な費用がかかっているうえ、ギリギリまで健康被害も心配されていた。しかしアンヌ・イダルゴ市長の「セーヌ川で泳ぎたい」というポエジーは最後まで生き続けた。なぜか?「泳げるセーヌ川」の復活は環境対策に優先順位に置くヨーロッパ先進都市の歴史的な注目だった。汚染が進むセーヌ川の遊泳が禁止されたのは1923年、水泳ができるようにする取り組みは3世紀続いているという。オリンピックの演出で思いついたことではない。だからこそ、重い責任とリスクを負担しつつ競技(トライアスロン、OWS)が行われたのだ。
パリでは、あらゆる社会課題を最高峰のスポーツで背負おうとした。まさに社会課題のオンパレードだった。そして、それができると信じて取り組んできた。結果として市民に受け入れられ、おおむね支持されたのではないか。カヌー競技のチャンピオンだったトニー・エスタンゲ氏によるディレクションには学ぶものがいっぱいありそうだ。
そうして、2030年に向けたCOP21=温室効果ガス排出削減目標に取り組み、パリ市民が認識する深刻な社会課題をスポーツの力で解決することは、悲願であり、まちづくりだった。市民に開かれた大会にすることで、注目を集め課題を共有し、それをオリパラの「レガシー」と位置付けた。スポーツの持続可能性を求めるというのはこういうことではないか。全ての人にとって意義のある課題解決により、最終的に移民や障害者が住みやすいパリとして繁栄する。
一方、より深刻なスポーツ離れのなか、横浜国際プール問題の解決にはパリのような課題解決の素朴な視点はあるだろうか。
筆者が6月の記者会見でこの状況に触れたとき、プールを運営・使用してきた水泳関係者、競技ボランティア、パラ水泳団体は横浜市への不信感に悩んでいた。
横浜市は、過去に自分たちが切り拓いた「誰もが使いやすい国際競技用プール」造営計画の歴史や、そこに育まれたパラ水泳大会運営の価値ある経験、文化を知らなかったのか。そう考えなければ理解できないほど、決して少なくない競技人口に対して素っ気なく、まるで面倒な箱物の手続きを踏むように、乾いた心でこの問題に携わっているようにしか見えない。
横浜国際プールの問題は、単に水泳界だけの問題ではなく、日本のスポーツ文化、街づくり、福祉、そして子どもたちの未来を左右する問題として、捉え直しより良い未来を示す必要がある。
4. メディアのこれから
深刻なスポーツ離れに直面する日本において、メディアの役割はますます重要になっている。
私たち(Parahoto)は、これまで草の根の活動でパラスポーツを伝える報道を続けてきた。東京2020パラリンピック開催を機に、多くのマスコミがパラスポーツを報道するようになったが、その関心は継続するだろうか。記者一人ひとりは、マスコミも草の根もなく同じパラスポーツを支援する気持ちがあるが、もっと深く掘り下げて、持続可能性を導き出す取材・発信を意識を持って行う必要があるのではないか。
マスメディアは記者発表されたことだけでなく、積極的に調査、取材し、より精度の高いデータを分析し、現場で考えて情報発信できるようになってほしい。スポーツだけでなくあらゆる文化振興へのリテラシーを高め、もっと市民社会をより良い方向へ導くことができると思う。
情報を受け止める市民も、提示された精度の高い記事を選択・活用し、コミュニティで議論すれば、市民としての活動をより豊かなものにしていくことができるのではないだろうか。フェイクニュースや不信感のある状態を人任せにせず脱却しないといけない。
インターネットが普及し「誰もが発信できる時代」となって久しい中、市民ジャーナリストは、自分自身で情報を取捨選択、分析・発信できる時代になったと思う。私たちもすでに草の根ではないのではないか。一人ひとりがリスクと責任を担う学びには終わりがない。
5. 世界での活躍を、地域で誇りたい!
やはり、横浜市にぎわいスポーツ文化局の「横浜国際プール再整備計画(素案)」は、「障害の有無によらず泳ぎたい市民も使える競技用プールを無くしてもいい」と、「オリンピック・パラリンピックのレガシーは東京都の管轄」と、考えているように見えてしまう。
プールの再整備に対して「どうせ市民には関心がなく、粗末な案でも騒がれないだろう」と考えたのだろうか、または「調査にも費用がなかった」のか?と疑ってしまう。議論のアリバイを作ろうとパブリックコメントを募集したところ、3000通を越す前代未聞の意見が集まった。その半数以上が再整備案に賛成という一方、半数に近い人々が反対を唱えていることが市から発表されているが、集計に偏りがあると、新聞各社からも指摘され行政職員の仕事への信頼が損なわれている状況だと感じる。
横浜国際プールで、30年近い水泳競技の取り組みによる地域ぐるみの文化が育まれてきた。特にパラ水泳では、東京、パリで活躍、多くの誇らしい成果を上げている。いま日本でも多くの地域では、パリで活躍したパラアスリートの表彰式が行われているが、横浜での表彰は少ない。
★お詫び:「横浜市スポーツ栄誉賞」がありました。申し訳ありません。
(パラ水泳ジャパン、パリの日々を振り返って Paraphoto 佐々木延江)
https://www.paraphoto.org/?p=42662
横浜市が大きく誇れるものが、ここにあるのにも関わらず、スポーツ振興課に「パラスポーツの担当者がいない」ことが、豊かなパラスポーツ文化への市民アプローチを阻んできた。
(★追記:横浜市のスポーツは、にぎわいスポーツ文化局だが、パラスポーツは健康福祉局が所管している。神奈川県のパラスポーツは、文化スポーツ観光局スポーツ課。)
ところで、今年から横浜市はスポーツ振興の管轄を「市民局」から「にぎわいスポーツ文化局」と変更したが、その変更の理由はなんなのか?もしわかる人がいたら教えてください。
今回は、以上です。
次の「パリパラリンピックのインプレッションで横浜国際プール問題を考えてみる(その2)」では、具体的な事例を交えながらスポーツ離れの克服と、パラスポーツを通じた街づくりの未来について考えてみたいと思います。お楽しみに!
(写真・Manto Artworks)