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『インサイド・ヘッド2』字幕版を観てきた

※366日間チャレンジ、230日目。

先日、新宿で姪っ子(年下の方)と二人で『インサイド・ヘッド2』の字幕版を観てきた。
吹き替え版がほとんどで、字幕版を昼間からやっている映画館がほぼここしかなかったのだけれど、私には英語の音声で観たいというこだわりがあったのだった。

吹き替えの音のリズムと、英語の音のリズム、単語の含んでいる意味なども、日本語と英語じゃ全然違う。
特に私は日本語吹き替えによくある
「んー」
とか
「あー」
とかの不自然な間合いが大嫌いなのだ。

で、映画の内容なのだけれど、今回特に重要となる
『anxiety』
という単語が使われているのが、いかにも主人公が子供から大人になろうとしている中で取得した新しい感情なのだな、という気がした。

心配、と訳されるanxietyだが、似たような単語のひとつに『worry』がある。
でも、anxietyとworryでは、その単語に含まれる感情の複雑さが全く違う。
worryは、心配と言っても割と具体的でそんなに深くない感じがするが、anxietyというと、自分が自分でいられなくなるような恐怖を伴った未来への不安で、「このままではいけない気がする」「なにかしなければいけないような気がする」という、何らかの行動を起こさないといけないような強迫観念が含まれている。

いかにもmatureな感情である。

もちろん、『〜かもしれない』という未来予測思考は、用意周到な行動を促す良いものでもある。
逆にそれがなければ、しっちゃかめっちゃかな人になってしまうかもしれない(笑)。

しかしこの映画では、その想いの芽生えが実に鮮やかに描かれていて、
「大人が泣く」
という感想が多いのがよくわかった。
これはお子様にはわかりづらい感情だろうと思う・・・ある程度の人生経験を経て、初めて、anxietyがどれほど孤独か、不安か、自分が自分ではいられないような謎行動をとってしまうか(そして時にそれが黒歴史となってしまうか)がよくわかる年齢になって初めて、ドスーンと来るものなのだろう。

しかもそのanxietyが、自分にとって初めての感情だったら、そりゃどう扱っていいか分からなくて混乱するだろう。
もう、今となっては、自分の初anxiety体験がどんなものだったのか、思い出せないけど、きっとすごく不安でビックリしただろうな、という気がした。

そして、映画の最後、エンドロールに、
This film is dedicated to our kids. We love you just the way you are.
というメッセージがババーンと出てきて、それを見たらまた泣けてきてしまった。

自分もまた、父母の子供だから。

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