5歳の頃の私は傷ついていた
昨日、実家に帰り、大掃除の手伝いをした。
押し入れに幼稚園のときの制服や卒業アルバム、小学校の図工の時間に描いた絵がたくさんあるので、片付けることにしたのだ。
その中で、衝撃だったのが、5歳のときに描いていた絵だった。
「さくら」や「なつやすみのおもいで」など、テーマに沿って描かれた絵の中に
「おとうさん」がいくつかあったのだが、父親の絵だけ全部顔が笑っていなかった。
父親の絵だけ、ぜーーーーーーんぶ口がへの字。
ホラーゲームに出てくる、闇を抱えた一家の子どもが描いたような、子どもの絵なのにどこか重々しい雰囲気の絵がそこにあった。
ショックだった。
それを描いたのが自分であること、
でも父親に対して良い思い出がないのも事実で。
それを決定づける絵を見てしまったことに心が耐えられなかった。
私の家は、両親が離婚しており、母親に引き取られて育った。
小学校低学年の頃は、父親が離婚したいと暴れ出して、両親が喧嘩しているのは日常茶飯事だった。
幼稚園の頃までは両親が仲良くしていたから、「どうしてこうなったのだろう」と小学生の頃は悲しい気持ちを抱えていたのをよく覚えている。
でも、絵を見る限り、幼稚園の頃から何かもう歯車はずれ始めていたのだろう。
母親や妹、友達を描いた絵は笑っているのに、父親の絵だけ全部口がへの字だったのがその証拠だ。
思えば、運動が苦手で、幼稚園の運動会のかけっこではいつもビリだった私。
運動が苦手なりに頑張って走っていたのに、父親に「隣の家の◯◯ちゃんは足早いから1位だったね」と言われたのを今でも覚えている。
引っ込み思案で、弱気でいじめっ子からターゲットにされていた私。
休みの日に近所のショッピングモールで、同じクラスの子にお小遣いを取られたのに、父親には「なんでお前はお金を取られているんだ!」と言われた。
長期休暇の時に父親の実家に帰ると、父親は姉と兄にいいようにこき使われていたのを覚えている。多分、弱い立場だったのだろう。
だから、自分の娘が明らかに弱いのが嫌だったのだと思う。
でもそんなこと知らん。
なんで私がそんな扱いを受けなきゃいなかったのか。
許せないし、許す気もない。
まあ、もう父親とは連絡も取っていないから、一生話すことはないだろうけど。
だから、今の私にできることは、本当はつらくて泣きたかったあの頃の、5歳の頃の私を癒してあげることだと思う。
5歳の頃の私を心の中でイメージすると、大泣きしている。
あの頃、つらかった、悲しかった、もっと褒めて欲しかったと大泣きしている。
もう泣き疲れて、喉も痛くて、声がガラガラになっているのに、ずっと泣き続けている。
5歳の頃の私へ
つらいよね、つらかったよね。
かけっこにがてだけどがんばったし、おかねをとられたときはミカタになってほしかったよね。
おとうさんのことはムリにゆるさなくていいよ。
そのかわり、いまのわたしが、
あなたをもっとえがおにさせてあげるから。
いっしょにしあわせになろうね。
わたしは、あなたのことがせかいで1番だいすきだよ。
であってくれてありがとう。