フルリモート勤務になって会社に思うこと
フルリモートしている会社で新しくnoteを始めることになった。
書きたいことを書きたい人が自由に書く形式なのだけど「フルリモートになって関わり方の変化とか書いてよ〜」とリクエストがあった。
世に出したら会社の広報としてプラスになる文章になるのか?という疑問が湧いているので、一旦、自分で整理したいと思う。
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一時帰国した際に、会社の飲み会に参加した。楽しく参加していたけど、いっとき自分以外がワイワイと盛り上がって話しているのをぼんやりとみて「私には私の生活があるんだな」とスッと思ったことがあった。
今、私の家は日本にはなく、帰るのは外国。
出社して雑談はさみつつ仕事をするのではなく、一人でモクモクとPCと向き合う。
会社も会社の人も運命共同体ではない。日本にいたって、人それぞれ人生があるのは変わらないけれど、そう実感したのは始めてだった。
目が覚めたようなかんじだった。ずっとここ(会社)にいられるわけじゃない。リモート勤務ができていることに甘えていたのかもしれない。
加えて
・自分の仕事範囲がせまくなっている
・日本に本帰国したときもリモート勤務をしたい
ということから、
・自分のバリューをどこにするか、どの分野で事業に貢献するか
・自分のコアスキルとそれに付随するスキルを意識的にわけて、どこをどうやって伸ばしていくか
を考え始めることになる。
人のお言葉をかりるとこれがぴったり。
「会社」という枠組みから外れて、「自分」だけになった結果、自分のことを四六時中考えるようになる。自分はなにができるのか? それによってなにがしたいのか? 自分の願望や好みが浮き彫りになっていく。
今までずっと会社というフィルターを通して考えていたが、それを外して自分を直視するようになった。その結果、「ああ、自分がほんとうにやりたいことはこれなんだな」「おれってこういうのが好きだったんだな」と新しい発見がある。
同時に課題も浮き彫りになる。だれかとの雑談が減った。自宅で働いているとマンネリしがち。マネジメント難しすぎる。足りない能力いっぱいあるな。それらをこれから一つずつ潰していこうと思う。できれば愉快に解決したいものだ。
(引用:会社をやめて半年が経った。)
そのあたりはこの振り返り週報の「仕事について」で書いていますね。
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とりあつかっている社会課題に関しては、考えるというか、思いを巡らす時間は減りました。社内のなにか盛り上がりに、気持ちがついていけないこともあります。
それに気づいてちょっと悩んだこともあるけど、今はこれで良いと割り切っている。
フルリモートになる前は、とりあつかっている社会的な課題やビジョンへの共感度が高くない場合、仕事するのが辛いときもあった。
今は、自分が伸ばしたい分野と会社で伸ばす余地がある分野のかさなるところを探して、実行できる余地があると感じている。だから、続けられるのだと思う。
(またしても素晴らしく言語化してくださっている方がいたので、追記して引用します。)
私が所属してた会社にリクルートとDeNAという会社があります。
どちらも優秀な社員が多く、自分たちの会社や仕事に誇りを持って好きで働いてる人が多い会社だと思います。
でもこの2社で「会社のビジョンに共感したから」と言って働いてる人に出会ったことはありません。それよりも個人としてその場所にいる理由がはっきりしてる、個人の理由を1番叶えられるのが今の場所だからいる!という人が大半な気がします。
自分の理由があり、自分で決めて自分の人生を生きてる人が多いわけです。
(中略)
ほんとうは
会社の中に自分がいるのではなくて、
自分の構成要素の中に会社や仕事があるだけです。
なので、自分がなぜその会社にいるのか、なぜその仕事をしてるのかを「他人の人生」ではなく「自分の人生」の中に置く、というのはとても大事なことのように思います。
(引用:会社と個人を一体化させない)
(追記おわり)
ビジョンへの共感性と仕事の質や貢献度の相関関係があるとすれば、今の状態は多少不安を感じることはある。
でも、自分がやりたいことで、求められていることを、(頭に汗をかきながら)淡々と打ち返す。成果を出す。喜ばれる。仕事以外の自分のアウトプットをきっかけに(オンライン上で)会話が生まれる。自分の学びやスキルをしっかり組織に残す。
そんなシンプルなことを意識しておもったり、忘れたりして、異国でひとりPCと向き合っています。
これが私の会社に思うこと。
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引用させて頂いたnoteはこちら。
リモートワークに関する記事はこちら
👉心身健康にフルリモートも日常生活も送るために使っているツールとその使い分け方
👉フルリモートは苦じゃないけどコミュニケーション欲はある。自分の気づきを社内用にアレンジして毎週アップするようにしていたら気づいたこと