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地方映画史研究のための方法論(41)メディア論と映画②ジャン・ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』

見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト


見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト

見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」は2021年にスタートした。新聞記事や記録写真、当時を知る人へのインタビュー等をもとにして、鳥取市内にかつてあった映画館およびレンタル店を調査し、Claraさんによるイラストを通じた記憶の復元(イラストレーション・ドキュメンタリー)を試みている。2022年に第1弾の展覧会(鳥取市内編)、翌年に共同企画者の杵島和泉さんが加わって、第2弾の展覧会(米子・境港市内編)、米子市立図書館での巡回展「見る場所を見る2+——イラストで見る米子の映画館と鉄道の歴史」、「見る場所を見る3——アーティストによる鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」、「見る場所を見る3+——親子で楽しむ映画の歴史」を開催した。

2024年3月には、杵島和泉さんとの共著『映画はどこにあるのか——鳥取の公共上映・自主制作・コミュニティ形成』(今井出版、2024年)を刊行した。同書では、 鳥取で自主上映活動を行う団体・個人へのインタビューを行うと共に、過去に鳥取市内に存在した映画館や自主上映団体の歴史を辿り、映画を「見る場所」の問題を多角的に掘り下げている。(今井出版ウェブストアamazon.co.jp

地方映画史研究のための方法論

地方映画史研究のための方法論」は、「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」の調査・研究に協力してくれる学生に、地方映画史を考える上で押さえておくべき理論や方法論を共有するために始めたもので、杵島和泉さんと共同で行っている研究会・読書会で作成したレジュメを加筆修正し、このnoteに掲載している。過去の記事は以下の通り。

メディアの考古学
(01)ミシェル・フーコーの考古学的方法
(02)ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』
(03)エルキ・フータモのメディア考古学
(04)ジェフリー・バッチェンのヴァナキュラー写真論

観客の発見
(05)クリスチャン・メッツの精神分析的映画理論
(06)ローラ・マルヴィのフェミニスト映画理論
(07)ベル・フックスの「対抗的まなざし」

装置理論と映画館
(08)ルイ・アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」
(09)ジガ・ヴェルトフ集団『イタリアにおける闘争』
(10)ジャン=ルイ・ボードリーの装置理論
(11)ミシェル・フーコーの生権力論と自己の技法

「普通」の研究
(12)アラン・コルバン『記録を残さなかった男の歴史』
(13)ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男』

都市論と映画
(14)W・ベンヤミン『写真小史』『複製技術時代における芸術作品』
(15)W・ベンヤミン『パサージュ論』
(16)アン・フリードバーグ『ウィンドウ・ショッピング』
(17)吉見俊哉の上演論的アプローチ
(18)若林幹夫の「社会の地形/社会の地層」論

初期映画・古典的映画研究
(19)チャールズ・マッサーの「スクリーン・プラクティス」論
(20)トム・ガニング「アトラクションの映画」
(21) デヴィッド・ボードウェル「古典的ハリウッド映画」
(22)M・ハンセン「ヴァナキュラー・モダニズム」としての古典的映画

抵抗の技法と日常的実践
(23)ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』と状況の構築
(24)ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』
(25)スチュアート・ホール「エンコーディング/デコーディング」
(26)エラ・ショハット、ロバート・スタムによる多文化的な観客性の理論

大衆文化としての映画
(27)T・W・アドルノとM・ホルクハイマーによる「文化産業」論
(28)ジークフリート・クラカウアー『カリガリからヒトラーへ』
(29)F・ジェイムソン「大衆文化における物象化とユートピア」
(30)権田保之助『民衆娯楽問題』
(31)鶴見俊輔による限界芸術/大衆芸術としての映画論
(32)佐藤忠男の任侠映画・剣戟映画論

パラテクスト分析
(33)ロラン・バルト「作品からテクストへ」
(34)ジェラール・ジュネット『スイユ——テクストから書物へ』
(35)ジョナサン・グレイのオフ・スクリーン・スタディーズ
(36)ポール・グレインジによるエフェメラル・メディア論
(37)アメリー・ヘイスティのデトリタス論

雑誌メディア研究
(38)キャロリン・キッチ『雑誌のカバーガール』
(39)佐藤卓己のメディア論的雑誌研究

メディア論と映画
(40)マーシャル・マクルーハンのメディア論
(41)ジャン・ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』

ジャン・ボードリヤール

ジャン・ボードリヤール(1929-2007) 

ジャン・ボードリヤール

ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard、1929-2007)はフランスの思想家・哲学者・社会学者。1929年にランスで生まれ、パリ大学(ソルボンヌ)で学んだ後、パリ大学(ナンテール・現パリ第十大学ナンテール校)で教職に就く。1968年には、博士論文『物の体系——記号の消費』(宇波彰 訳、法政大学出版局、1980年)を初単著として刊行。消費社会においては、実用性や具体的な機能よりも、記号的な意味を消費することが優先されると主張し、大きな注目を集めた。

さらにボードリヤールは『消費社会の神話と構造』(今村仁司・塚原史 訳、紀伊國屋書店、1979年、原著1970年)や『象徴交換と死』(今村仁司・塚原史 訳、ちくま学芸文庫、1992年、原著1976年)、『シミュラークルとシミュレーション』(竹原あき子 訳、法政大学出版局、1991年、原著1981年)などの著作を立て続けに発表し、「シミュラークル」や「ハイパーリアル」など独自の概念と理論を提唱。社会学やメディア論、芸術論など多くの分野に影響を与え、ポストモダン思想の代表的著作として広く知られるようになる。

その他の著作に『アメリカ——砂漠よ永遠に』(田中正人 訳、法政大学出版局、1988年、原著1986年)、『湾岸戦争は起こらなかった』(塚原史訳、紀伊國屋書店、1991年、原著1991年)、『芸術の陰謀——消費社会と現代アート』(塚原史 訳、NTT出版、2011年、原著1997年)、『悪の知性』(塚原史・久保昭博 訳、NTT出版、2008年、原著2004年)など。

『シミュラークルとシミュレーション』(1981)

実在/イマジネール

今回紹介する『シミュラークルとシミュレーション』(竹原あき子 訳、法政大学出版局、1991年)は、1981年に刊行されたボードリヤールの主著の一つである。

前提として、人間が「現実 réalité」について思考したり理解しようとする時には、「イマジネール imaginaire」(空想や幻想、想像などと訳される)による解釈や抽象化が行われるため、必然的に「実在 réel」するものとの間に差異が生じることになる。

ボードリヤールはこの差異を肯定的に捉えており、「差異こそ地図の詩であり、領土の魅力だ、そして概念の魔力であり実在の魅力」(p.2)だと述べている。イマジネールを通じて実在するものを批判的・創造的に解釈し、現実についての多様な思考や理解を生み出すこと、また同時に、イマジネールは実在と同一ではあり得ないし、混同してはならないという認識を持つことが重要であるという考えが、ボードリヤールの基本姿勢であると言えよう。

ところが地図(イマジネール)と領土(実在)、コピーとオリジナルとを完全に一致させ、差異を消し去ってしまおうとする動きがある。それを説明するために導入されるのが、シミュラークルとシミュレーションという概念だ。

シミュラークル/シミュレーション/ハイパーリアル

シミュレーション simulation」という語の一般的な意味は、何かしら実在するものの「ふりをする、まねをすること」だろう(日本大百科全書(ニッポニカ)「シミュレーション」の項を参照)。だが『シミュラークルとシミュレーション』では、この語に別の意味が与えられている。

第一にボードリヤールは、実在する対象を模倣・再現しようとするのではなく、独自のモデルや記号操作によって形成されたもののことを「シミュラークル simulacrum」と呼ぶ。定義上、それは「起源 origine」も「現実性 réalité」も持たないはずであるにもかかわらず、人びとに「現実感 réalité」を抱かせる点に特徴がある(pp.1-3)。

加えてシミュラークルは、自らが実在に近づこうとするのではなく、むしろ実在するものの方をシミュラークルに近づけようとする。実在とシミュラークルが完全に一致してしまえば、両者の見分けはつかなくなり、双方の差異を前提として成立していた意味での「現実」は消失してしまうだろう。ボードリヤールは、こうしてシミュラークルが従来の「現実」を別の「現実」に置き換えてしまうプロセスを「シミュレーション simulation」、またシミュレーションによって生み出された新たな「現実」を「ハイパーリアルhyperréel」と名づけている(pp.1-2)。

ハイパーリアルな世界——ディズニーランド

これらの概念を理解する上で、もっとも分かりやすい例は「ディズニーランド」だろう。ディズニーランドでは、海賊船や開拓の国、未来の国など、過度に美化・理想化された「アメリカ」という夢の世界が築き上げられている(pp.16-19)。実在するアメリカの模倣や再現ではなく、本来は実在しない空想(イマジネール)の世界を具現化した、典型的なシミュラークルだ。

Sleeping Beauty Castle in 2019 after refurbishment

 ただしここで、ディズニーランドの内部がハイパーリアルな世界で、その外部(敷地外)には現実の世界が広がっているというような、二項対立的理解で済ませてはならない。ボードリヤールは、今や実在するアメリカ全体がハイパーリアルな世界と化しており、ディズニーランドはむしろそうした状況を隠蔽するためにこそ造られたのだと指摘する。「つまり、ディズニーランドとは、《実在する》国、《実在する》アメリカすべてが、ディズニーランドなんだということを隠すために、そこにあるのだ」(p.17)。

1963年のディズニーランド(撮影:Robert J. Boser)

このことは、現在の日本で言えば、ショッピングセンターやモールなどのテーマパーク化した商業施設、ギリシャ神殿などを模した意匠を施したニュータウンや郊外住宅を思い浮かべると理解しやすいだろう。またボードリヤールは、健康食品やフィットネス、自己啓発やスピリチュアル文化、恋愛指南など、人間の健康や快楽を商品化した産業全般についても厳しく批判している。これらは皆、消費者に現実の体験を提供するのではなく、「現実らしさ」が感じられる体験のシミュレーションを提供する。人びとはそれが幻想(イマジネール)であることに気づかぬまま享受し続け、次第にハイパーリアルな状況が新たな「現実」として定着していくのである。

シミュラークルの三段階

なお歴史的に見ると、シミュラークルが常にハイパーリアルな状況を作り出してきたわけではない。ボードリヤールは『象徴交換と死』第 2部「シミュラークルの領域」(今村仁司・塚原史 訳、ちくま学芸文庫、1992年、pp.101-180)および『シミュラークルとシミュレーション』13章「シミュラークルとSF」(pp.155-163)において、シミュラークルがハイパーリアルに至るまでのプロセスを三つの段階に分けて論じている。

第一段階は「自然主義的シミュラークル」である。ルネサンス期から産業革命までの「古典時代」においては、自然的価値法則に従う「模造」がシミュラークルの支配的図式であった。人びとは絵画や彫刻などの芸術制作を通じて、神の造形物としての現実や理想的な自然を可能な限り忠実に再現しようと試みた。この時代にはまだ、オリジナルとコピー(複製品)の区別も明確であった。

第二段階は「生産的シミュラークル」である。産業革命以降の「近代」という時代においては、商品の価値法則に従う「生産」がシミュラークルの支配的図式となった。工業製品や印刷物など、機械による規格化した商品の大量生産・大量複製によって、オリジナルとコピーの区別は曖昧になり、互いに等価なものと見做されるようになる。

第三段階は「シミュレーションのシミュラークル」である。消費社会化した「現代」においては、商品の価値が物理的な特性や機能よりも社会的・文化的な文脈によって決定される構造的価値法則に従う「シミュレーション」が支配的図式となった。ここでは最早、オリジナルとコピーの区別は完全に崩壊しており、無数のシミュラークルが現実を超越した現実(ハイパーリアル)を生み出している。オリジナルを模造したり、複製を大量生産するよりも、テレビ番組や広告、さらにはインターネットやヴァーチャルリアリティなどのように、情報を管理・操作して——例えば同じ商品でもパッケージデザインやキャッチコピー、CMを作り替えることで——無限に差異を作り出し、新たな商品価値を掲げて消費者の欲望を刺激することが試みられる。

ボードリヤールの映画/テレビ論

歴史のシミュラークル——『バリー・リンドン』(1975)

ボードリヤールはハイパーリアルな状況を構築するメディアとして、しばしば「映画」について論じている。例えば『シミュラークルとシミュレーション』2章「歴史——復古のシナリオ」(pp.57-68)では、歴史映画と呼ばれるジャンルの作品群の問題が取り上げられる。映画が描き出す歴史はあくまでシミュラークルであり、歴史的実在とはまったく無縁である。一見、現実の歴史を描いているようであっても、実はそれは他の何にも似ていない、ハイパーリアルなものなのだ。

例えばスタンリー・キューブリックバリー・リンドン』(1975)は、18世紀のヨーロッパを舞台とする歴史映画で、絵画のように作り込まれた画面設計や、補助照明を使用せず蝋燭の炎だけを光源とする撮影で話題を集めた。

スタンリー・キューブリックバリー・リンドン』(1975)

ボードリヤールは同作について「これほどよくできた映画は、かつて存在しなかったし、これ以上の作品は生まれないだろう」と述べているが(p.61)、それはあくまでシミュレーションとして作られた映画としてのアイロニカルな評価である。キューブリックは「自分の映画をまるでチェス盤のように操り、歴史を軍事作戦のシナリオのように操る」(p.61)。すなわち、歴史を解釈したり意味づけたりする想像力よりも、撮影機材や画面設計にこだわり、細部まで過剰に作り込むことが優先される。ひたすら完成度に磨きをかけることで、たとえ退屈であったり無意味であったりしても、映画そのものを実在に近づけること——要するにハイパーリアルであること——が試みられているのだ。

戦争のシミュラークル——『地獄の黙示録』(1979)

ボードリヤールはまた、『シミュラークルとシミュレーション』5章「アポカリプス・ナウ(『地獄の黙示録』)」(pp.76-78)で、フランシス・フォード・コッポラ地獄の黙示録』(1979)についても論じている。

フランシス・フォード・コッポラ地獄の黙示録』(1979)

コッポラはベトナム戦争の地獄のような光景を再現するために巨額の資金を投じ、偏執狂的なこだわりを見せたため、トラブルが相次ぎ、撮影スケジュールも長引き、撮影現場自体が戦場のような有様だったという。こうしたエピソードを踏まえつつ、ボードリヤールは映画と戦争が、極度の暴力性、行き過ぎた手段、不気味な無邪気さといった共通点を備えていると指摘する。『地獄の黙示録』は様々な撮影装置や視覚効果を用いて観客にハイパーリアルな体験を与えるという点で、ただベトナム戦争を再現するではなく、自らが一つの「戦争」と化した。他方、戦争の方もまた工業や軍事機械を用いて遂行され、メディアを通じて権力が見せたいイメージだけを発信するという点で、一つの「映画」と化した。「映画は自らを戦争と化し、戦争は映画と化し、両者は技術という共通の出口で出合う」(p.76)。『地獄の黙示録』とベトナム戦争は共に同じ素材から切り取って作られたものであり、両者を分かつものは何一つ存在しないのだ。

家族のシミュラークルと監視システムの終焉——『アメリカン・ファミリー』(1973)

最後に、ボードリヤールが『シミュラークルとシミュレーション』第1章「シミュラークルの先行——監視所の終り」(pp.39-45)で展開しているテレビ論についても確認しておこう。そこで論じられる『アメリカン・ファミリー』は1973年にPBS(公共放送サービス)で放送されたテレビドキュメンタリーで、「テレビ=真実(ヴェリテ)」と呼ばれるように、最初期のリアリティ番組として知られている。撮影は1971年に始まり、カリフォルニアに暮らすラウド(Loud)一家の生活に7ヶ月間の密着取材が行われた。

番組のディレクターは、ラウド一家がテレビの撮影などなかったかのように自然に生活していたと誇った。ここでは、視聴者の窃視症的な欲望が問題なのではなく、むしろ視聴者やテレビが家族の生活に一切介入していないように見えること——要するに、ラウド一家の生活がありのままの「現実」であるかのように見えること——こそが問題なのだとボードリヤールは言う。 

The Loud Family
(Back, from left: Kevin, Grant, Delilah and Lance. Front, from left: Michele, Pat and Bill)

ラウド一家は、アメリカにおける家族の理想像を体現する存在として選ばれた。カリフォルニアのガレージ付きの家に住み、社会的にも職業的にも恵まれた地位にある主人と、美人の妻、5人の子どもたちによって営まれる、中流の上クラスの生活。それはディズニーランドと同様に、過度に美化・理想化された夢の世界、本来は実在しない空想(イマジネール)の世界に過ぎないが、こうした理想によってラウド一家の「生きられた現実」は分断され、破滅させられる。実在の家族と家族のシミュラークルの区別がつかなくなり、テレビこそがラウド一家の「真実(ヴェリテ)」となるのだ。

そしてこの時、監視・観察する側(視聴者や番組制作者)とされる側(ラウド一家)の非対称な権力構造もなし崩しになり、従来の監視システムは終焉を迎える。ラウド一家は理想の家族像を押し付けられるだけでなく、自ら積極的に演じようとし、視聴者もまた、ラウド一家が体現する家族像を自身の家族の理想とするだろう。こうして、誰もが固定した立場を取り得なくなる。「あなたは、いつでもすでに、別の側にいるからだ。主体も焦点も、中心も周辺もない、つまり純粋な円環的屈折あるいは半屈折だ。暴力も見張りもない、つまりそこには《情報》、隠れた邪悪さ、連鎖反応、ゆるやかな内破、そしていまだに実在の効果を演じる空間のシミュラークルだけがあるのだ」(p.42)。

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