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地方映画史研究のための方法論(16)都市論と映画③——アン・フリードバーグ『ウィンドウ・ショッピング』

見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト


見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト

「見る場所を見る——鳥取の映画文化リサーチプロジェクト」は2021年にスタートした。新聞記事や記録写真、当時を知る人へのインタビュー等をもとにして、鳥取市内にかつてあった映画館およびレンタル店を調査し、Claraさんによるイラストを通じた記憶の復元(イラストレーション・ドキュメンタリー)を試みている。2022年に第1弾の展覧会(鳥取市内編)、翌年に共同企画者の杵島和泉さんが加わって、第2弾の展覧会(米子・境港市内編)、米子市立図書館での巡回展「見る場所を見る2+——イラストで見る米子の映画館と鉄道の歴史」を開催した。今のところ三ヵ年計画で、2023年12月開催予定の第3弾展覧会(倉吉・郡部編)で東中西部のリサーチが一段落する予定。鳥取で自主上映活動を行う団体・個人にインタビューしたドキュメンタリー『映画愛の現在』三部作(2020)と併せて、多面的に「鳥取の地方映画史」を浮かび上がらせていけたらと考えている。

地方映画史研究のための方法論

調査・研究に協力してくれる学生たちに、地方映画史を考える上で押さえておくべき理論や方法論を共有しておきたいと考え、この原稿(地方映画史研究のための方法論)を書き始めた。杵島さんと行なっている研究会・読書会でレジュメをまとめ、それに加筆修正や微調整を加えて、このnoteに掲載している。これまでの記事は以下の通り。

メディアの考古学
(01)ミシェル・フーコーの考古学的方法
(02)ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』
(03)エルキ・フータモのメディア考古学
(04)ジェフリー・バッチェンのヴァナキュラー写真論

観客の発見
(05)クリスチャン・メッツの精神分析的映画理論
(06)ローラ・マルヴィのフェミニスト映画理論
(07)ベル・フックスの「対抗的まなざし」

装置理論と映画館
(08)ルイ・アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」
(09)ジガ・ヴェルトフ集団『イタリアにおける闘争』
(10)ジャン=ルイ・ボードリーの装置理論
(11)ミシェル・フーコーの生権力論と自己の技法

「普通」の研究
(12)アラン・コルバン『記録を残さなかった男の歴史』
(13)ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男』

都市論と映画
(14)W・ベンヤミン『写真小史』『複製技術時代における芸術作品』
(15)W・ベンヤミン『パサージュ論』

アン・フリードバーグ——映画とポストモダン

アン・フリードバーグ(1952-2009)

アン・フリードバーグ(Anne Friedberg)は1952年、イリノイ州アーバナに生まれる。1983年にニューヨーク大学で博士号を取得。専攻はシネマ・スタディーズ。1993年に初の単著『ウィンドウ・ショッピング——映画とポストモダン』(井原慶一郎・宗洋・小林朋子 訳、松柏社、2008年)、2003年からカリフォルニア大学アーバイン校で教鞭をとり、2006年に2冊目の単著『ヴァーチャル・ウィンドウ——アルベルティからマイクロソフトまで』(井原慶一郎・宗洋 訳、産業図書、2012年)を刊行。2003年からは南カリフォルニア大学映画・テレビ学部教授を務めたが、2009年に大腸直腸癌により死去。

『ウィンドウ•ショッピング——映画とポストモダン』(1993)

今回取り上げる『ウィンドウ・ショッピング——映画とポストモダン』(1993)、は、ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』、特にその草稿である「パリ——19世紀の首都」を土台としながら(参考「W・ベンヤミン『パサージュ論』」)、そこにジェンダー化した遊歩者の概念(男性遊歩者と女性遊歩者)を導入すると共に、ベンヤミンの死後の時代に到来したポストモダニティの問題へと議論を拡張した書物である。

なお本書の2章「アーケードから映画へのパサージュ」を中心とした同書の要約的な論文「映画とポストモダンの状況」も荒尾信子により邦訳されており、『「新」映画理論集成①』(岩本憲児ほか編、フィルムアート社、1998年)に収録されている。

モダニティ/ポストモダニティ

ポストモダニティPostmodernity」とは、ジャン=フランソワ・リオタールやジャン・ボードリヤール、フレドリック・ジェイムソンなどの論者によって提唱された概念で、20世紀の後半、近代の終焉と共に訪れた経済的・文化的・社会的状況を指す。類似した概念として、「ポストモダン状況 Postmodern condition」や「後期近代 Late modern」といった言葉が用いられることもある。

モダニティ Modernity(近代性)」は、技術発展や工業化、資本主義の隆盛を背景として、合理性と果てしない発展を追求する進歩主義、理性を持った個人の主体性を重んじる啓蒙主義を特徴とした。だが絶え間ない変化が極点に達し、進歩という概念が行き詰まりに達したことで、モダニティの「後 post」の時代が訪れる。

時間や空間の圧縮、単線的に発展していく歴史観やまとまりを持った主体という概念の崩壊(脱中心化)などがポストモダニティの特徴として語られるが、論者間で明確な統一見解があるわけではない。ポストモダニティがモダニティと断絶したものなのか、それとも連続したものなのかについても意見が分かれている。

フリードバーグは、モダニティとポストモダニティの関係を「断絶」というよりは「段階的な移行」であると見做しており、そのことは「移動性をもった仮想の視線 mobilized virtual gaze」の重要性が高まっていくプロセスを追うことによって明らかにできると言う。『ウィンドウ・ショッピング』では、そうした「移動性をもった仮想の視線」の起源を19世紀の遊歩者やパノラマ・ジオラマなどの視覚装置に求め、そこから百貨店や映画、ショッピングモールやテレビへと歴史的なリレーが行われていく様を記述しようとする。

「移動性をもった仮想の視線」の起源

映画観客のモデルとしての看守と囚人

映画を見る観客は、監獄における「看守」になぞらえて語られることもあれば、逆に「囚人」になぞらえて語られることもある。

例えばジェレミー・ベンサムが構想した監獄の建築モデル「パノプティコン」(一望監視装置)は、しばしば精神分析的映画理論やフェミニスト映画理論において映画観客のモデルとして扱われてきた(参考「ミシェル・フーコーの生権力論と自己の技法」)。パノプティコンの看守は中央の監視塔に上り、その周囲を取り巻くようにして設置された独房に入れられた囚人を監視する。自分自身の姿が見返されることのない場所から、対象を一方通行的に覗き見ることができる視覚的全能性を持った観察者のモデルは、映画館の暗闇でスクリーンに映し出された対象を窃視病的に見つめる映画観客と類似的したものと見做されたのだ。

ジェレミー・ベンサムによるパノプティコンの構想図(1791)

だが、パノプティコンの看守が全方向を自由に眺めることができるのに対して、映画の観客は視野が固定されており、またその視野は映画制作者によってあらかじめ用意されたものである。映画観客の視覚的全能性はあくまで「想像上」のものにすぎない。

ジャン=ルイ・ボードリーの「装置理論」では、むしろそうした観客の不動性や、視野の強制といった側面が強調されることになる(参考「ジャン=ルイ・ボードリーの装置理論」)。ボードリーが映画観客のモデルとして持ち出す「プラトンの洞窟の比喩」では、囚人が暗い洞窟の中で身体と視野を拘束され、壁面に投影された人形の影を「現実」の世界であると信じ込んでいる。映画観客もまた、座席に固定され、見えない場所からスクリーンに投影されたフィルムの影を受動的に見つめるのである。

ヤン・サーンレダム、コルネリス・ファン・ハールレム《プラトンの洞窟》(1604

仮想の視線——ジオラマとパノラマ

 フリードバーグは、パノプティコンやプラトンの洞窟の比喩とは異なる視覚モデルとして、パノラマジオラマを挙げている。

パノラマは1792年に画家ロバート・バーカーが発明した大掛かりな視覚装置である。建物の内部に入ると、鑑賞者を包み込むように湾曲した壁面の全体に風景画が描かれている。絵画や演劇の舞台のように視界を限界づけるフレームが存在しないため、鑑賞者は全方向を自由に眺め、現実の風景を見つめているような感覚を味わうことができる。

ロバート・バーカーのパノラマ館
ロバート・ミッチェルによる断面図(1801)

ジオラマは、ダゲレオタイプの発明者としても知られるルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが、1822年にパノラマを改良して作り上げた装置である。額縁風の開口部の向こうに透過性のある絵画が設置されており、絵画後方からの照明によってより現実な風景に見えるよう工夫が為されている。また観客席の床が動き、別のジオラマも鑑賞できるような仕掛けが施されていた。

ダゲールのジオラマ(1822)

パノラマとジオラマの特徴は、あくまで「仮想」のものとしてではあるが、時間的・空間的な移動性を生み出すことにある。そこで観客は時空間の拘束を視覚的に克服し、「ここではない世界」に没入する楽しさに浸ることができた。だが仮想の移動性が高まれば高まるほど、逆説的に鑑賞者の身体はますます不動で、受け身の状態になり、目の前の仮想現実(ヴァーチャル・リアリティ)の装置を喜んで享受するようになる。

移動性をもった視線——消費と結びついた遊歩

男性遊歩者と女性遊歩者

フリードバーグが「移動性をもった仮想の視線」のもう一つの起源として挙げるのが、19世紀初頭のパサージュに現れた「遊歩者フラヌール flaneur)」である。生活に余裕のあるブルジョワ階級に属し、退屈をもてあまして、具体的な目的もないまま漫然とした幻惑状態で都市を彷徨い歩く遊歩者のありようを、フリードバーグは後に百貨店やショッピング・モールを遊歩する買物客・消費者の原型と位置づけている

※ただし社会学者の中村秀之は『瓦礫の天使たち——ベンヤミンから〈映画〉の見果てぬ夢へ』(せりか書房、2010年)において、フリードバーグの説に疑問を投げかけている。ベンヤミンが論じた遊歩者は、群衆——むしろこちらが買物客・消費者の原型なのではないだろうか?——から一定の距離を置き、目覚めながら夢を見るようなありかたで都市を経験するのであり、消費者として「ここではない世界」への想像上の旅を求めるような人物像とは根本的に異なるためだ。『ウィンドウ・ショッピング』を読む際には、こうした遊歩者の位置付けの違い——遊歩者を、消費者の原型と捉えるのか、それとも消費者とは根本的に異なる人物類型として捉えるのか——に注意を払う必要があるだろう。

だがジェンダー化されたフランス語の名詞(フラヌール flaneur )が示すように、遊歩者とは都市の男性主体を意味する言葉であり、そこに女性は含まれていなかった。当時のパサージュおよび都市における女性の存在は、ショウ・ウィンドウの向こう側のマネキンのように商品として見られる対象あるいは消費の対象でしかなかった。シャルル・ボードレールが男性遊歩者の視線で書いた詩には、そうした時代のありようがよく表れている。

きみの目は客を惹きつけるブティックか
祝日の公園にあがる花火のように煌煌として、
借り物の力を高慢に振り回しながらも
自らの麗しさを統べる由を決して知ることはない

ボードレール『ボードレール全集1——悪の華』阿部義雄訳、ちくま文庫、1998年

女性遊歩者フラヌーズ flâneuse)」の出現は、女性が一人で自由に町を歩き回れるようになってからのことであり、それは女性が一人でショッピングをする権利を得たこと——すなわち消費者となること——と並行した出来事であった。

デパートという「安全な楽園」

 19世紀期の半ば、デパート百貨店)は大量生産した商品を数多くの消費者に大量に展示・販売する戦略によって、当時の資本主義都市の中心的な施設となった。それに加えてデパートは、女性消費者のために設計された半公共的な空間でもあった。ベンヤミンが論じたパサージュ(アーケード)や冬用温室庭園、そしてデパートは、街路という本来は建築の外部であるはずのものを建築の内部に組み込み、歩きやすく、温度管理などもなされた安全な環境を作り出した。さらにデパートでは、段階的に女性店員を増やしていくことで女性が売り手と買い手の両方になることを可能にし、女性が付き添いなしでもショッピングができる「安全な楽園」を提供したのだ。

フランス・パリのボン・マルシェ百貨店(1900) 

ショッピングと遊歩——余暇という体験の商品化

 19世紀後半には、ブルジョワ階級の女性は、必要性のためではなく楽しみ(余暇活動)のためにデパートや遊園地といった公共空間に入場したり、パッケージツアー(宿泊日程や場所、移動手段があらかじめ設定された旅行)というかたちで旅行に出かけたりする自由を手に入れた。そこでは、具体的なモノとしての商品ではなく、「余暇」という体験が商品化されている

ショッピングという行為は、ただ商品を買うことを意味するのではなく、「ゆっくりと時間をかけて商品を吟味」(p.72)して選ぶことであり、「見ることと所有することとの関係を強化することであり、そして自由な選択として買うこと」(p.72)を意味する。アーケードやデパートは、消費自体が見世物となるような囲い込まれた商業空間を作り出し、買わずに「見る」ことが可能な通路を設けることで、人々のショッピングの欲望に応える場を提供した。そして遊歩者の「移動性をもった視線」は、消費者の散漫な観察の原型となったのである。

デパートは下層階から上層階までをエレベーターやエスカレーターでつなぐことで、買物客の視線が施設全体に行き渡るようにすると共に、換気システムや電話、トイレ、休憩所、レストラン、郵便局、配送サービスなどを揃えることで、人々がそこに長居するよう促し、習慣化させることで、消費と結びついた遊歩を正当化しようとした。 

ウィンドウ・ショッピング

アーケードやデパートにおいて重要な役割を果たしたのが「ガラス」である。ガラスの卓越した機能は、何と言ってもその透明性にあった。ショーウィンドウは視覚的な陶酔をもたらし、中に飾られた商品をより魅力的に見せ、消費者の欲望を煽る「空間的な詩」(p.95)であった。

『オズの魔法使い』の著者でもある作家ライマン・フランク・ボームは1900年に『服飾ショーウィンドウの飾り付けの技術』という専門書を出版し、買物客の好奇心を惹きつけるための技術を紹介している。その中の一つである「幻想窓(イリュージョン・ウィンドウ)」は、ウィンドウ・ディスプレイ越しに本物の女性のモデルが現れてはまた姿を消し、別の衣装に着替えてまた姿を現すといったものだった。

ボームのアイデアは明らかに映画のスクリーンと類似しているとフリードバーグは言う。実際、チャールズ・エッカート、ジーン・アレン、メアリー・アン・ドーン、ジェーン・ゲインズなど多くの映画研究者が、映画の観客性(スペクテイターシップ)を論じるために「ウィンドウ・ショッピング」を持ち出している。ウィンドウ・ショッピングとは、「実際に店に入ったり買ったりすることなく、ショーウィンドウの舞台効果を見つめる思索的な視線である。映画を見ることも同様に、距離を置いて観照することで成り立っている。すなわち、ガラスの背後ではなくスクリーンに映し出された、枠取られ触れることができない一幅の絵を見る」(p.84)。

ウジェーヌ・アジェ《マネキン(ゴブラン通り、パリ)》(1910-1920)

仮想の視線——「ここではない場所」への発着場

万国博覧会

ヴァルター・ベンヤミンが指摘したように、アーケードやデパートに先駆けて「商品という物神への巡礼場」の役割を担ってきたのが「万国博覧会」である(『パサージュ論(1)』今村仁司・三島憲一ほか訳、岩波文庫、2021年、p.35[1a])。万博は、世界各地の商品や建築を寄せ集めた資本主義文化のファンタスマゴリアであり、ショッピングや観光旅行のような「移動性をもった視線」と、別の時空間へ向かう「仮想の視線」を融合した記念すべき場であった。

1867年のパリ万博では、セーヌ川沿いに各国の固有の様式で設計されたパビリオンが建ち並び、中世のパリの街並みを再現した「古きパリ」は、テーマパークの原型ともいうべきものであった。これらのパビリオンやアトラクションを訪れる客は、外国(ここではない場所)や過去(今ではない時)を巡る仮想の旅を楽しんだのである。

1867年のパリ万博、主会場とそれを取り囲む各国パビリオンなど

遊園地

遊園地(アミューズメント・パーク)もまた気晴らしや娯楽のための公共空間である。仮想の移動性を体験させるための仕掛けは、見知らぬ国への想像上の旅、アパートの火事や海戦といった歴史的出来事の再現など、その多くがパスティーシュ(模倣)によって成り立っていた。動く歩道や回転木馬、ローラーコースター、大観覧車など、身体的な興奮を味わうことができる参加型の快楽を重視したのも特徴の一つである。デパートと同様に気軽に入れる安全な空間であり、入場料も安価であった遊園地は、都市の労働者階級の女性にとっての新たな娯楽となった

現在まで続くディズニーランドやユニバーサル・スタジオの人気は、映画と遊園地が経済的な相互依存以上の関係で結ばれていることの証明となっている。ディズニーランド内に作られた「トゥモローランド」は、1900年のパリ万博で披露された「古きパリ」を未来に置き換えて、より洗練させたものだと言えるだろう。

トゥモローランド(カリフォルニア ディズニーランド、2006)

アーケードから映画館へ

 「移動性をもった視線」は、アーケードの中に自身の類似物(移動性をもった仮想の視線)を見出した。というのも、仮想の移動性をもたらす娯楽施設(パノラマやジオラマなど)や、実際に遠方に旅行する体験を提供する旅行代理店は、しばしばアーケードの内部か付近に設置されたのだ。アーケードは、①遊歩の欲望(移動性をもった視線)と、②仮想的な移動の欲望(仮想の視線)の両方を満たすための発着所——目的地であると同時に、出発地でもある場所——となったのである。

イギリスの発明家R・W・ポールは、H・G・ウェルズの小説『タイムマシン』(1895)を読んだ後すぐ、タイムトラベルをしている感覚を味わうことができる装置を考案し、特許を申請した。それは客席を備えたジオラマのような装置であるが、R・W・ポールはジオラマのように描かれた絵を見せるのではなく、キネトスコープ(覗き見式の映画緩衝装置)のようにフィルムあるいはスライドのイメージを連続で映し出し、動いて見えるようにしようと考えていた。だが奇しくも同年、リュミエール兄弟がシネマトグラフの初上映を行ったために、ポールの装置は先を越されてしまった。彼が実現しようとしたタイムマシンの夢は、映画(館)という「今ではない時」への仮想の旅行装置によって実現したのである。

ジョージ・パル『タイム・マシン 80万年後の世界へ』(1960)

ショッピングモール

ショッピングモール——ポストモダニティの全容を例示する場所

アーケードやデパート、博覧会場や遊園地など19世紀の人工的な都市環境は、現代における資本主義都市の中心地「ショッピングモール」によって頂点を極めることになった。ベンヤミンにとってモダニティの全容を例示する場所はパサージュであったが、同様にポストモダニティの全容を例示する場所があるとするなら、それはやはりショッピングモールだろうとフリードバーグは言う。

ショッピングモールおよびショッピングセンターは、第二次世界大戦後のアメリカで生まれた。自動車の普及や幹線道路の整備を背景として、新たな郊外都市の開発や人口の移動に伴って生まれた商業施設である。モールは1970年代半ばには世界各地に普及し、ありふれた建築形式となった。多くのモールに共通する特徴として、19世紀のアーケードを思わせるアーチ型屋根と、施設中央に設けられた多層の吹き抜け空間が挙げられる。広々とした空間と見通しの良さによって消費者の遊歩を促進すると共に、各店舗をなるべく一望のもとに見渡せるようにすることで、商業効率を最大限に高めるための設計が為されているのである。

アーチ型の屋根と多層の吹き抜け構造(ウェストサイド・パビリオン、2008)

ショッピングモールは「ショッピング」と「観光旅行」を巧みに統合した小型のテーマパークである。人々は退屈な郊外生活を埋め合わせるためにモールに赴き、「商品化された体験」を提供する多種多様な店の前を遊歩することで、あたかも遠い場所に旅行しているような幻想を抱くことができる。一部のアーケード——仮想の移動性をもたらす娯楽施設と旅行代理店をその内部に持つアーケード——と同様に、モールもまた、①ショッピングの欲望(移動性をもった視線)と、②仮想の観光旅行の欲望(仮想の視線)の両方を満たすための発着所として、意図的に設計されているのだ。

文化活動としてのショッピング——ユートピアとしてのモール

ショッピングは商業的な側面からのみ語られるものではなく、一つの文化活動と言い得るものになった。消費という行為は自己実現の方法であり、また精神的な貧困状態を抜け出すための宗教的儀式でもある。例えば『アメリカをモールすること』(1985)の著者ウィリアム・コウィンスキーは、ショッピングモールは新しいメインストリートであり、戦後文化の大聖堂であり、商業の神によって創造されたユートピアであるとして、惜しみない礼賛の言葉を綴っている。

また、かつては一部の男性だけが特権的に行うことができた遊歩は、いまや消費能力がある者であれば誰でも享受できる楽しみとして提供されるようになった。フェミニズムの観点から、ショッピングモールは女性の権利獲得の歴史的終着点だと言われることもある。

だが、そうした手放しの礼賛には問題がある。第一に、ショッピングのためにはお金が必要であり、収益能力がなければ消費能力も得ることができない。第二に、自由に商品を選んでいるように見えても、結局のところそれは人為的に作られた欲望に反応しているだけかもしれない。例えば「衝動買い」は、実社会や言論界など他の闘争の場で感じている無力さへの抗議や、その気晴らし以上のものであると言えるだろうか。

排除と監視の体制——ディストピアとしてのモール

もう一つ見逃してはならないのは、ショッピングモールが、テーマパークと同様に「生産」の領域を隠すことによって「消費」の領域を作り上げてきたことだ。モールは商品の搬入口やサポートシステムを隠し、警備員や保安係もなるべく客の目のつかないところに配置する。加えてモールでは、清潔で安全でノスタルジックな都市のイメージを提供するために、犯罪や貧困など都市の暗黒面を排除することも行われている。フェンスで周りを取り囲い、すべての入口に監視カメラとセンサーを設置したありようは、もはや一種の要塞、あるいは監獄である。

ここでは、映画観客の視覚モデルが「看守」になぞらえて語られることもあれば、逆に「囚人」になぞらえて語られることもあることが思い起こされるだろう。女性遊歩者たちはモールを自由に歩き、「ここではない場所」への仮想の旅を享受できるようになった反面、常にパノプティコン的な権力と視覚による監視の目にさらされ、管理される存在にもなったのである。

こうした二面性を反映してか、ショッピングモールは——その一見した平穏さや無害な印象とは裏腹に——極端にかけ離れたイメージを併せ持つ場所として描かれてきた。すなわち、ショッピングモールは、一方では『アメリカをモールすること』のように消費社会の理想的なユートピアとして礼賛されるが、他方では、ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(1979)のようにディストピア的な恐怖の場所として描かれるのである。

ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(1979) 

観客性の変容——「今ではない時」を求めて

モールと映画の共通点

ここからは、ショッピングモールや複合型映画館(シネマコンプレックス)の登場がもたらした、古典的な映画の観客性スペクテイターシップ)の変容についての検討が行われる。

フリードバーグは、ショッピングモールによって生み出される主体性と、映画の観客であることによって生み出される主体性には共通性があると指摘し、両者は共に時間超越の感覚をもった主体のありようを普及させるのだと論じている。しばしばショッピングモールは映画館に取って代わったと言われ、その対立関係が強調されるが、そうではなく、むしろ映画館が必然的に行き着いた先にショッピングモールがあったのだ。

モール内に設置された複合型映画館シネマコンプレックス)を分析すると、そのことがより明らかになる。端的に言えば、シネコンとショッピングモールが提供するのは実体のあるモノとしての商品ではなく、観光旅行のように「商品化された体験」である。両者は共に、「見る」ことを通じて別の時空間あるいは想像の世界への安全な移動を可能にしてくれるのだ。

映画が「ここではない場所」へと旅する感覚を与えてくれるのと同様に、モールにおけるショッピングもまた、劇場のような空間内で数々の商品を見る・買う行為を通じて、ある精神的な変容を体験することができる。フリードバーグは「観客=買物客は、さまざまなアイデンティティを試着しているようなもの」(p.154)であると言う。「試着であるからリスクは限定的なものだし、返品も簡単である。映画の観客は一種のアイデンティティの過食症に陥る可能性がある。映画館を後にしながら、人は別人のアイデンティティを衣服のように脱ぎ捨て、数時間の間それを着ていた(あるいは着せられていた)という思い出だけを持ち帰る」(p.154)。だがこうした擬似的な体験は次第に、自己の存在やアイデンティティの感覚を曖昧にし、現実感を奪い去っていく。

過去に遡行する快楽

以上のように、映画やテレビ、あるいはショッピングモールの「仮想的な移動性をもった視線」——すなわち、時間や空間を自由自在に操ることができる能力——は「時間感覚」を喪失した主体性を続々と生み出している。

だが従来の映画理論は、こうした状況をうまく説明できていないとフリードバーグは指摘する。映画の研究者や批評家たちは、仮想的な空間の移動が観客に与える影響については盛んに議論してきたが、仮想的な時間の移動が観客に与える影響については、ほとんど注意を払ってこなかったというのだ。

フリードバーグは、例外的な論者としてアンドレ・バザンの名を挙げている。バザンは「写真映像の存在論」(1945)において、映画の物語世界内に流れる時間について論じるのではなく、映画が現実世界に生きる観客の時間感覚に与える影響について論じようとした。曰く、造形芸術の起源には「ミイラ・コンプレックス」と呼ばれる願望——人間の肉体をそのままのかたち・外見で保存することで、時間の流れに抗い、死後も生命を存続させたいという願望——があり、その欲求を完全に満たすことになったのが、写真および映画だというのだ。

またクリスチャン・メッツの精神分析的映画理論や、その議論を引き継いだジャン=ルイ・ボードリーの装置理論では、映画とは「ここではない場所」と「今ではない時」の表象であり、観客は表象されたもの(仮想)と知覚されたもの(現実)とを取り違える誤認のうちに見出される快楽を味わっているのだという説明がなされた。映画は幼児期への退行——表象と知覚を区別できない未発達段階への回帰——を引き起こし、ノスタルジアを活性化させる。映画を愛好することは、公的な時空間から切り離された私的な時間に引きこもり、想像の中で過去に遡行する快楽と切り離して考えることはできない。

映画の観客性とテレビの視聴者性

続けてフリードバーグは、古典的な映画の観客性(スペクテイターシップ)と、ケーブルテレビおよびレンタルビデオの登場以後のテレビの視聴者性(スペクテイターシップ)の比較を行う。

古典的な映画の観客性が、劇場の座席に固定された観客が同一の画面を見続けるという中心性・単線性、与えられた映像を受動的に見つめるという一方向性などの特徴を持つのに対して、テレビの視聴者性は、好きな場所で好きな時に様々なチャンネルで放送されている番組を選んで視聴することができるという脱中心性や複数性、双方向性を特徴とする。

こうした整理・比較から、多くの論者はこれまで、映画をモダニティー、テレビをポストモダニティーに分類して語る傾向があった。だが先述したように、フリードバーグはモダニティーからポストモダニティーへの移行は段階的なものであると考えており、映画とテレビの間にも断絶ではなく連続性を読み取ろうとする。具体的には、古典的な映画の中にもすでに、テレビの視聴者性と共通するものが含まれていたと指摘するのである。

実際、モール内のシネコンにおいては、もはや映画の観客性とテレビの視聴者性は区別し得ないだろう。第一に、複数のスクリーンを持ち、様々な種類の仮想的な「今ではない時」を提供するシネコンは、まるでビデオデッキを並べたかのような空間を実現している。

加えてシネコンの上映回数の多さは、映画を見る行為とテレビを視聴する行為とをさらに似通ったものにする。決まった時間に映画館に集まって皆で見るという「公共の時間」の概念は融解し、映画を見る経験は、個々人がスケジュール管理する「私的な時間」に変化した。シネコンやテレビの観客=視聴者は、リモコンでザッピングする——次々とチャンネルを変える——ようにして、多種多様な映像素材をモンタージュする。このとき、観客=視聴者は時間の中で迷子になりながらも、同時に時間を支配してもいるのだ。

VR——仮想の旅の発着地点としての身体

「移動性をもった仮想の視線」の仮想性が高まれば高まるほど——時間や空間のモンタージュが過激に行われていけば行くほど——観客=視聴者の身体はますます流動的で、不安定なものになっていく。1993年現在、そうした観客性の変容をますます推し進めているのが「ヴァーチャル・リアリティー」(VR)のテクノロジーだ。VRは、人工的に構築された世界の中であらゆる方向を眺めたり、想像上の身体を動かすことができる、双方向的でインタラティティブな特質を持つ。そこではもはや、様々な属性に縛られた実在の身体は、仮想の旅の発着地点に過ぎない

こうした状況は、観客性に関する従来の映画理論に大きな見直しを迫っているとフリードバーグは言う。観客の立場と、ジェンダーや年齢、人種や民族性、階級などを一対一で対応させて、あたかもアイデンティティは常に不変の首尾一貫した連続体であるかのような前提に立つ理論では、観客が映画鑑賞を通じて物理的な身体に縛られた主体性を逸脱する快楽を得ていることを取り逃がしてしまう。「移動性をもった仮想の視線」によって新たなアイデンティティを身につけたり、それを脱ぎ捨てる快楽を味わっていることを説明できていない。

過去の肯定と否定の間で

では、このように新たな技術によって生み出される新たな主体性をいかに論じ、いかに評価することができるだろうか。例えばフェミニズムの領域では——かつてショッピングモールが女性の権利獲得の終着地点として肯定的に論じられたのと同様に——映画やテレビ、VRといった映像技術によって、生まれ持った身体や属性に縛られることなく、様々なアイデンティティを着脱することができる「自由」を得たことに希望や可能性を見る論者もいる。

だがフリードバーグは、ポストモダニティーおよびそうした状況を背景とした美的実践が、いつでも従来の権威の土台を切り崩すとは限らず、むしろそれを強化する可能性さえあることに注意を促す。映画の「過去に遡行する快楽」は、一方では、過去を再発見して現在と比較するという批評性を持ちうるが、他方では、現在と過去に起きたすべての歴史を軽視あるいは消去し、素朴に古びた価値観に回帰してしまう危険性も備えている。過去の否定と肯定との間で引き裂かれていること、別の言い方をすれば、自分が批評する対象に依存しているという性質が、ポストモダン状況におけるフェミニストの中心問題なのである。

地方映画史研究への応用

地方における遊歩者

アン・フリードバーグの『ウィンドウ・ショッピング』を地方映画史研究の文脈に位置づけようとするなら、第一に重要な論点になるのは、「男性遊歩者」および「女性遊歩者」であろう。「移動性をもった仮想の視線」で都市を散漫に観察しながらうろつき回る遊歩者は、初期映画の観客や地方の映画観客たちの——映画館の座席に固定されて、スクリーンを凝視するという標準的・規範的な鑑賞形態から逸脱した——多種多様な映画鑑賞形態を読み解くための一つのモデルとして用いることができる。

例えば菅原慶乃は『映画館のなかの近代——映画観客の上海史』(晃洋書房、2019年)において、ベンヤミンおよびフリードバーグが提唱した「遊歩者」概念を参照しつつ、上海における初期の映画観客について論じている。

1910年代の上海では、長編映画よりも短編映画を中心としたプログラムが組まれており、連続活劇の一つのタイトルが複数の場所をまたいで連続的上映されることもあったという。また総合アミューズメント施設的な役割を持った遊楽場(遊戯場)での映画上映は、歌唱や奇術などのステージ・パフォーマンスと併せて上演されるのが常だった。菅原は、このように複数の遊興施設を渡り歩きながら映画・演劇に触れていた初期の映画観客は、「観客」というよりも「遊歩者」だったと指摘する。上海の遊歩者たちは、街をふらつきながら様々な見世物興行を眺めるという近代的な都市の経験を通じて「移動性をもった仮想の視線」に親しみ、それに適応していったのだ。

ただし19世紀初頭の遊歩者と同様に、上海の遊楽場や初期の映画館に見出されるのは総じて成人の男性遊歩者・男性観客であり、女性および子どもがどのように映画を享受していたのか——もしくは享受できていなかったのか——を探るための資料はほとんど残されていない。菅原は、上海における初期映画史において女性と子どもは「見えざる観客」(p.181)であり、実証的な観点からの研究が困難であると記しながらも、小説などフィクションに見られる記述の分析も含めた代替的な手段を通じて、主流の(男性)映画観客に焦点を当てた観客史を相対化する必要性があることを強調している。

ショッピングモールでの映画体験

地方映画史研究の文脈から『ウィンドウ・ショッピング』を読む上でのもう一つの重要な論点は、3章「モールの男性遊歩者/女性遊歩者」から本格的に展開される「ショッピングモール」についての考察であろう。同書が刊行されたのは1993年、すなわちWindow95の登場によりインターネットの時代が幕を開ける前夜であり、ケーブルテレビやビデオが一般家庭における最先端であった頃の映像環境や、人々のメディアとの関わりを想像するための、重要な手がかりになる

地方映画史研究というと、特定の地域や街が独自に発展させてきた映画文化、あるいは特定の団体や施設のユニークな取り組みに焦点を当てることで、東京など大都市圏を中心とした日本映画史を相対化するといった内容が想像されるかもしれない。だが実際のところ、ある時期以降の地方での映画鑑賞体験の大部分は、ショッピングモールに併設されたシネコンでの鑑賞、あるいはTSUTAYA、GEOなどレンタルビデオ店で借りた作品の自宅での視聴、NetflixやAmazon Prime VideoなどSVOD(サブスクリプション型ビデオオンデマンド)で見られる作品を視聴する体験に置き換わっている。このような、一見すると全国のどこにでもありふれた「普通」の映画体験を——肯定的に捉えるにせよ、否定的に捉えるにせよ——検討することを抜きにして、日本映画史や観客史を語ることはできないだろう(佐々木友輔、杵島和泉「イラストレーション・ドキュメンタリー——地方映画史を記述するための方法論」『地域学論集』第20巻第1号、鳥取大学地域学部紀要、2023年)。

日本でも、2010年代にショッピングモールに関する議論が盛り上がりを見せ、東浩紀 編『思想地図β vol.1(特集:ショッピング/パターン)』(コンテクチュアズ、2011)、速水健朗『都市と消費とディズニーの夢——ショッピングモーライゼーションの時代』(角川書店、2012)、若林幹夫 編『モール化する都市と社会——巨大商業施設論』(NTT出版、2013年)、井尻昭夫・江藤茂博・大崎紘一・松本健太郎 編『ショッピングモールと地域——地域社会と現代文化』(ナカニシヤ出版、2016年)、東浩紀・大山顕『ショッピングモールから考える——ユートピア・バックヤード・未来都市』(幻冬舎新書、2016年)、斉藤徹『ショッピングモールの社会史』(彩流社、2017年)、大山顕 編『モールの想像力——ショッピングモールはユートピアか』(本の雑誌社、2023年)など、多くの書籍が刊行されている。これらの成果を地方映画史研究に結びつけ、地方のシネコンやレンタルビデオ店を通じた映画体験を記述することが、次のステップとして求められる。映画が作り出す主体性とモールが作り出す主体性の共通性を論じたフリードバーグの『ウィンドウ・ショッピング』は、そのための重要な参照項となるだろう。


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