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短編小説│水風船
先日載せたものですが、訳あってすぐに削除してしまったので再掲します。
見覚えのある方はご容赦ください。
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この小説は、小学生の頃、夏祭りでもらった水風船を誤って割ってしまった思い出を、大人になった『ぼく』が回想する小説です。
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(やっちゃった…。)
母の悲しそうな顔を見て、ぼくはそう思った。
放り投げた水風船が弾けた瞬間、後ろで見ていた母は一瞬驚いたような表情を見せたが、その顔に余韻として残ったのは、紛れもなく純粋でありふれた悲しみであった。
「ごめんなさい」
それは自然と出てきた言葉だった。怒られると思ったからではない。“やっちゃった”と思ったからだ。しかし、何に対して“やっちゃった”と思ったのかまでは分からなかった。床を水浸しにしたことか、物を粗末に扱ったことか、あるいは母を悲しませたことか。何にせよ、胸にドロっとしたものが湧いてきたことだけは確かだった。
「あらら。タオル用意しないとね」
とっくに気持ちを切り替えた母が戸棚へ向かう横で、ぼくは呆然と立ち尽くしていた。
前日の夏祭りで釣った水風船。青色の風船にピンク色の水玉模様があって、宇宙みたいだなと思った。祭りからの帰り道も興味津々にぶら下げて遊んでいるぼくを、母はずっと嬉しそうに眺めていた。そのまま枕元に置いて寝たから、朝起きても夏祭りの思い出が残っているのがうれしくて、ぼくは昼ご飯までの時間ずっとその水風船で遊んでいた。そしたらいきなり輪ゴムが切れてしまったのだ。
しかし不思議と喪失感はなかった。それはきっと焦っていたからだと思う。水浸しになった床を拭く母に、何かを言わなきゃならないような気がしたのだ。そうしてぼくが口走ったのは、少し変なことだった。
「知りたかったんだよね」
「ん?なあに?」
床を拭き終わりかけていた母は、純粋に分からないという風に聞き返してきた。
「割っちゃったのは、割れたらどうなるのか、知りたかったんだよね」
ぼくの口は止まらなかった。
喪失感がないのはきっと、それが経験になると思っているからで、割れた風船の思い出、乱暴に扱うと輪ゴムが切れること、母の悲しそうな表情、全てが経験となって、世界を知るための糧になるはずなんだ、と思った。
と同時に、この言葉の裏には少しばかりの、“母を悲しませたくない”という意図が隠れていることにも薄々気づき始めていた。
しかしぼくの口は止まらない。
「ほら。トンボの翅を毟ったら痛いじゃない。でもそれでもどうなるのか知りたくて、毟っちゃうことがあって…。」
言った瞬間「しまった」と思った。例え話をするつもりが、言ってはいけないことを言ったような気がした。失言をしたぼくはただ黙ることしかできなくなり、母の言葉を待った。
「そっか。こうちゃんは探求心強いもんね。」
ぼくは知っている。こういう時に母が怒らないことを。それでも母の返答が案の定穏やかなもので少しほっとした。
しかし今度は、伝わってほしいことが全然伝わっていないような感覚を覚えた。
ぼくは「探求心がある」と言われたかったわけではなくて、「やさしい」と言われたかった。だって先ほど口走ったことも、本当は全部母を悲しませたくなくて言っただけなのだから。
実は、水風船が弾けた瞬間に母が悲しい顔をした訳を、ぼくは知っている。ぼくの痛みが伝染したからだ。あんなにも大切にしていた水風船が割れてしまって、ぼくが悲しむと思ったから母は悲しんだのだ。
だから「ぼくは悲しくない」と母に伝えたかった。
そうすることが、母を悲しませない唯一の方法に思えた。
それで「わざと水風船を割った」ということに仕立て上げたかったのだと思う。
しかし既にその強がりは意味を為していなかった。
だから正直に言った。
「ちがうの。ママに悲しんでほしくなくて。」
母はその言葉がすぐにはピンと来ずしばらく考え込んでいたが、やがて「あー」と納得したような顔になった。そして母はぽつぽつと言葉を選びながら話し始めた。
「いい?信じて欲しいんだけど、ママは、悲しいこと、自体は、怖くないのよ?それよりも、こうちゃんが心を閉じ込めちゃう方が怖い」
「大丈夫だよ」
ぼくは咄嗟にそう口にした。母を心配させたくなかったからだ。
しかし、この言葉こそが今まさに母が言った“恐れていること”のような気もしてきた。
だから、母を安心させるためにまた別の言葉を探さなきゃと思った。
それでぼくも母を真似て言葉を選びながらぽつぽつと話してみることにした。
「んー、いや、本当は、ヨーヨーが、割れて、悲しかった、のかもしれない……」
その言葉を聞いた母は大きく頷いて、ぼくをぎゅっと抱き寄せた。
あの時、水風船が弾けてよかったと、今では思っている。
(おわり)
※後記
最近、noteの友人(mistyさん)と連詩をしておりまして、『水浸しになったキッチンの床を見ていた』というmistyさんのフレーズから着想を得た小説です。