田端健人 学校を災害が襲うとき    -教師たちの3・11

 北海道臨床教育学会は、創立(2011.1.29)直後に3・11を経験して以来、同じく「東日本」にあることを引き受けるかのように、一貫して「この未曾有の大災害から何を学ぶか」という存在論的な問いに、一貫して真摯に向き合い続けています。研究大会の課題研究のテーマを「被災(震災)体験に教育実践はどう向き合ってきたか」と設定し、第1回(2011.7.18)では「危機の日常化のもとで共にエンパワーされる恢復・復興の道とは」、第2回(2012.7.15)には「非日常の震災体験のなかに日常の危機と願いを読みとるために」との視点から、様々に臨床的な語りを紡ぎ、研究を深めてきました。私自身も創刊号に書かせて頂いた拙稿1)のまとめを「東日本大震災を巡る『ナラティヴ』と音楽科の学び」とし、授業の中から生まれてきた生徒の言葉を紹介させて頂きました。

 本書で紹介されている被災地(宮城県沿岸部)の現実を何度も反芻しつつ読み返し、ここに綴られた10人の教師によるナラティヴ(語り)に映し出された子ども達の姿を想像する時、私や私の生徒達の語りとこれらとの間には、言葉にならない大きな溝のようなものが横たわっているように感られてなりません。例えば最後に紹介されている岬さゆりさん(仮名:小学校女性教諭)のエピソードは、次のようなものです。

(以下引用)
ヘリの音が、私はトラウマになっていて、ヘリの音が聞こえてくると、ああ、運ばれてきたのかなって…ほんとにすごかったです。一週間が。一週間が、生存者が生きるか死ぬかの境目だったみたいで、一週間目、空が全部もうヘリコプター、飛び交ってて。捜索…なんか、お父さんたちも、本当によく助かったなぁっていうお父さんたちも、すごく多かったです。一回津波で山まで運ばれて、引き波に負けないように、木にしがみついて、そのあと、そこの裏山で二日くらい救助を待ってたら、自衛隊が助けに来てくれたとか。〔…〕よく生きてたね!って。そういう親御さんに子どもを引き渡しました。(pp.219-220:引用以上)


 ここに語られている「音の記憶」。ヘリコプターの音は、震災一週間後の緊迫した状況をフラッシュバックさせる忌まわしきトラウマ(心的外傷)となっています。このエピソードは、音楽を専門とする私に深い感慨をもたらすものでした。未だ被災地を訪れる機会も無く、メディア(インターネット情報、ニュース映像、新聞記事…)を通してしか上記のエピソードを想像し得ない私に、一体何が語れるというのでしょう…。私は「震災の物語」を、何も失っていない安全な場所から消費しているに過ぎないのではないか…。(ヴィトゲンシュタイン風に言えば)語り得ないことを前にしては、沈黙するしか無いのではないか…。

 本書の著者である田端健人氏(宮城教育大学 教育学部 学校教育講座 准教授)は、上記のエピソードに重ねて、テレンバッハをひきつつ「身体の記憶は、脳の記憶よりも一層深く、人間の実存にくい込んでいる」(p.219)と指摘します。私のような非=被災地にいる圧倒的多数の者は、今回の震災に関して実存にからみつくような身体的記憶を持ち得ません。しかし直接の被災者であってすら、これらのトラウマ的記憶をも「忘却を免れない」(p.220)と氏は書きます。以下、第5章(最終章)の2「忘れること、思いを寄せること」から、最後の部分を引用します。

(前略)あれから一年半、私はなにか大切なことを忘れてしまった。家族を亡くしたある人は、「忘れようにも忘れられないから、人が忘れようが忘れまいがかまわない」と語った。せめて私にできることは、あのときへと「思いを寄せること」であるように思われる。そのために、ここに記録した教師たちの言葉が、アリアドネの導きの糸となるのではないだろうか。「思い出すこと(アンデンケン)」は、ハイデガーによれば、「思いを寄せること(ヒンデンケン)」であり、「かつてあったものへと向かっていく」。ところが「こうして思いを寄せるうちに」、突如、かつてあったものが、思いを寄せる人間へと、「逆方向に向かってくる」ことがあるという。このときにこそ、あの決定的に忘れられたもの、自らへと身を隠したものが新たな仕方で姿を現し、それを私たちは思い出すことができるようになる。うまくいけば、おそらく、あのときを経験しなかった人々にも。
(pp.222-223:引用以上)


 田端氏の専門は、ハイデガーをはじめとするドイツ実存主義哲学に依拠しつつ、教育のオントロギー(存在論)に解釈学的/現象学的アプローチで迫る質的研究2)であるようです。浅学の私には、上述のハイデガーを原書の文脈で正しく理解することは叶いませんが、「思い出すことは思いを寄せること」という著者の解釈は、直接の被害の悲惨を知り得ない私にとっても、一種の福音であるように感じられます。

 本書は、田端氏が宮城教育大学の教育復興プロジェクトの一環として、震災後の7月から翌年1月にかけて実施した聞き取り調査「教師たちの3・11-東日本大震災・学校現場の記録」を書籍化したものです。田端氏は、本書の性格を「災害エスノグラフィー」と位置づけます。被災当事者のナラティヴを直接紹介する「ルポルタージュ」ではなく、「私という個人を介した、インタビュー記録の再構成」3)であり、著者の「自己(self)」を通した、一種の「再ストーリー化」であるとも言えるかもしれません。

 臨床教育学を学ぶ我々は、震災に関する優れたルポルタージュとして『3・11 あの日のこと、あの日からのこと 震災体験から宮城の子ども・学校を語る』4)を既に知っています。2冊を比較すれば、対象となっている被災地はほとんど重なっていながらも、田端氏の著作は単なる当事者の記録集であることを越えて、優れた臨床教育哲学の書となっているように思います。21頁に渡る注(pp.237-257)には、アレント、ウィニコット、サリバン、ヴェーユ、ディルタイ、フランクル、フロイト、ボウルビィ、ボルノウ、ヤスパース、レヴィナスといった思想家達の名が並び、巻末(pp.259-265)には、70点に上る文献が示されています。本学会設立趣意書に記された「研究方法論の理論的な探求」という視点に照らしても、本書で展開される田端氏の深い思索は、多くの有益な示唆をもたらすことでしょう(各章末尾に置かれた〈考察〉は、私が知りうる臨床教育哲学最良のテクストです)。

 阪神・淡路大震災を契機として、ハーマンの『心的外傷と回復』5)の翻訳に取り組んだ中井久夫氏は、震災後に編んだエッセイ集のタイトルを『アリアドネからの糸』6)としています。迷宮からの帰路の導きとして渡されたその糸を、3・11から2年以上の時を経て尚も混迷の中に生きる我々は、誰もが求めているのかもしれません。自らを「地震に指名されてしまった」7)と呼ぶ中井氏に、「あのときを経験しなかった人々」の一人でしかない自身を重ねるのは甚だ不遜なのですが、田端氏によるこの書物は、私のような非=被災地にある多くの教師/発達援助専門職にとっても、震災後の日常を生き抜くための貴重な「導きの糸」であり続けるでしょう。研究者・現場実践者の如何を問わず、多くの方に手に取って頂きたい著作です。

『北海道の臨床教育学 第2号』所収(2012)

【注】
1)笹木 陽一「中学校における臨床教育学的生徒理解
        -生徒のナラティヴを引き出す音楽科授業-」
           『北海道の臨床教育学 創刊号』(2012)pp.24-33
2)著者の研究方法については、
  田端健人「質的研究における『問い』について
       -『問いの現象学』を手がかりに-」『宮城教育大学紀要』   
       (2012)などを参照のこと。
3)本書プロローグ ⅲ
4)みやぎ教育文化センター・日本臨床教育学会震災調査準備チーム編『3・11 あの日のこと、あの日からのこと 
      震災体験から宮城の子ども・学校を語る』
                        かもがわ出版(2011)
5)J.L.ハーマン(中井久夫訳)『心的外傷と回復〔増補版〕』
                      みすず書房(1999/2011)
6)中井 久夫『アリアドネからの糸』みすず書房(1997)
7)前掲書 p.368

(春秋社刊 2012年10月発行 四六版274頁本体価格1,800円)

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