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自己物語探究の旅(11) 

 11月となりました。昨年の11月に始まったこの連載も今回で11回目となります。「11」という数を巡って、旧連載(音楽・平和・学び合い)の第11回(2011.12.29)で次のように書いたことがありました。

(以下引用)
 この連載も、今年1月から数えて11回目となりました。2000年に始まった本メールマガジンも、11年目にして晴れて3000号の発行を数え、今回の記事が3011号となるかもしれないと思いつつ、不思議な符合を感じずにはいられません。
 思えば3月には3・11の震災のことを、9月には9・11のテロのことを書かせていただいたのでした。私事で恐縮ですが、私たち夫婦は11年前の8月11日に結婚しましたので、今でも毎月11日にはささやかなお祝いをしています。このように私にとって「11」という数は、深い縁を感じさせる数なのです。
(後略:引用以上)

 三十代半ばで体調を崩し、二週間ほど入院したことを機に、「詩のようなものquasi una poesia」と題した詩形式による自己内観記録を、2005年から時折書くようになりました。これまで23編を綴りましたが、そのほとんどは私的な情動の混乱を契機としており、公表できるものではありません。
 
 今回はその中から比較的抽象度が高い作品を二つ紹介したいと思います。一つは今回のキーナンバーである「11」、もう一つは4年前(2014)のこの時期に書いた「21」です。四十代も残り2年となった今、改めて40歳になったばかりの自分と、まだ娘が1歳だった頃の自分に立ち戻ってみる意味をかみしめたいと思います。


2010.12.25 quasi una poesia ⅩⅠ
詩のようなもの 11 (無目的であること)

何の目的も持たず、
坦々と生きること。
果たしてそんなことは可能なのか。

様々なしがらみ、立場、義務を放棄する。
そんなことは出来るはずもない。
ただ、これらは本当に目的に適っているのか。
そう問うた時、どんな答えが想定できるか。

しがらみ。
関係性の呪縛。
しかし常に目的があるわけではない。
「共にある be with」というだけの関係性もある。

立場。
スタンスは文脈に依存する。
しかしコンテクストを換骨奪胎する生き方こそ、
関係性の呪縛から逃れる道ではないのか。

義務。
「ねばならぬ」ことの何と多いことか。
それこそが「大人である」こと。
分かった口を利いて、
自らを騙し続けている。

こうして書いていること自体が、
目的を志向しない行為である。
何が書かれるのか。
予想することなく、ただ痕跡が増えていく。
その痕跡に意味を与え、
目的があるかのように偽装する。

別に答えが欲しいから書くのではない。
ただ、書いている内に、
何かが見えてくるのではないかとの期待はある。
期待=目的なのか?
ヴィションとゴールの弁証法。
合理的だが、何かを失ってはいないか。

例えば、研修部だより。
テーマを決め、それに迫るべく書く。
ここには明確な目的がある。
しかし何が書かれるかは決まっていない。

書かれる内容は、書きつつその都度見出される。
ゴールはあらかじめ設定されているわけではなく、
目的に向かう行為の中から、おぼろげに描き出される。

ゴールフリーであること。
これこそポスト近代の宿命なのではないか。
しかし、リゾーム型社会に耐えられるほど、
我々は強くない。

差異=強度のユートピアは、
既に仮想現実の全面化と共に実現した。
あらゆる知が流通可能な記号として、
インフレーションを起こしているこの時代に、
「私」であることとは、一体どういう事なのか。

アイデンティティの問題は、
知が記号化した現代においてこそ、
切実な意味を持っている。
「目的」が問題化するのも、
この次元に他ならない。

「生きる」ことの切実さを実感したいが故に、
人は「目的」を志向するのではないか。
自らの同一性を確保するために、
無目的であることを拒み、
自らの生に何らかの「意味」を見出そうと欲望する。

しかし「生きる」とは、
明確な目的に照らして意味を与えられるものではなく、
その行為そのものが、意味や目的をその都度生み出していく過程に
すぎないのではないか。
ジンテーゼとしての「プロセス」。
目的から離れてこその豊かさを志向したい。

2014.11.3 quasi una poesia ⅩⅩⅠ
詩のようなもの 21
(fragile/弱さをめぐる断章~指揮棒を置く日を前にして)

「21」
今世紀を表す数であると共に、校務機のIDナンバーでもある。
「20」を書いてからもうすぐ1年半…
何をしていたのか…
その時間を、目の前で寝ている娘の成長から逆算する。

体重が増えず、一喜一憂していた頃が懐かしい。
4キロに満たなかった綸子も、10キロになった。
はっきりと「だっこ…」と話す彼女の重さに、
この18ヶ月の時を重ねる。

日々成長する速さに比べ、
我が歩みの何と緩慢なことか。
緩慢どころか、後退でしかないようにも感じられる。
想起するのは庄井先生が良く言及するヴァレリーの言葉。

「我々は、後ずさりしながら未来に入っていくのだ」
(『自分の弱さをいとおしむ』p.10)

きっと言及しているに違いないと思い、全頁をめくったのが
大江健三郎の『「自分の木」の下で』(朝日新聞社 2001)
しかし見つけられなかった。

大江氏が初めて「子供の皆さんに向けて」(p.192)書いたというこの書物は、
まさに21世紀の最初をまたぐ形で書き継がれている。
ヴァレリーの代わりに見つけたのは、
イェーツの言葉だという「自立した人間 upstanding man」との表現。
別の所で大江氏が書く「新しい人」ともつながるのだろう。
以下、上掲書最後の「言葉」を書き写す(氏の「人生の習慣」に倣いつつ)

きみは大人になっても、
いま、きみのなかにあるものを持ち続けることになるよ!
勉強したり、経験をつんだりして、それを伸ばしてゆくだけだ。
いまのきみは、大人のきみに続いている。
それはきみの背後の、過去の人たちと、
大人になったきみの前方の、未来の人たちとをつなぐことでもある。
きみはアイルランドの詩人イェーツの言葉でいうと「自立した人間」だ。
大人になっても、この木のように、また、いまのきみのように、
まっすぐ立って生きるように!
幸運を祈る。さようなら、いつかまた、どこかで!
(終章「ある時間、待ってみて下さい」p.193)

44歳となって2週間。
このタイミングでこの言葉を書き留めることに、深い縁を感じる。
私は「まっすぐ立って生き」ているか?

答えは「否」。
音楽家として、指揮者として、教師として、
それらを含む「大人」として、upstandingで在れなかったことの帰結が、
明日の10周年記念式典での「引退」につながっている。

しかし、その事を悲観はすまい。
大江氏35歳の作品『壊れものとしての人間』(講談社 1970)
所収の「核時代の暴君殺し」には、何度も
「fragile/壊れもの」という表現がある。
私が今の綸子のような存在であった時代に、
大江氏は光さんの父として、上記エッセイの最後を次のように結ぶ。

(前略)ぼくは自分の退行現象をそれ以上いつくしみ育てることを拒んで、
翌朝あらためて病院に出かけてゆくと壊れものとしての人間たる自分自身と息子との、これから共同でになってゆくべき生存の手つづきをはじめて自発的に確認した。 (講談社文庫p.99)

「暴力をくわえ(られ)る肉体」としての自覚から、
「自己破壊=自殺」すら考えた若き作家は、
自らの内部の「暴君殺し tyranicide」に辛うじて成功し、
その後の生を誠実に生きてきた。

その果てに書かれた『晩年様式集 in Late Style』(講談社 2013)
巻末におかれた長編詩は70歳の時の言葉だ。
(QuP初回で「人生の半ば」と35歳の自分を見なしたことを想起せよ)
引退演奏会のリフレクション(9・29の研究ノート)に書き留めた
文章を、
新たな人生のフィールド=指揮台に立たない日常のOrientierenとして
「書き写す」。

(前略)否定性の確立とは、なまなかの希望に対してはもとより、
 如何なる絶望にも、同調せぬことだ…
(中略)小さきものらに、老人は答えたい、
 私は生き直すことができない。しかし 私らは生き直すことができる。
(末文 p.331)


参考資料:笹木陽一「音楽・平和・学び合い(11)」(2011)
     https://archives.mag2.com/0000027395/20111230011831000.html庄井良信『自分の弱さをいとおしむ-臨床教育学へのいざない』     
                           高文研(2004)
大江健三郎『「自分の木」の下で』朝日新聞社(2001)
  〃    『壊れものとしての人間』講談社(1970)
  〃  『晩年様式集in Late Style』講談社(2013)




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