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#69 最後の晩餐で食べるものは、2つ決めた

「無人島に何か一つだけ持っていけるとしたら?」と「最後の晩餐には何を食べたい?」はその人の志向を表す二大質問ではないだろうか。今日はそのうち「最後の晩餐」について、僕が食べたい2つのものと、その共通点を探ってみようと思う。



カウンセラーの先生と

いつもお世話になっているカウンセラーの先生と「最後の晩餐に何を食べたいか」についてやりとりした時(「書くカウンセリング」なので、文章でやりとりしている)、先生はこうおっしゃった。

やっぱり「おむすび」ですね〜

同時に、

おむすびは自分で作るよりも、誰かに作ってもらう方が美味しいんですよ

ともおっしゃった気がする。実は、先の投稿「#46 かもめ食堂 in ヘルシンキ🇫🇮」で取り上げた2006年の映画『かもめ食堂』でも同じセリフが出てくる。やはり日本人にとっておむすびは何よりのソウルフードで、同時に幼少期の運動会や遠足で持たせてもらった記憶が原体験としてあるのだろう。

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note でも人気のトピック

「最後の晩餐」は note でも人気のトピックらしく、少し検索しただけで多くの投稿がヒットした。3本紹介しておく。

Karina さんの「最後の晩餐」は、サンドウィッチパーラーのカツサンド。

明日から同じものを一生食い続けろと言われたら死ぬまでこれでも構わないと思える食べ物のひとつ。

そこまで思えるサンドウィッチパーラーのカツサンド、今度日本に帰ったら食べてみよう。Karina さんの文章にはいい意味での中毒性があり、読むと食べずにはいられなくなる(かつ、もっと読みたくなる)。

nori さんは、「執着」の視点から瞑想をとらえた時の気づきを語っておられて、「最後の晩餐」に食べたいものは、「白米(卵かけご飯もよし)、ワカメか茄子の味噌汁、焼き鮭」だそうだ。日本人として王道をいく感じで、カツサンドとおにぎりの間だろうか。

ホシガラスさんは、最後の晩餐に「何を」食べるかではなく、「誰と」食べるかを取り上げてくれた。マリリン・モンローにマリー・アントワネット、織田信長にご自身の飼い犬、飼い猫たちまで出てきて実に血湧き肉躍るエッセイだ。

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僕の食べたいものは、きっと少数派

そんな中、僕は「最後の晩餐」で食べたいものが2つ決まっている。毎年見直すものの、ここ数年この2つに変更はない。先述の先生に話したところ、「変わっていますね〜」と言われた(私も好きですよ、のフォローつき)。では発表🥁

1位:「ちくわの磯辺揚げ」
居酒屋の定番メニューの「ちくわの磯辺揚げ」だ。もちろん、居酒屋で食べたい。居酒屋に入ると必ず、「ちくわの磯辺揚げ」があるかどうかを真っ先にチェックする。先の投稿「#33 つくばウォーク 〜盛大なる1人イベント〜」の打ち上げ場所になっている、つくば市竹園の「大将別館」のちくわの磯辺揚げが、今のところ最高得点だ。ヘッダ写真がそれである(名物の樽酒と共に)。
 以前、自宅近くの居酒屋でちくわの磯辺揚げを二度頼んだのだが、会計時に「すみません、ちくわの磯辺揚げは、二度頼みました?」と聞かれたほどだ。変に思われなければ、三皿でも四皿でも食べたい。普段は薄味好みなのだが、ちくわの磯辺揚げにはお醤油をたっぷりかけて食べるのが好きだ。

2位:「マクドナルドのハンバーガー」
これは、おしゃれなバーガー屋さんの高価なバーガーではなく、マクドナルドのハンバーガーでなければいけない。モスでもフレッシュネスでも、ましてやクア・アイナでもだめだ。どうしてもマクドナルドである必要がある。
 どのハンバーガーかと言われれば、ダブルチーズバーガーか、あるいは日本にはない Double Quarter Pounder® with Cheese がいい(期間限定で日本に上陸した時は、毎日のように食べた)。実はハンバーガーの種類はどうでもよく、マクドナルドであればそれで満足だ。

はっきり言って、ちくわの磯辺揚げもマクドナルドのハンバーガーも、一生の終わりに食べるほど特別に美味しいものではない。だとすれば、理由は味ではなく別のところにあるはずだ。

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人生の最後に思い出したいのは、がんばった時のこと

ちくわの磯辺揚げとマクドナルドのハンバーガーは、それぞれ僕が「とことんがんばった」時の象徴になっている。それぞれの思い出を少しだけ。

ちくわの磯辺揚げ
教職を志した大学生の頃は、つくば市竹園の居酒屋「大将」によく行った。風邪をひいて熱を出して行った時には、大将が「体調悪そうだよ、元気が付くもの作るから、食べたら早く帰って寝な」と「ニンニクの丸揚げ」を作ってくれた。もちろん代金は取られなかった。ドイツに向けて出発する前にうかがった時には、大将自ら座敷までわざわざ声をかけに来てくださった。

話がニンニクの丸揚げにそれたが、教職を志したものの教師になれるのは大学卒業後なので、それまでは近くの塾で学生講師として指導の腕を磨いた。夏や冬の講習会の季節には、朝9時〜夕方5時まで講習会の授業をして、それから夜10時まで通常授業!英語の文法事項も数学の公式も、「居眠りしていても説明できる」状態までやり込んだ。
 そんな塾の授業の後に仲間と打ち上げに「大将」へ行って食べたのが「ちくわの磯辺揚げ」だった。塾講師 → 教師 → 海外営業マン → ドイツ研究員と今に繋がる原点と紐づいている食べ物だ。居酒屋「大将」は現在は「大将別館」となった。

マクドナルドのハンバーガー
中学受験で通った塾の近くに、まだ店舗数の少なかったマクドナルドがあった。「日曜特訓」の授業の日は、午前中の授業の後、塾の仲間とマクドナルドでお昼を食べるのが何よりの楽しみだった。

それから35年後、立教大学大学院を受験することに決め、受験勉強を始めた。自宅は埼玉県で、職場はお茶の水。職場の近くに3階建ての「マクドナルド神保町店」がある。朝4時に起き、始発電車で家を出て、マクドナルド神保町店に 5:45 前後に入る。6時から8時まで2時間の「出勤前受験勉強」だ。毎日3階の窓際席で勉強していたが、1階から3階まで上る階段の正面に書かれていた言葉、“love the world you live in”(汝が暮らすこの世界を愛せよ)が忘れられない。

マクドナルド神保町店 3階部分に書かれた言葉

つまり、「ちくわの磯辺揚げ」と「マクドナルドのハンバーガー」は、「今僕がここにいる」ことの証しの食べ物というわけだ。

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友人のご主人の命日によせて

この記事を書いている10月7日は、友人 yahoi さんのご主人の命日だった。彼女が命日に寄せて書いた含蓄深い文を読んで、そういえば自分は人生の最後に何を食べ、何を思い出したいだろうか、と考えて書いたのが今回の投稿だ。久しぶりにですます調もやめてみた。彼女の記事もぜひ読んでいただきたい。

彼女のご主人は、おそらく最後には食べたいものは食べられなかったと思う。でもきっとご主人が好きなものは彼女が覚えていたに違いない。実際には食べられなくても、その食べ物に込められた記憶と想い出が共有できていれば、ある意味食べたのと同じなのかもしれない、と思う。

「最後の晩餐」で食べるものは3つくらいあった方がいい。「ちくわの磯辺揚げ」「マクドナルドのハンバーガー」に続く「がんばった時の食べ物」の3つ目は、おそらくここドイツの地で見つけることになりそうだ。

今日もお読みくださって、ありがとうございました🍔
yahoi さん、いつかご主人が好きだった食べ物の話と、それを食べた時の想い出を聞かせてください。
(2023年10月11日)
(2023年10月12日一部改)


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