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豊かさを生む4つの条件 1820年〜1850年、人類が最も進歩した時①

人間の成長の歴史で、ターニングポイントはいくつもあると思います。

まず2足歩行。そこからか!という感じですが。諸説ありますが、人が歩いたのも、歩いて森を出て行ったのも、好奇心からという説が通説のようです

そして、言語。話し言葉です。

そして文字。現在では4万年前からと言われています。

これは定住社会への移行と時を同じくしています。定住するから、誰のものか記録する・示す必要があったのだと言われます。農耕も同様です。

そして神。そして貨幣。紀元前後のことです。

飛ばします。笑

15世紀のグーテンベルグ(ちなみのこの技術があったからこそ、不幸にも・幸いにも、ルターの聖書のドイツ語(民衆の言葉)への翻訳が広まり、宗教戦争があじまります)。
16世紀のフランシス=ベーコンの科学的合理主義を持ってはじめて、検証し、記録し、残すことが可能になりました。

ここで今回の本の紹介と、豊かさを生むのに必要な4つの条件を記します。

『豊かさの誕生』
1 私有財産権
自身の身体はもちろん、具体的・知的含め、市民の自由として
2 科学的合理主義
世界を精査・解釈する体系的な手順として
3 資本主義
新製品の開発や製造に、幅広く誰でも投資できる市場として
4 輸送の技術
情報のための通信手段と、人や物を運ぶ輸送手段として

※「そして経済の発展が民主主義を生み(逆でない)、また民主主義の行き過ぎは経済成長に有害である。」

中世における、比較的豊かな欧州においても、
衛生面・治安の悪さから1はいまだ保護されていなかった。

その辺りは神による支配が圧倒的で、翻訳しようものならあっという間に死刑に処されていた。ちみどろの約200年にわたる宗教戦争を経て、ようやく、世俗国家と、啓蒙主義がひらかれていった。

そう第一に、1500年頃は、自分の命すら危うく、また富は保護されていない社会で、誰も富を作る動機を持たなかった。

第二に、創造的・科学的な思考は、死を意味していた。

第三に、それを大量生産するための富が調達できなかった。

第四に、それを伝えたり、運ぶ方法がなかった。

古典的経済学では、土地・労働・資本、この3つの要素の生産性で富の大きさが決まるとしていた。

それぞれの限界生産率がどれだけ高いかが大切で、土地のそれは最も見込みが薄く、次の労働、最もいいのが資本、投資が増えるごとに生産性が向上していく。

そして、それだけで説明しきれないと気づいたポール=ローマーさんは、知識そのものが成果をもたらす、さらにそれは集積されればされるほど効果が出るものと指摘しました。

以下に一つづつ見ていきます。

1 私有財産権
自身の身体、具体的・知的含め、市民の自由として

トロツキー・ハイエク・Jロックが、私有財産と自由の生の関係を見出していたが、その源流は古代ギリシャに見られます。

紀元前1100年、ギリシャに私有財産が尊重されていたために、自由意志による農業の改革が大いに進んでいました。

そう、私有財産の尊重、土地持ちに開かれた投票権、自前の軍備がそろったギリシャは目覚ましい発展を始めました。

そしてその後、ソロンによる改革で、土地の有無にかかわらず政治に参加できるようになりました。

しかしその後のペロポネソス戦争により、多くの民が土地を手放し、企業農場へと移行するが、その生産性は驚くほど落ちて行きました。

限られた土地が、一部の富裕層の手に渡り、アテネの年も滅んで行きました。そう、「国家が長期にわたって繁栄するためには、経済的な機会を人口のなるべく多くに与えることができるかどうか」。
なぜなら、「そうした者こそ、その国の政治に個人的に関心を持つからです。これを利害関係者効果(ステークホルダーエフェクト)といいます。

農業による繁栄には、無理がありました。

時代は飛んで12世紀のイギリスに、ここで世界は決定的に方向チェンジします。

イギリスのマグナ・カルタ

ジョン王の暴君ぶりは、当座から有名であったが、
いよいよフランスとの戦いにおいて戦費が必要になり、
貴族の土地を取り上げ、王の土地の地代を上げ、財産を撤廃した。

1215年。貴族が反旗を翻し、ロンドンを占領、ジョン王を交渉の場に連れ出し63章からなる「貴族たちの契約」を結ぶ。

コレが後の「マグナ・カルタ」である。

当時すでに、判例法の基礎を築き、その集積の総称である慣習法をもっていた。これは、エドワード=コークによると、大陸法との比較から、司法と立法の完全な分断を強調している。

大切な約束は第39章「生命ふくむ財産の保護」。
また41章の「海外との自由な貿易」です。

ホッブス・ロックの功績(国家はなんであって・何をすべきで・何をすべきでないか?)

ホッブスの『リヴァイアサン』は、自然状態の人間はいかにも悪徳で野蛮、万人による万人の闘争状態であるから、超越的な機関を設け、そこに暴力を委託し、自分を守ろう。その機関というのが国家。とする趣旨です。

ロックも上記を踏襲するも、基本的に国家の正統性は財産を保護できるかだけ。ロックの統治論は、その後のアメリカ独立宣言で見事に生かされます。

2 科学的合理主義

科学的合理性の父といえばベーコンですが、彼の功績は、当時の西洋の知的枠組みの欠点を明らかにし、新しい科学的方法がいかにあるべきかを明確にした点です。

方法の再編集、思考方法の編集、とでもいえるものでしょう。

当時は機能的方法(観察・事実の収集・理論の構築)は一切使われていなかった。「試してはならな」かったから。神への疑いと同義=死刑と同義であったからです。

そこでベーコンが提示したアイディアが以下3つ。

1 現在が自然・ベストというのは間違い。いくらでも改良の余地はある。
2 演繹推論には欠点がある。
3 自然への理解は改良し続けられ、人類の幸せも一緒に上がっていく。

ただし、人間は「色眼鏡」をかけているから注意するように、として以下4つを挙げます。

部族・洞窟・市場・劇場・パターン認識(詳細は別に譲ります)

そうして宗教と科学が分離し、「宗教は誰が、なぜ」を追求、科学は「何が、どうやって」をそれぞれ追求していきます。

ルネサンス

長く封印されていたギリシャの知見が、西ヨーロッパにもたらされる。

ガリレオ、ニュートンの知恵が花ひらきます。

そしてハレー彗星の推測、そのハレーさんによる、クロノメーターの開発補助による航海の安全さがもたらされる(輸送)ことになりました。

②に続きます。

佐々木真吾

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