嘔吐彗星の現代川柳の何句かを鑑賞する
大橋弘が発行する同人誌「仙藥」(vol.12, 2023年4月28日発行)に嘔吐彗星は「無限オセロ」と題して川柳を7句寄せている。
歯牙の抜き差しストロボ馴致
4句目を抜いた。馴致という動詞は、ほとんどの人にとって見慣れないものになっている。動物、とりわけ馬に関する遊びでも、学びでも、あるいは生業でもいいが関わったことがある人であれば馴染みがあるかもしれない。「ストロボ馴致」は、わざとそう言うのだが、良い文章とは言えない。もちろん擬人法のうちで、ストロボ「を」馴致と読めば、ある程度読解できる。その読解の上で、良い文章ではないのだ。その方向でイメージを重ねると、ストロボというたいへん機械的なもの-ストロボが機械だから機械的なのではなく、ストロボ自体がたいへん機械的であることを強調しなくてはならない-を、機械的な動作でモデルに対して労働をさせるものを、馴致する、というおよそ真っ当とはいえない文章として読むことができるようになる。ストロボ馴致は二重に飼い慣らしている。この対象が被写体であればまだよいのだが、むしろ実験動物のほうを想起させられるわけは、前段の「歯牙の抜き差し」にしっかりとある。
一方、そうでないとすれば、ストロボ馴致-法ということになる。目眩に対する反応を見るのだ、あるいは目眩のうちに、より残酷な行為をするのだ。いずれにせよ、真っ当ではない。こうしたマッドな実験のようなイメージが嘔吐彗星の川柳の特徴のひとつにある。「Loose ends」の連作から最後の句を引こう。
細胞のサイクル 最高のスマイル
これもそうだ。理科の実験におけるのぞき穴。サイクルの観察の作業は、サイクルの各段階に相当し、これらのイメージを収集することである。およそ、最高のスマイルからは程遠い行為だ。細胞のサイクルを人生と見る向きもあるだろうが、こちらは最高のスマイルというほんわかとした人生最高!ワードのイメージに引きづられすぎである。韻律によって導き出された応答、いわば弱い理由によって持ち込まれたものであることを考慮せねばならない。弱い理由によって連れてこまれた語はありきたりな大きなものとして読まれやすい。もちろん、愉しみ方の話をしている。「続けるかどうかは他の断面図」は同連作より、こちらはこの流れに乗せてしまえばあまりにも病理診断すぎるだろうが、詞書には「二車線の継ぎ目からいつまでもウィンク」とある。曲がり切れずに立ち往生した車の片目が明滅しているが、それがどうした?雪でも、積もっているのだろうか。
人体模型みたいな自販機
「Future Offenders」という偉大で長大な連作より。これは、もちろん理科室なのだが、怪談のほうへすこしズラされることになる。今までの3句は、評の妥当性の担保のために引かれた句たちだ。もっと理科室を見出すことができるなら見出すといい、だが保証はしない。
怪談めいたものから、撮影に関わる語の世界を限りなく広げてみると面白くなってくる。「歯牙の抜き差しストロボ馴致」も「細胞のサイクル 最高のスマイル」も撮影にまつわる。
上は、ネットプリント「Glaze Zone」の12句連作の告知画像で、嘔吐彗星(@vomitcomet09)のツイートから拝借した(いつでも削除の対応を取ろう)。面白い絵になっている。レンズの断面図をシンメトリーに扱ったものにも、写真に入り込んでしまったフレアにも、あるいは捕食する異形の口−要するに扉−にも見える。この画像の上に連なる句のうち、6番目の句。
反射も 海も 同根語
サリンジャーを筆頭にした面々により擦られすぎてしまったシー・モア・グラスを響かせつつ、反射を最高位までに押し上げようとする句。水琴窟のような句だと思う。だが「反射されこそすれ歌われるなんて」(またしても「Loose ends」より)を読めば、火元が発する光線がミラーを反射してイメージセンサに届くこの動きを、脆いバリケードテープで強引に塞ぎこもうとしようとする方向に気持ちが傾く(だがそれは全く不可能なことだ)。
簡単なガイドツアーでした。最後に「Future Offenders」より一句。この連作は、嘔吐彗星のnoteで公開されているので、読むといいと思います。
縛るもの 不凍液色の海の家/嘔吐彗星
2023年5月30日
突然、嘔吐彗星の句全体を読み直したので、
鑑賞の痕跡を残すことにする(ササキリユウイチ)
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