名前のない毒は最後に効いてくる。【前編】アンナチュラルの話。
「アンナチュラル」を考えていくときに,まずは「名前」の話を入り口にするとスタートしやすいのではないかと思います。今回考えるのは,「異性間交流会」「子豚搬送」「赤い金魚」の3つです。これらを使うことでどんなことが起こったのか。「アンナチュラル」を「名前」から考えてみます。
名前をめぐる物語
これは名前の話です。
アンナチュラル第1話,第1シーンはこんな会話で始まります。
三澄「名前?」
東海林「そう。問題は,名前。」
ということで,まず,「このドラマは名前についてのお話だ」ということから今回始めましょう。
名前が無いと,毒も薬も存在しない。
これには反論もありますよね。
名前がついていようがいまいが,あるものはあるでしょう?と。
なので,もっと正確に言うことにすると,「名前がないと,もしそれが存在していても私たちにはわからない」ということになりますね。
一方で,一度名前がついてしまうと,本当はないものでもあることになってしまう。
そして,全ての名前はその名前をつけた人がいます。名前は必ず「誰かがつけたもの」です。人はいろいろな理由で名前をつける。
ときには,なにか自分の得になることを得るために。
ときには,自分の損になることを避けるために。
ときには,正体がわからないものにかかわる不安を退けるために。
そしてときには,それまで理解できなかった現象を理解するために。
ではまずここから,具体的に名前がついたことで存在したものの話をいくつかしていきましょう。ここで考えるのはこの3つです。
・異性間交流会(第1話)
・子豚搬送(第8話)
・赤い金魚(第1話以降)
ではいってみましょう。
異性間交流会
まずは手始めに,やはり第1話の第一シーンで語られる「異性間交流会」からいきましょう。これを言い出した臨床検査技師の東海林さんいわく,
「見知らぬ男女が集い,食事を会話を交わし,交流を計る…」
これにかぶせて主人公の三澄先生が
「なんだ合コンのこと?」
と呆れたように一蹴します。
まずはここから。
この前の部分の会話では「名前?」「そう,問題は名前。」と始まって,花粉症や化学物質過敏症も名前がついて初めて認められたという流れになっています。
こんな感じで,「名付けが重要である」というこのドラマも一つの大きなテーマがはじめのシーンから語られています。しかもこの話,かなりおちゃらけた雰囲気で交わされるので,とてもテーマに絡む話とは思えませんね。
そして身もフタもない
三澄 「…何か響きが卑猥なんですけど」
東海林「ときには卑猥もあり!へっへっへっ」
と会話が進んでいきます。本当に他愛ない同僚(あるいは友だち)同士のおしゃべりに聞こえます。流れている音楽のコミカルさと相まって,東海林さんのキャラクターの紹介としての機能しか持っていないように見えます。
しかしこの言葉は,この第1話の中でもう一度登場します。今度はこの第1話のキーポイントになる極めてシリアスな場面で重要なキーワードとして再来します。
この第1話は,2回の大きなどんでん返しを挟んでの3部構成になっています(連続ドラマの第1回なのに!)。2度目の「異性間交流」の言葉は,そのうちの2回目のどんでん返しという最重要シーンで再び登場するんです。
そのシーンはこうです。
三澄「あのう…大変つかぬことをお伺いするのですが,その日,しましたか?高野島さんと。異性間交流。」
馬場「?(何でそんなことを聞かれているのかわからず怪訝そうな表情で引く)」
三澄「キスはお好きですか?何回くらい,どのくらいしましたか?」
繰り返しになりますが,ここは構成が複雑な第1話の中でも最も重要なキーポイントになるシーンです。そしてここでは性的な話が大きな要素として持ち込まれます。
このシーンの言葉,性的な話を直接的な言葉でストレートに聞くのはこのドラマのトーンからは外れることになるでしょう。作劇上の問題です。しかし,聞く内容としては直接的にずばりと聞かないと,必要なことを躊躇なく聞く三澄先生のキャラクターから外れてしまう。
ここでは言葉づかいとしては直接的ではないが内容的には直接的に性的な話を聞くという離れ業を行わなければなりません。
そこに繋がっているのが,冒頭のシーンで語られる「異性間交流会」です。前振りとして,東海林さんのセリフでこの言葉には性的な意味があるということがわざわざ語られています。
このことによって,直接的には性的な言葉を使わずに,三澄先生が馬場さんに直接的に聴くことができたのです。そしてこれがまさに名付けることの効果と言えるでしょう。
もう一つ大事なのが,第6話「友だちじゃない」の中では,異性との交流(食事と,その後の暴力的なかかわり)が出てくるにもかかわらず,「異性間交流」という言葉は使っていないんですね。この言葉がもついささかユーモラスなトーンは,第6話の極めてシリアスな展開には合わないように思います。
このように,似たような状況にあっても,言葉を安易に使い回されてはいないということもまた,このドラマの持つ緊張感に寄与しているのではないでしょうか。
名前をつけたことで存在したものの一つ目は,この異性間交流ということになります。
子豚搬送
次に,「子豚搬送」のことを話していきましょう。
この名前,アンナチュラルを見ていた方と,消防や警察など人命救助にかかわるお仕事をされている方以外は馴染みのない,むしろ不思議にコミカルな印象を受ける言葉なのではないでしょうか。
一方で,アンナチュラルを見た方にとってはどっと涙が込み上げてくる名前でもあります(私もそうです)。
この言葉は,第8話の「遥かなる我が家」で出てきます。
この第8話では,雑居ビルの火災で亡くなった10人の方のご遺体がUDIラボに搬送されてきます。ご遺体は全身炭化していますから,まずはそれぞれのご遺体がどなたなのかを特定するところから始めなければなりません。それから死因の特定というところに進みます。
この中のお一人,後に町田三郎さんという方だと判明するご遺体が最後に特定されます。このご遺体には,ロープの跡があり,また後頭部には何か硬いもので強打された形跡があることがわかりました。
さらに,腹部に始めは内視鏡手術の跡と思われていた傷が,実は銃創,つまり銃で撃たれた跡であることがわかりました。そして,服役歴があることもわかりました。
これらのことから,はじめ,町田三郎さんが何ものかに殴られ,縛られ,それを隠すために放火されたのではないかという疑いがかかります。これはそこまで得られた情報から考えれば,自然といえば自然な推測です。
UDIを訪れた町田さんのご両親(言葉から福岡の方だということが推測できます)も,ろくでなしの息子が多くの人を巻き込んで亡くなった,ろくでもない事件だと受け取ります。お父さまはそのことで,亡くなった息子を激しく罵倒もします。「このバチアタリの,ろくでなしが!」と。
しかしここからいろいろな事実が一つずつ積み重なっていきます。
まずは火災に遭ったスナックで働いていた方の話から,町田さんがその雑居ビルに入っていたお店の常連であったことがわかります。そして,その場所のことを大切に思い,またそこに集まる人たちと親しく付き合っていたこともわかりました。おそらくは,家族同然に。決して脅して回っているような関係ではなかった。
次に,火事で唯一助かった生存者のロープの跡が,火傷をした後についたものであることもわかりました。そして,生存者と町田さんのロープの跡を併せて三澄先生と東海林さんが調べたところ,これは通称「子豚搬送」,正式には「背負い搬送縛り」と呼ばれる方法を使って町田さんが生存者を安全なところまで運んだ,ということがわかりました。町田さんは縛られていたのではなく,この縛り方を使ったのですね。
それがわかるとほぼ同時に,テレビのニュースで火事が放火ではなくスナックのプロジェクターの発火から起きたということがわかります。これは消防局の仕事でもありますね。
さらに,町田さんの後頭部の打撲は,バックドラフトによって吹き飛ばされて廊下の金属製の手すりに頭を打ちつけられたというじこであることもわかりました。これは久部さんとUDIラボのメンバーが消防の撮った大量の写真から手がかりを探し,毛利さんと向島さんの協力によりルミノール液を使って確かめられました。
ということで,
・町田さんは雑居ビルに出入りする人たちととても親しい関係にあった
・ロープ跡は縛られたのではなく「子豚搬送」によって人を助けた跡だった
・火事は放火ではなく事故だった
・後頭部の打撲は殴られたのではなく事故だった
ということが明らかになりました。これによって
「服役歴のあるろくでなしの男が雑居ビルの店を脅して回ってみかじめ料を取っていたが,何ものかに後頭部を殴られ縛られて殺され,それを隠すために放火されて他の9人の人を巻き添えにして亡くなった」
というストーリーが,
「プロジェクターの発火による火災で逃げ遅れた親しい人たちを,自分自身も大けがを負いながらも何人も4階まで助け上げ,ぎりぎりまでみんなで助けを待ちながらも最後には火の手によって命を奪われた」
というストーリーに書き変わりました。これは上にあげた4つの証拠の合わせ技によって起こってはいるのですが,キーワードとして上げられるとしたらやはり「子豚搬送」という名前が傷跡の原因として特定されたことが大きいでしょう。
そしてこの「消防士が使う救助の方法である子豚搬送」は,実は消防士であったお父さまが,かつて町田さんに教え,町田さんはそれをしっかり覚えていてとても大切な場面で親しい人を助けるのに使ったということがわかったのです。
このことは,「子豚搬送」という名前に三澄さんたちがたどり着かなければ永遠に明らかにならなかったことでした。町田三郎さんは永遠に「バチアタリのろくでなし」でいつづけるしかなかったのです。
これが名前の力ですね。
赤い金魚
今回扱う最後のキーワードは「赤い金魚」です。これはみなさんご存知の通り,この物語全体を通じて謎を解くための最重要のキーワードの一つです。
この「赤い金魚」は,(物語時点から)8年前に亡くなった,中堂さんの恋人の糀谷夕希子さんのご遺体の口腔内に残された痕跡を,自ら解剖した中堂さんが見つけ出したものです。
この名前,よく考えると不思議なネーミングなんです。というのも,例外はあるにしても,金魚が赤いということは不自然なことではないからです。「緑の」とか「青い」であればともかく。
もともと赤いと想定されるものにあえて「赤い」をつけるというのが,不思議と言えば不思議なわけですが,ドラマ中で「赤い金魚」といわれたときには,全然違和感がない(少なくとも私は持ちませんでした)のもまた不思議なことです。
敢えて理屈をつけるとすれば,明らかにキーワードとわかる言い方で当たり前の言葉をいうということが,この言葉の存在感を強くさせているのかもしれません。
いずれにしても,「口腔内に残された,一見すると魚の形にも見える傷跡」を中堂さんが「赤い金魚」と命名したことで,同じような傷跡のあるご遺体を探すことが可能になりました。少なくとも木林さんに協力を仰ぐことは,この名前がなかったら不可能だったでしょう。
この名前は第1話の最終版で木林さんによって口に出されたあと,ときおりその姿を見え隠れさせながらもしばらくは謎のまま物語は進んでいきます。そして第7話の最終版で,それまでの積み重ねにより三澄先生にいくらか心を開いた中堂さんの口から,「赤い金魚」が何ものであるのかについて語られ,謎のままではあるものの,われわれ視聴者にもそれが何かの手がかりであるということが示されるのです。
このあと,第9話,第10話とこの「赤い金魚」がつけられた理由とつけた人物が特定されていくのはすでにみなさんがご存知の通りです。ここまでで明らかな通り,この命名がされなかったらそもそも同様の傷を探すこともできなかったでしょうし,これが手がかりだと考えることもできなかったでしょう。
名前があるから考えられる
ここまで見てきたように「異性間交流会」「子豚搬送」「赤い金魚」の三つの名前は,その名前がついたからこそある現象について考えたり伝えたりすることができるようになったものです。
そしてこれらはそれぞれに,謎が謎のままでなくなるために,中堂さんの言葉を借りればその謎が「永遠に答えの出ない問い」のままではいないように,三澄先生はじめUDIラボの人たちが知恵をしぼって本当の死因,あるいは「その方がどのように亡くなったのか」を探っていくことに結びついています。
これが今回のはじめの方で書いた,「名前がないと,もしそれが存在していても私たちにはわからない」ということの意味です。そして,名前があるからこそ私たちがそれについて深く考えることができる。まさに,「問題は,名前」です。
一方でですが,名前は不用意に一度つけられると,存在しなかったものや存在しない方がよいものを存在させてしまうという危険性もあります。
アンナチュラルではそのことも描かれているのですが,ここまでも長くなってしまったので,この話は次回に考えていくことにしましょう。
それではここまで,お付き合いいただいてありがとうございました。
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佐々木玲仁