佐藤雅彦さん『考えの整頓 ベンチの足』の話をしたい
毎日同じ道を歩いているにもかかわらず、そこにさまざまな発見を見出せる人に憧れる。小さな事象の背後にある大きな真実に思いを巡らせること。点と点をつないで豊かな意味を見出すこと。何の事件も起こらない日常に転がっている輝きを丁寧に拾い集めること。それこそが豊かな人生だと、私は思っている。
佐藤雅彦さんは、まさにそんな生き方を体現するような方だ。佐藤さんのものの見方や考え方を知れば知るほど、その静謐なユニークさに惹きつけられる。その佐藤さんの新刊エッセイ『考えの整頓 ベンチの足』を読んだので、今日はその話をしたい。
その前に、佐藤雅彦さんについてもしご存じない方のために、事前に説明を加えておきたい。佐藤さんは東京大学卒業後、電通に入社。そこで私たちに鮮烈な印象を残したさまざまなCMを作った人として知られている。たとえば「ドンタコスったらドンタコス」。たとえば「ポリンキー、ポリンキー、三角形の秘密はね」。たとえば「バザールでござーる」。ある一定の年齢以上の人であれば誰しもが、これらのフレーズがメロディと共に再生されるのではないだろうか。
電通を退社後は、慶應大学で、そしていまは東京藝大で教授をされている。電通を去った後の活躍もそれはそれはめざましいものだ。たとえば「だんご三兄弟」。たとえば「ピタゴラスイッチ」。社会現象まで巻き起こしてしまうほどの、他と一線を画す斬新な企画を次々と生み出してきたのが、佐藤雅彦さんなのである。
と、ここまで八面六臂の活躍をされてきた人だ。その曇りのない経歴に圧倒されてしまうかもしれないが、どうか安心して欲しい。佐藤さんの文章は、そして眼差しは、どこまでも実直で誠実だ。
『考えの整頓 ベンチの足』には、佐藤さんが雑誌『暮しの手帖』で連載してきた文章の中から厳選された23編が収められている。それらの文章をとおして、私たちは佐藤さんのものの見方を、窺い知ることができる。
なかでも私が好きなのは、ある小学生との邂逅を描いた「たしかに……」だ。
ある日佐藤さんが電車に乗っていると、そこには一心不乱に本を読みふける小学生がいる。そしてその子はふと「たしかに……」と呟くのだ。たったそれだけの出来事。しかしその邂逅によって、話は大きく大きく広がっていく。その小学生よろしく電車の中で熱心に本を読んでいた私も、思わず「ふふ」と笑わずにはいられなかった。
「ああ、またやってしまった」では、誰もが一度は経験しているであろう、ティッシュをポケットに入れたままで洗濯をしてしまう現象について書かれている。しかし、そこには佐藤さんの突出した探究心が如実に発揮されている。
「全国の巻尺への疑惑を晴らしたい」は、メジャーに隠されていた秘密を解明する。その発見自体ももちろん膝を打つものなのだが、佐藤さんの静かな興奮やふつふつとした喜びが伝わってきて、本当に面白い。
心から美味しいものを食べた時、隣にいる人にも「ねえこれ美味しいよ」とおすすめし、味わってもらい、「美味しいねえ」と顔をほころばせながら、共にその美味しさを共有したいと思わないだろうか。私はいままさにそんな状況で、自分が心から好きだと思えるこのエッセイを読んでもらって、みんなで「ああ面白いねえ」と言い合いたい気持ちでいる。
いろいろと熱く語ってしまったが、きっと私の文章を読んでくださっている方なら、必ずや佐藤さんの文章の魅力に取り込まれ、私と同じような気持ちになるはずだと思う。だって私の何千倍、何万倍濃縮されたエッセンスが、この本にはぎゅうぎゅうに詰まっているのだから。
なんのてらいもなく、ただただ好きだと思える文章に出会えたこと、そしてページを捲る時間が、本当に幸せだった。こんな喜びがあるから、本を読むのはやめられない。