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なんてステキなランツゲマインデ!! デモクラシーのルーツって?

中世から、おそらくは1000年以上前から営々と続いて来た「まつりごと」であるランツゲマインデ。ずっと行ってみたいと思っていたがようやく実現した。

朝、会場に一番乗りした。真ん中にステージがあって、大きなスピーカーが設置されている。広場全体には、緩やかな傾斜のある板が貼られている。そして、四方の1つの対角の隅には、投票権のない傍聴者用に、同じように板が貼られた立ち席が確保されている。広場のすぐ後ろまでアルプスの山が迫っていて、本当に美しい。

グラールスについて、何も調べてなかったんだけど、道中ネットで調べると、スイスで一番美しいとか、一番小さい州都とか書かれている。昨日の宿は、山岳地域のスキー用のホステルだったけど、(もちろん、最安値)とてもいい空間、地元産のチーズ、ヤギのソーセージ、最高だった。
ランツゲマインデの前日には、会場近くでスイスで一番大きいフリーマーケットが行われていたらしい。会場近くの通りでは、今日も出店がたくさん準備していた。

この地域の伝統衣装を着て参加する女性も!

開催に先立って、会場近くのメインストリートで、ブラスバンドと軍隊のパレードがあった。続いて、州の公職にある人たちが市庁舎に入って行って、2階のテラスから顔をだして市民たちに手を振る。ネットを調べると、ここには議会がないという記述もあったが、そうではないようだ。そして、公職の人たちが降りて出て来て、会場までパレードする。そこで私もついていくように入ったが、会場はすでに人でごったがえしていた。

まずは、新しい州知事を二人の候補から投票で選ぶんだ。挙手で、眼の前で人を選ぶ選挙をするのには、びっくりだ。参加している有権者たちは、自分が賛成することに対して、今年は緑色の厚紙を掲げる。事前に自宅に送られて来て、それを入場券として持参するようだ。そうすると紙の多さで、多数が判別できるわけだ。その紙の色は毎年違うようだ。
誰に投票したかが分かってしまう選挙は、とても弊害が多いから、近代のデモクラシーでは「秘密投票」という原則が確立され、だから、ランツゲマインデそのものが廃止されて行ったのだけど、いざ、公開投票の現場を初めて見てみると、そのシンプルさに驚くばかりだ。あれだけ大勢の人で、一瞬の挙手で決めてしまうと・・・・
「クソ、あいつ反対候補に入れ上がって!!覚えてろ!!」
なんて感情が湧きようがないんじゃないかな。本当に投票は秘密であるべきなんだろうか?という疑問が湧く。

そう、州知事選挙が数分のスピーチと挙手で一瞬で終わってしまう。あ然とする。ステージの設置にはかなりのおカネかかってるけど、選挙そのものに要する費用は、まぁ、ゼロだ。
ただ、僅差だったらどうやって判断するんだろう?(笑)

それから、他に、行政執行責任者、裁判官を挙手の投票で選出し、新しい州政府ができて、そこから審議が始まる。

なんと最初の議題は税率だ!
このカントンは小さくて財政難で、増税するかどうか、この場で決める!
わぉ、どういうことになるんだろう?
とワクワクしていたけど・・・
増税については、歳出カットしてやらないという政府案に反対意見がないから、それで終わり。基本、スイスの財政はとても健全運営されていて、赤字といっても、タカが知れている。

次に、1人の農業者が公有農地の分配の不平等をなくすことを訴えた。
それに対して、政府と議会から、ちゃんとやってるという反対意見を3人が述べ、結局、その提案は大多数が否決した。事前準備をしっかりしなでやると、こういう結果になるんだと、隣の解説者が教えてくれた。でも、とりあえず、たった一人の主張がこうやってみんなの前でちゃんと議論されて、判断がくだされるということ自体がとても素晴らしいことだ。

次は自転車道の整備条例に数値目標や達成時期をいれるべきというグリーンなどの提案は、何人ものスピーチの末、投票して、結局、付帯はしないことになった。

さらに、福祉組織の改変、学校の建設予算、だんだん長くなってきて、席を立ちだす人が増えてきた。周りのレストランではランツゲマインデ用の特別メニューが用意され、それ食べて帰るのが恒例のようだ。

デビッド・グレーバーは、近代デモクラシーのルーツは(決して古代ギリシャじゃなくて)ネイティブ・アメリカンだと明言してるが、スイスのランツゲマインデは、新大陸発見のずっと前から行われている。文献にでてくるのが900年前くらいだが、それからどれほど前に始まったのかは知る術もない。私は、アイスランドにある世界初のデモクラシー集会が行われたという場所にも行った。大陸プレートが地上でぶつかっている谷の広場で、景観がすごい。もちろん人びとが各地から集まって何日も話し込んだのは、西暦930年、1000年をゆうに超える昔のことだ。宮本常一が書き残した日本の「寄合」もかなり古くから広い地域で行われていた。

人間社会は、暴力で歪められない限り、自然状態ではデモクラシーなんだというのが私の確信だ。もちろん、多様性はある。

人間社会では、機関銃が開発される前は武器の殺傷能力はたかが知れていたし、活版印刷ができる前は広域で情報を共有することは、容易ではなかった。識字率も本当に低かったろう。そして、機関車ができる前は、人間の1日の移動距離はたかが知れていた。(明治以前、富士山を見た天皇はいなかった?笑)そういう社会では、武力を背景とした権力が社会の隅々まで共有されるなんてことは不可能で、個々人の発言力は今想像するよりはるかに強かったに違いない。歴史の教科書は強力な王権ばかり強調するが、現実の社会は全然そうじゃなかったろう。そもそも国という概念ができたのも、そんなに古くない。

しかし、いつの間にか、デモクラシーとは、「何年かに一度、候補者の中から代表を選ぶ」というものになってしまった。その制度は暴力、もしくは脅しで世界中に押し付けられたもので、本来のデモクラシーとは程遠い。デモクラシーという言葉は、近代ヨーロッパで、権力闘争の大義名分として利用されたが、実態は、完全に骨抜きにされてしまっている。

「誰かが決めたことに、ただ従順に従う以外、生きようがない」

というのは奴隷社会以外の何ものでもない。現代社会の無意味な長時間拘束と、クソどうでもいい情報の洪水によって、その奴隷制が維持されている。

自分に関わるあらゆることの決定に自分が関与する、主導もできるというのが、人間らしい社会にとって、何より大事な要件だというのは、多くの人が共有すべきことだ。

大勢人が集まりながら、本当にどこか神聖な空気が流れていて、澄んだ空気に包まれ、素晴らしい世界だった。できれば来年はもう1つ残っているアッペンツェルを訪れてみたい。

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