掌編小説218(お題:ポンチョを着て出没します)
目的地付近に到着しました、とカーナビが音声案内を終了したので手近なコインパーキングにミニバンを停める。
「着きましたよ」
「あいよ、おつかれさん」
パーカーのポケットにスマートフォンを突っこんで織田さんは車を降りた。雨が降っている。フードをかぶった織田さんがうしろへまわりこんでドアを開けたのでわたしもすぐあとにつづいた。黒色の味気ないボストンバッグのうち小さなほうを引きよせ、まずは、骨組みをつくる。
「釜須ちゃんさ」と、織田さん。
「はい」
「最近、なんかあったの? 元気ないけど」
「あー」
骨組みは先端がカメラの三脚を逆さまにしたような仕組みになっているので、これを調節して、上手く鋭角をつくる。出来たら大判のポリエステルを被せ、骨組みとの接触部分には穴が空いているので、そこを六ヶ所内側から金具で固定。完成したら後部座席で服を着替える。
「てるすけのこと覚えてます?」
ハーフパンツのジャージに着替えながらわたしは言った。
「幼なじみだっけ、六コ下の」
「ですね」
靴下も、脱いで丸めたのを靴の中に押しこんでそのまま座席の下にやった。織田さんがジップパーカーを脱いだのでちらりと目をやる。白字で「おしゃれ」とプリントされた真っ赤なTシャツがあらわになりわたしはちょっとうれしくなる。織田さんのめちゃくちゃダサいTシャツコレクションを見られるのもこの仕事の楽しいところだ。
「てるすけがどした?」
着替えも済ませ、ふたたびトランクのほうへ。雨に濡れたアスファルトを裸足で無防備に踏みしめるのはいつやってもくすぐったい心地だ。先ほど組み立てた代物を小脇に抱え、わたしたちは小走りで指定された地点へとむかう。
「こないだ、あいつから久しぶりに連絡があって」
「なんて?」
「今度食事でも一緒にどうかって」
商店街を中腹で右に折れて、その路地裏。ここでいよいよ例の“ポンチョ”を被る。骨組みを支えている円形の台座にちょうど頭部が帽子のような具合にフィットするので、脇に垂れたベルトをあごの下で固定して、動作のチェック。
「てるすけ、無職じゃなかった?」
「なんか、最近やっと仕事見つけたらしいんですよあいつ」
「マジか」
「はい。それで、智世ちゃんにもいろいろ心配とか迷惑かけたからーって、今度給料で飯でも奢らせてよーとか生意気言ってきて」
「それで?」
「それで、……なんていうか、んー、フクザツといいますか」
「なにが」
「あいつの仕事、てるてる坊主なんですよ」
商店街はどこもかしこも営業時間をとうに過ぎてしんとしているが、脇道を逸れて、このあたりはまだ飲み屋の赤ちょうちんがぽつりぽつりと灯っている。
「マジか」と、また織田さんは言った。
「マジです。友達と飲んだ帰りに偶然てるてる坊主募集の張り紙見つけて、酔った勢いで電話して、そのまま」
「釜須ちゃんがこの仕事してることは」
「詳しく話したことないんですよね。てるすけには『演劇関係』とだけ」
「なるほどなぁ」
午前二時。契約の時間となり、わたしたちは裸足でステップを踏んでいよいよ通りへと飛びだしていった。
茜色のポリエチレンに降りかかる大粒の雨のエイトビート。濡羽色の舞台を蹴ってわたしたちはしなやかに踊る。ワン、ツー、スリー、フォー、ワン、ツー、スリー、フォー。目を閉じて、意識のすべての足裏に。
夜通し雨が降りしきるこんな日は「憂い」を表現することに決めている。ゆっくりと、しかし一つひとつの動きは大きく衝動的に。演劇関係の仕事を、というのは嘘じゃない。実際日々のほとんどは劇団員として舞台に立って芝居をしているし、イレギュラーなこの仕事も、たぶん演技の範疇だ。唐傘おばけ。正式名称は「からかさ小僧」というのだっけ。閉じた傘を模した、膝ほどまであるこの奇妙なポンチョを被って、日本全国、いたるとことに出没することがわたしや織田さんのもう一つの仕事。ワン、ツー、スリー、フォー。ここで一度ピタリと動きを止めて、次の瞬間大きくターン。
からかさ小僧はその知名度のわりに実際の目撃例がまるでなく、このまま人間の前に姿を見せずにいればいずれその概念も消滅してしまう――らしい。そこで数年前、文化の保護という名目で、「からかさ小僧に扮した劇団員たちが定期的に町に出没することで彼らの存在を維持する舞台活動」の契約がわたしたちの劇団と行政のあいだでなされたのだった。ワン、ツー、スリー、フォー、ワン、ツー、スリー、フォー。これはからかさ小僧という妖怪を意識した、可笑しくも脆くはかない、不安定なステップ。
からかさ小僧とてるてる坊主、両組織のあいだにはこれまで諍いが絶えなかった。前者は第三種交渉人に委任されたれっきとした仕事であるのに対し、後者は交渉人を介しておらず、てるてる坊主たちと直接交渉して無許可に天候をコントロールしようという組織だ。どちらもポンチョを被る仕事同士、一般人による誤解でこちらの劇団員が不当に仕事を中断させられることもしばしばである。
曇天のごと重たい足を、それでも美しく伸ばして。右足の爪先がアスファルトにキスをする。静止。雨粒の幕が下りて、からかさ小僧の憂鬱なおはなしはこれでおしまい。
路地裏に引っこむとポンチョを脱いで小脇に抱え、わたしたちはそのまま、路地裏をうねうね進んでそそくさとコインパーキングまで小走りで帰っていく。ミニバンにたどりつくとまずは別のボストンバッグから大判のバスタオルを取りだして汗だの雨粒だのをせっせと拭いた。
「てるすけなんですけど」
「うん」
下着は、まぁしょうがなくて。それ以外をさっきのトレーナーとデニムにとりかえ、靴下、それから靴。
「あいつ人一倍真面目で優しくて、だからこそまわりにたくさん気を遣っちゃうんですよね。たぶん、それで就職活動も上手くいかなかったんだと思います。だけど、そういう繊細でがんばり屋なところがわたし……ほんとはあいつの両親だって、なんだかんだ好きなんです」
着替えが済んだら、ポンチョの後片付け。
「てるてる坊主になることを選んだのも、あいつのそういう性格考えたら、らしいっちゃらしいんですけど。でも、……『誰かのためになるなら』って理由で決めちゃうぐらいなら、無職のままでよかったのに。自分にできることよりも、自分のやりたいことが、きちんと見つかるまで」
「釜須ちゃんはてるすけのことよっぽど大事に想ってるんだねぇ」
「いや、そんなこと」
「あるよ。大好きだから型にはめたくなる。真面目で優しくて、繊細でがんばり屋さんで、釜須ちゃんのお姉ちゃん欲求を存分に満たしてくれる〈頼りないけど大好きな年下の幼なじみ〉っていう型に」
なにも、言い返せなかった。
帰りの運転は織田さんに任せることになっている。後片付けを済ませてわたしは助手席に乗りこんだ。織田さんがカーナビを操作して、わたしの自宅付近の住所を入力する音。どこのてるてる坊主のしわざだろう、心なしか、雨脚は少しずつ弱くなってきた気がする。
「でもさ釜須ちゃん」
コインパーキングを出て、織田さんは前を見据えたまま訊いた。
「からかさ小僧の存在を未来に残すためにこんなヘンテコなポンチョ着て真夜中道端で踊る仕事をしてるきみが、一体いつから人をそうやって付加価値で判断するようになっちゃったんだろうね?」
口をつぐんだわたしの代わりに、織田さんが車につないでいるウォークマンがTシャツと打って変わってセンスのいいエレクトロスウィングを粛々と流していて。
「あたしたち人間の仕事っていうのは、遡れば本来『ただ在ること』だったはずだよ。からかさ小僧みたいにさ」
「他者貢献ってやつですか?」
「アドラーっぽく言うならね」
窓枠に片肘をついて、あごのあたりを、織田さんは指先でなでる仕草をする。
「意味とか目的とかないけど、いたらなんか、おもしろいよね。――そうやって妖怪なる存在を生みだしてきたのは他ならぬあたしたち人間でしょ。釜須ちゃんもさ、真面目だから好きとか優しいから好きとかいちいち理由なんかこねくりまわしてないで、てるすけっていう存在をもっと純粋におもしろがればいいんじゃない?」
「妖怪と一緒にしないでください」
「はいはい、釜須ちゃんの大切でフクザツな幼なじみだもんなぁてるすけは」
その後、一度だけサービスエリアで休憩の時間を設けた。織田さんはトイレのあとそのままタバコを吸いに行くというので鍵はわたしが預かる。自販機であたたかいココアを買った。車に戻ってそれを何口か啜り、そのあと、いよいよスマートフォンのメッセージアプリを起動する。
『おつかれ』
こんな時間だというのに、てるすけからの返信はすぐに来た。
『おつかれ、どうしたの?』
『食事の話。あれ、今日の夜でどう?』
このまま織田さんにアパートまで送ってもらって、そしたら、今日は一日オフだ。お風呂に浸かって昼までたっぷり寝て、映画を三本ぐらい観て、そのあとであれば、生意気なてるすけに奢られてやってもいい。理由を、またこねくりまわしているわたし。
『いいよ!』てるすけの返事は、こんなにも純粋なのに。
『行きたい店とかある?』『奢りだから、どこでも好きなところ言ってね!』矢継ぎ早に送ってくるてるすけに苦笑しながら、わたしは『パスタ』とそっけなく打って都内にあるおしゃれなパスタ専門店のサイトのURLを貼りつける。ブックマークしておいたのは、いつかてるすけが就職したらおめでとうを言うのに使おうと思っていたからだった。カルボナーラは、あいつの大好物だから。もちろん下調べはしてある。きっと気に入ってくれるはずだ。
「おまたせ」
「はい」
「なに笑ってんの?」
「別に」
真夜中の高速道路を駆けぬけ、一時間ほどでミニバンは都内に入り、やがてわたしの暮らすアパートのすぐ近くで停まった。織田さんとはどうせ明後日また稽古で会う。手短に挨拶を済ませ、わたしはトランクに載せていたボストンバッグ二つと対峙した。
「手伝おうか?」
「いえ、大丈夫です」
美味しいものをほおばったときの、てるすけのあのにへらとした笑顔を、今は無性に見たい気持ちだった。どういう理由でかはどうでもいい。肝心なのは、それをこんなペラペラのポンチョ一枚に阻まれるのはたしかに馬鹿らしいということ。
ポンチョが入ったボストンバッグはとくに乱雑に肩に提げ、じゃあ、と織田さんを見送る。雨はすっかりやんでいた。濡羽色のアスファルトは街灯の光できらめき、アパートまでの道を、こんな夜更けにわたしは子供みたいに無邪気な足どりで駆けだしている。
★てるすけの話
▶掌編小説116(お題:雨宿り日和)
★不思議な仕事をしていますシリーズ
▶掌編小説136(お題:理科準備室に住みます)
▶掌編小説144(お題:公園を耕しています)
▶掌編小説145(お題:街灯の下でお辞儀をしています)
▶掌編小説151(お題:コンビニの地下で清掃をしています)
▶掌編小説182(お題:画面のむこうに帰ります)
▶掌編小説213(お題:梅雨前線でリンボーダンスをしています)
▶掌編小説248(お題:天井のシミに話しかけています)