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とある祈り
下手だという事は救いだ。
いろんな描きたいモノがある。
大きな筆を使うとそのいろんな描きたいモノの細かい所が飲み込まれ、それらから解放される。
単純に下手で、描けないということもそれと同じこと。描きたいモノの性癖から描けないことで解放されて普遍的なものへ目を向ける事ができる、また、それだから描くのだろう。そして、描きたかったモノや空間をそれらの描いた筆致のままに贖われ善いものにする。
一つのものにぶつかる者は、すべてのことに責任がある。
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下手なことによってぶつかったものは、その人の全身だ。必死にそこから逃げようとして細かく分割された趣味趣向の習態のグループへ逃げ込もうとする。けれどもぶつかったその人は自分を先頭に全てのことに責任があり、また全てのことを先頭のゆえに全てを手中にしてとても豊かだ。そして逃げ込んだ習態は非常に貧困であるが、そこから見れば下手は欠如でしかない。この世において末端の習態は多様だけれど無責任で、一への侮辱と反乱のゆえに罪に落ち込む。
私の罪を赦してください。というのはそれは多くのものだからです。