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デッサンの程度 絵画の終極と始まり
デッサンの程度について、十字架のヨハネにより1500年代に書かれた「カルメル山登攀」からの引用です。
" 初心には、視覚による形や明暗、また内的な想像で現実を捉えたりすることは、感覚を通して心のうちに愛を呼び覚まし、それに糧を与えるために必要であるが、ずっとそこに留まっていてはならない。それらは、感覚によって経験された似たものを造りだすくらいのことで、実在性がないからである。想像がどんなに大したものであっても、実在するそれには、はるかに及ばないのだから。それらは、あたかも終極に登って行くために必要な階段のように、通り過ぎなくてはならない。
彼らは、すっかり馴れてしまった感覚的なものから手を引こうとはせず、以前のようにイメージに頼る考えや黙想を続けたいと思い、またそうしなければならないものだと思い、しがみつくことに夢中である。
そこでは、彼らは非常な努力をしながら、得るものは僅かな糧か、あるいは何もない。そればかりかますます心の乾燥と疲労が増すばかりである。というのも、魂はすでにそのような感覚的な糧を好まず、先に進んで行っているからである。"
1576年 十字架のヨハネ著
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