「書くことがうまくなる」ってどういうことなのだろう。

年度の変わり目くらいだったか、書くことに対してすごく怖い、と思うようになった。
特に仕事でも文章を書いていると、「勉強になりました」と言われることがあるけれど、そう言われても嬉しいという気持ちは全然なくて、とにかく怖い、と思うようになった。

相手に何かをあげたくて書いていると、別に思想を誘導しようとかそういう気持ちはなくても、自身が相手より知識や経験を持っていて、書くことで影響を与えてしまうということに向き合わなければいけない。その「自身と相手の非対称性」が怖かったのだと思う。

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「書くことがうまくなる」ってどういうことなのだろう。
最初のうちは、書きたいことが手元にあって文章にしないともやもやしてしまうという状態だった。野球でいえば、手元にボールがあるから投げたい、ただそれだけのことだった。
それが段々と欲が出てきて、球威のある球を投げたいとか新しい変化球を身につけたいとか、そういう意味合いで書くことに対して「うまくなりたい」と思うようになっていった。
けれど、それはあくまで壁に向かって投げていればの話であって、実際に捕手や打者がいれば状況は違ってくる。ストライクゾーンにかつ打者を打ちとれるように投げなければいけない。いや、自分が打たれるだけならまだいい。そもそも捕手が取れなかったり打者にぶつけてしまったりしたら投げる資格はないわけで。

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SNSやnoteを見ていると、マイノリティでも発信できるようになって、それはとてもいいことなのだけれど、同時に「ミスリード」に対する感覚も人それぞれでそれに対してナーバスになることもある。

きれいごとかもしれないけど、書くことそのものは誰にとっても平等であってほしい。書くことが怖くなっても、私にとって大切であることは変わらないから。

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