打出の小槌。
障害者雇用や精神保健分野に関しては、当事者としても専門職も、経験や知識を持っている立場だから、仕事上で意見を求められることも多い。
もちろんそれは幸せなことだしやりがいのあることだ。チームや組織にとってプラスになるなら、伝えられるものは積極的に伝えていきたいと思っている。だけど、自分の持っている知識や経験に「タダ乗り」されるのはやっぱり嫌だな、と最近強く思う。
たまに「(意見や知識があるから)篠井さんに振れば何とかなるだろう」みたいな依頼をされるけど、そのたびに「私は『打出の小槌』じゃない」という気持ちになる。少なくとも自分の経験や知識は誰かを甘やかすものではない、と思う。
☆☆☆
私はいわゆる「当事者ワーカー」だけど、この言葉を見ると、「ワーカー」よりも「当事者」であることに重きが置かれているのを強く感じる。仕事では(特に報酬の面で)、「当事者」であるがゆえにボランティアかそれに近いかたちで力を求められることもあった。それはすごく理不尽で失礼な話だし、ものすごくきつい言い方をすれば「健常者」のワーカーに対して、「結局は同じ土俵に立ってほしくないんでしょ?」という気持ちもある。病気や障害の有無によらず、専門職としての福祉の知識や対人援助の技術を身につけたひとに対しては同じように敬意が払われてほしい。
☆☆☆
みんながみんな自分のやりたい仕事ができるわけじゃない。特に病気や障害があればなおさらだ。だから私は、やりたい仕事ができていることに対して、健全な責任感と健全なプライドを持って人と接したいと思う。相手が敬意を持っているかの見極めは難しいけど。