我の仕事は
我の表の仕事は、対人援助業務である。
しかも、わりと堅くてハードな内容の。
カウンセラーとかソーシャルワーカーっていう『支援者』なる人々に世の中が期待することは、だいたいわかっているつもり。
でも、あえて言う。
我の仕事の本質は、苦しんでいる人にひたすら寄り添い慰めたり、傷ついている人を労ったり庇ったり、求められるままに手を貸し肩を貸したりすることではない。
相手が抱える困難を、代わりに抱えたり解決してあげたりすることではないってこと。
マインド的にはむしろ真逆。
どうしたら苦しみにじぶんで対処できるか、どうしたら傷つく生き方を脱することができるか、どうしたら可愛いじぶんに貧乏くじを引かせる人生を終わらせられるかを全力で考え行動することを促す。目を覚ましてくれと魂を揺さぶる。
これが我の仕事。
じぶんの身の上に得体のしれない困難が生じている。その仕組みそのものを直視するには、ものすごい勇気が必要なのである。
傷つき落ち込んで自信を持てない人々は、この勇気をくじかれていることが実に多い。
かといって、いつまでも優しく受容ばかりしてたら(つまり支援者が相手の力を信頼しないことによって)、相手の大事な人生を無駄遣いさせてしまうこともあるわけで。
だから、こっちだって死ぬ気でエンパワメントするんだからな。
我に出逢ったら、じぶんをないがしろにする人生は終わりなんだからな。
お覚悟じゃ!
さもなくば、来世また会おうぞ!
と、つねづね思っている。
(来世、我は転生する気はないが)
あなたはもっと強い
あなたはもっと賢い
あなたはもっと誇り高い
あなたはもっと素敵だ
あなたにはもっと権利がある
あなたにはもっと価値がある
あなたはもっと美しい存在だ
いつまでじぶんを見くびっているんだと、叱咤激励するときもあるくらいだし。ある意味、じぇんじぇん優しくない。
でも、相談者の方々によく言われることがある。
『なんか、元気が出ました』
『暗闇に光が差した気分です』
決して優しくしたわけじゃないし、道を示したわけじゃない。
俯瞰して見ると、あなたは今こんなふうに詰んでる状態です。全力でこの状況を脱するためにはリスクのある選択肢しかありません。あなたは、どんなリスクならとれますか?って渋い話を正面からしただけ。
『優しくないけど、愛はあるぞ』
けっこう人でなし扱いされるんだが、小さい声でいつもつぶやいてる。
だいたいにおいて、我は簡単になにかをしてあげることはない。
だけど相手は、相談する前とは違うじぶんになりつつある。じぶんを生き延びさせよう、じぶんを幸せにしようという気概が満ちつつある。
そしてその後、ほんとにじぶんを救い出すために大胆に動き出す人が多い。
周りがびっくりするくらいに。
それが、我の仕事の特徴。
相談の中で何が起きたのか。
これがつまり、エンパワメントなのではないか。
じぶんにできることがある、じぶんで状況を変えられる、じぶんで責任をとれる、つまり自己コントロール感を取り戻したときに、人は上記の言葉を発するのだと思う。
支援者のおかげなのではない。
支援者がたくさんモノを知っていて、優しくて、頼りになるからではない。
じぶんの中に頼れるじぶんを発見したときに、人は勇気と安寧と自信を得る。そして自ら幸せと自由を体現していく。
全力でじぶんの源泉を思い出してもらえるように、全力でじぶんと出会い直してもらえるように、じぶんを全力で推せるじぶんになってもらえるように、心を砕くことならやれる。
そうでないことはやれないし、やらない。もう決めたんだもん。
全力で幸せであろうとする人のお役にしか立てないんだもん。
じぶんの人生だって残りいくらあるかわからないのだから、然るべきときに然るべき人の前にいられるように、日々正直にじぶんを研ぎ澄まして生きるほかない。
そういう圧倒的な厳しさの奥深くに誠実さを湛えた在り方でいようとするときは、ブラックルチルクォーツがよき伴侶となってくれる。
圧倒的な厳しさというのは、使いようによっては凶器となり得る。奥底にたしかに愛がなけりゃ、振りかざしちゃいけないもの。
ブラックルチルクォーツ。
小さくても圧倒的な高潔と情熱を放つ見事な石。
眺めてるとゾクッとするような凄みがある。
迷いや怖れや不信というヒトならではの弱さが眼を曇らせてしまいそうな日は、ブラックルチルクォーツを身につけることが多いかな。
誠実な良心と豪快な斬れ味とを、両方担保するためにね。
所長タスケ