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できる子の本音
鬱の後半期の話。
今までの知人でない人や子供とだけなら、数時間は一緒にいられるようになった時の出来事での気づき。
褒めたい
すごいね。えらいね。かっこいいね。
できたね。上手だね。
ベビシッターで子供と一緒にいる時間内は、とにかく褒めてあげたくて、常に褒めるところを探していた。
特に気をつけたていた事がある。
できる子ほど1回1回褒めることを忘れない。
なぜなら、
できる子ほど、できるからと、ほったらかしにされてしまう。
すぐに、何でもできることが当たり前のように思われてしまい、
褒めてもらえないのだ。
できない子は時間がかかっても下手くそでも、過程を注目してもらえて、形になれば必ず褒められる。
結果は同じなのに、出来るようになったということは同じなのに。
できる子は褒めてもらえる回数が格段に少ないのだ。
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大人の都合で子供扱い
さらに、できる子は周りを見渡すことも得意。
だからこそ感じてしまう、幼いながらに大人の対応は不公平じゃないかと。
子供だから、分からないなんて事はない。
それは大人が都合よく子供を子供扱いしているに過ぎない。
大人はできる子をみて安心してしまう。
ほっといても大丈夫って。
できる子もできない子も、大人に構ってほしい。
褒めて欲しい気持ちは同じくらい持っているのに。
実際は、できないことが多いほど褒められる回数が多いなんて、
大人はうっかりしすぎじゃないだろうか。
ここまで、考えてやっと思いだしたのだ。そうだった。
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幼かった私の言えなかった本音
私はもっと褒められたかった。
もっともっと褒められたかった。
私をみて欲しかった。
下の兄弟がいても、私も褒められたかった。
あぁこれが私の本音なんだって気づいた瞬間だった。
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褒められたかった。構ってほしかった。愛してほしかった。
でも足りなかった。
だから、頑張ったら、成果をあげたら、今度は褒めてもらえるに違いない。そう思い始めた。
頑張っていたら、褒めてもらえる。かもしれない。
それが、いつのまにか。
成果をあげない限り称賛に値しない私。
それが、いつのまにか。
頑張り続けても価値のない私。
何もしてない私は、駄目。駄目。駄目。
ただ生まれ落ちて生きてるだけは、駄目だと思い込んでしまった。
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愛されたいために頑張り始めた
本当は、全ての子どもたちはみな同じ。
何もできなくても、何もしなくても、ただ生まれてきただけで、
みんながみんな同じように価値があり、素晴らしい。
抱きしめ、褒め、愛すべき存在。
愛されるために頑張らなくて良いよ。
あなたを、しっかり見てるよ。
きっと、それが伝えたくて届けたくて関わる子供に私と同じ思いをさせたくなくて褒めたかったんだと思う。
それはまるで、幼い小さな私を助けるような行動だった。
震えて今にも泣き出しそうで、頑張り続けるしかなくて、苦しみと悲しみでいっぱいの自分を大きくなった私が抱きしめにいっているようだった。
本当に欲しかったのは、これだ。
抱きしめてもらいたかった。
褒めてもらえなくても、抱きしめてもらえたら、安心したのになぁ。
でも、褒めるよりも、抱きしめるって、もっとしてもらえなかったなぁ。
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抱きしめるという完全受容
後々、発達心理学を学び知ったことがある。
人と人とのあいだで行われるさまざまな身体、接触行動後、相手の体感を強く抱きしめると言う行為は、相手に対する積極的な受容を表す行動である。それは親子関係において相互の絆を強め、特に発達の初期においては、親と子の間に愛着を形成していく上でも重要な行為である。また、子供は愛着の対象から強く抱きしめられることにより愛されていると言う安心感を抱き、愛着の対象が安全基地として機能する重要な契機となる。
手を広げて胸で相手の体ごと受け止める行為は文字どおり【受容】なのだ。
【愛着の対象から強く抱きしめられることにより愛されている安心感を抱く】とは、人間はそもそも愛されている安心感を欲するということ。
安全基地とは、戻って来れる場所があるから外界に冒険に行ける、つまり旅立ち大人になっていけるのだ。
この【愛着】とは自分と関わりのあるものへの情愛的な絆のこと。
「愛着形成」は3歳までの過程で完成と言われているが、この愛着が大人になっても影響してくる。
そう、根は深いかもしれない。
大人になった今現在の自分がしている行動は
幼い時に欲しかったものを受け取れなかった小さな私が必死に生き続けるために、編み出した思考パターンや生き方の可能性もあるといこと。
鬱の人が向き合う事柄というのは、今だけじゃないよ。というお話。