見出し画像

漱石『坊ちゃん』の思い出

「親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしている。」

中一の時、この一文を畳に寝転びながら唇読した。これまで文学と言えば、書き出しを読んで音を上げていた。続かないのである。が、この漱石の書き出しには、いっぺんで魅了されてしまい、先へ先へと読んでいる自分がいた。小学校では、『ガリバー』『ピノキオ』『宝島』ぐらいしか読了していない。以上三冊はものの一時間以内で読めるものだった。対して、『坊ちゃん』は大作である。その大作を、夕飯に呼ばれるまで夢中で読んでいた。夕飯はさっさと済ませ、自室に戻ってその日のうちに読了した。

(損ばかりしていたのは主人公だけではないぞ。この僕もそうだ。)と心の中で呟きながら読んでいた。主人公と自分がシンクロして一体になったよう気分だった。それを後に「感情移入」と国語科のT先生が教えてくれた。

この作品には、坊ちゃんを無条件に贔屓にする清が脇役として登場する。この清の手紙を読んで、目頭が熱くなった。

東京の大学に入り、『坊ちゃん』を再読した。文芸評論家の江藤淳氏の『漱石とその時代』(三部作)も併せて読んだこともあり、感情移入は軽くなっていた。その代わり、漱石の愛着問題における「清」の役割について考えるようになった。

3回目、『坊ちゃん』を読んだのは中年(36歳)になってからである。それも何となく手を伸ばして読んでみた。この頃には、漱石の文体に興味を持ち始めていた。文体と内容は分かち難く表裏一体なのかもしれない。そう思って以来、短いセンテンスで書くよう心がけている。

漱石が好きだ。


いいなと思ったら応援しよう!

フンボルト
ありがとうございます。