東京おもちゃ美術館訪問記
知人のOさんから、「東京おもちゃ美術館で学芸員のボランティアをしています。ご都合がよろしければ、遊びに来ませんか。」というお招きをいただいた。
昨日の午前10過ぎのことである。
四谷三丁目駅から歩いて8分で東京おもちゃ美術館に到着した。入館して3階に上がると、Oさんを見つけて、ご挨拶を申し上げる。展示室のあらましを聞いてから、幾つかのおもちゃで遊ぶ。
私は、アフリカ、ヨーロッパ、日本の人形の展示室でしばし足を止める。
人形の起源は、おもちゃではなかったらしい。それは日本だけではなく、外国人においても同じであった。古代では、赤子の生存率は低かった。亡くなった赤子そっくりの人形(ひとかた)を作って祈りを捧げたくなるのは自然の成り行きであっただろう。例えば、縄文時代に出土した土偶は赤子形である。言い換えれば、人形である。
人形は、子宝祈願、無病息災に使われていた。その人形がおもちゃとして扱われているようになるのは平安期からと言っていいだろう。
そう思いながら、ふと、流し雛の情景を思い浮かべた。罪や穢れを人形に引き受けさせ身代わりにさせて川に流すお祭りがひな祭りの起源である。これは日本の話だが、外国でも人形に罪や穢れを引き受けさせたようである。
横道にそれた話になった。話を引き戻す。
来館している人の多くは、子連れの母親であった。母子は、人形よりもゲーム風のおもちゃや自然木で作った積み木のようなもので遊んでいた。
木製球がたくさんの入ったプールに数人の幼児が入って、そこて泳ぐ姿が面白かった。木の擦れる音が心地よかったのだろう。その音楽に合わせて踊る幼児の笑顔は幸せの頂点のように見えた。
かれこれ2時間ほど見学した。最後に、4連けん玉に挑んだ。Oさんは、その4連けん玉を1回で成功させた。私は2回目で成功させ、Oさんから「凄い」と褒めてもらった。
Oさんにお礼を言って、美術館の外に出ると、お腹の虫がグーと鳴いた。