子どものうそ
Photo by seiko 受け継がれるもの
今度の日曜日はまた釣りに行きたい!
息子が言いました。
毎日しっかり幼稚園で遊んで、給食は残さずきれいに食べて、先生のお話を良く聞いて、女の子を力いっぱいハグしちゃダメなんだよ。先生を困らせるんじゃなくて喜ばせて、園庭で走る時は良く周りを見て、一度怒られたら次は怒られないように気をつけて、お母さんがお迎えに来て『帰ろう』と言われたらまっすぐ車に歩いて向かって、そんなふうに頑張っていたら、
きっとそのうちに行けるよ。
と、私が言うと
頑張ってるよ、今日1回も怒られなかったもん。
おお、スゴいな!
でもね、あのね、シークレットなんだよ。先生にアスクしないでね。(内緒だから先生に言わないでね)
へ~
うそつくとナイトメア(怖い夢)見るらしいよ。
間髪入れずに
あ、1回だけ怒られた。
(息子はナイトメアが怖くて仕方ない)
そうか。
だって釣りに行きたいから!行きたいからうそ言ったの。
なるほど。自分がどういうわけでうそをついたのか、分かっているんだ。
スゴイなそれも。
子どものうそ。罪はない。本当に今なら分かる。でも7年前。まだ娘が小さかった頃、はじめてうそをつかれた日。
学童ではいつもおやつがもらえるのに、その日はなかった、という娘。かわいそうに思っておやつをあげた。
でも、本当は、違った。おやつはしっかりもらって食べたのに、もっと食べたいからうそをついた。
私は未熟な母でした。うそをつかれたという事実が許せなくて悔しくて悲しくて。小さかった娘が自分の気持ちを隠して、うまい言葉を見つけて私に伝えられるようになった、その成長を認められなかった。
どんなにお母さんが悲しいか、どんなにそれが悪いことか、何時間も言って聞かせた。娘は疲れ果て寝るまで泣き続けた。
その晩の後悔を距離にするなら、月までも行けるほど。
自分だってうそをつく。そうやって世を渡っていくのに。成長した証だったのに。どうしてあんなに責めてしまったのか、今でも思い出すだけで苦しい。
誰かの行いがどうしても許せないとき、それはイコール、自分の中にある何かを許せないということ。
その頃の自分は、やりたいことをうまくやれずに苦しんでいた。全く自分らしくないと気づいていたのに、気持ちにうそをついたまま過ごしていた。そんな気持ちを娘にぶつけていただけ。今なら分かる。
自分に余裕さえあれば、「おやつ、もっと食べたかったんだねー」の一言で終わるはずだったのに、娘を泣かせる必要なんて1ミリもなかったのに。こんな苦い思い出を背負うこともなかったのに。
あれ以来、子どものうそには気づかないふりをしている。それもうその一種かな?もちろん「悪いウソ」を言った時にはチクリと伝えるけれど。
わかりやすく丁寧に解説されていました。もしお子さんの「うそ」に悩んでいる方がいらしたら、すごく参考になります。今なら3秒で「検索」するのに、昔はどうして気づかなかったんだろう。
いろんなうそを使い分けて暮らしていくのが人間かな。若い頃は凝り固まっていたけど、ようやくほぐれてきた。
そして今朝の息子。
日曜日には釣りに行きたい!行きたいからがんばるよ。先生から3回怒られると遊ぶ時間なくなるから、2回までにしておくの。
出来れば1回までにしてください。
希望は0回です。