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『透明を満たす』


透明から何を連想されるだろうか。

「湧き水の透明感」
「透明なせせらぎの底に見える丸い小石」
「透明感のある笑顔」
「透明感のある氷」

多くの人々は、透明という語彙からポジティブに連想するだろう。が、筆者の渡邉渚さんの「透明」はポジティブとは真逆の、私という自我が殺された状態である。つまり、透明な皮一枚で支えているのである。渚さんは、その透明な皮一枚を「透明人間」と呼んでいる。

透明状態は、常軌を逸した恐怖体験、生命を脅かされるような体験が引き金になって起きる。

ここからは、私の推理を混じえて述べることにする。

その時悪魔と呼ばれる男は、その女性を金縛りにし、声も出ない状態にするため首を絞める。首を絞められ女性は助けを求めようとするが、まったく声が出ない。男は、「みんなオレのことが好きなんだぜ。オレが好きと言え。」と怒鳴る。が、まったく声が出ない。全身の皮膚という皮膚が凍りつき、冷たい氷に包まれている感覚のままに、真っ逆さまに真っ黒な井戸に落ちていく。心が肉体から切り離され、離れた心が宙ぶらりんになっていく。


PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状に、空虚感、現実感喪失というものがある。自分が自分でないような感覚である。その感覚を渚さんは透明と呼び、「私は透明人間になってしまった。」と書いている。

筆者の言う「透明人間」は、PTSD症状の自我喪失、現実感喪失状態を指しているのかもしれない、

その透明状態を何とかして形あるものにしたい。喪失したものを満たしたい。そんな筆者の願いが込められた題名であろう。

PTSDの治療には、認知行動療法、薬物療法、脱感作再処理法などがある。渚さんが、この度、『透明を満たす』を著されたのは治療の一環である。現実感喪失から現実を取り戻す闘いをされている。それは。勇気なくしては出来ない闘いと言える。

その勇気に敬意を表したい。

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フンボルト
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