共同体感覚って
アドラー心理学の鍵概念に「共同体感覚」があります。この意味が解るようで解らなかったのですが、このごろ少し解るようになりました。
ある日、YouTubeを視聴していました。ユーチュバーであるガーデナーさんが、こんなことを呟きました。
「道を歩く人が、見て楽しめるよう、道向きに咲くよう球根や宿根草を植え付けています。」
これが共同体感覚です。つまり、社会に自分は繋がっていて役に立っているという感覚です。
子どもは、この感覚をどのように培っていくのでしょうか。
ここで、私の体験を振り返ってみます。
私の両親は共働きでした。父は、どんなに遅くとも朝7時には働きに出ていました。母は5時半には起きて、父の弁当の用意をしていました。父を見送ると、母は商売の準備をします。私は家族の一員として役に立ちたいと、自然に思うようになりました。
小学校上がった頃だったと思います。私は、風呂の焚き付け用の薪割りを出来る範囲で始めました。小学校4年生の時には、米を研ぎ、ご飯を炊いて、父母の帰りを待ちました。父も母も、「お前が炊いたご飯が一番美味しい」とおだててくれましたので、さらに美味しいご飯を炊こうと、工夫したものです。役に立っているという感覚は心地いいものでした。今でも、私がご飯炊きが好きなのは子ども時代の体験があるからかもしれません。
「勉強も大事だけれど、風呂掃除をさせてみては」
と、あるお母さんに提案したことがあります。というのは、最初の共同体は家族(家庭)だからです。
中学生の夢に、「勉強して、お金持ちになる」というのがあります。確かにお金持ちになることは、幸せになるための一要素かもしれません。が、どんなにお金があっても、社会に役に立っているという感覚が身についていなければ、幸せから遠ざかっているのではないでしょうか。
明日は、ガーデニングのための苗を買いに行こうと思っています。通り道に向けて植えることを思い描きながら。