「不登校でよかった」と思った日
「え? 日下って全く陰キャじゃなくない?」
ある日、会社の先輩に そう言われた。
ああ、今ではそう見えるようになったのか。
むずむずした感覚を覚えながら「いや、陰キャが必死に頑張ってるだけです」と返す。
最近できた友人にも「コミュ力高いよね」なんて言われることが増えた。
けれど、自分は少なくとも大学生までは陰キャだった。
それはもう、ものすごい陰キャだった。あとすごいダサかった。
それが何故今こうなったのか。振り返ってみる。
自分は小学校一年生の6月25日に不登校になった。
それから中学卒業までの9年間、学校に行かなかった。一時的な不登校はあれど、義務教育9年を丸ごとカットした奴はあまりいないと思う。
理由は長くなるのでまた別の機会に。
ともかく自分は、人間が集団生活に適応し社会性を育む時期に、ずっと家にいた。
小学校の後半はフリースクールに通い、不登校の仲間たちと楽しく過ごしたりもしたが、何にせよ、他者と接した時間が日本人平均に比べて圧倒的に少ない。
中学は更に家にいる時間が増え、ほぼ1日中インターネットか小説の世界にいた。
出席日数は足りないどころかほぼゼロ。けれど時期がきたら自動で卒業できてしまった。
「さすがにこのままじゃやばい。高校は行かないと社会的に死ぬ」と思い、高校から強引に社会復帰することに。内申点は無に等しいので、元不登校児、不良など、間口を広く受け入れてくれる高校にいくことになった。
ただ、入ったはいいが当然人間との距離感がわからない。話しかけ方もわからないし、話しかけられてもキョドる。登校から下校まで、常に緊張していた。
「休むとまた学校に行けなくなる」という強迫観念に駆られ毎日必死に登校。それが当時の担任I
先生の目には真面目な生徒と映ったようで、ある日生徒会に誘ってもらう。
誘われた直後は「学校に来るだけでもしんどいのに、そこから更に新しいことをやるなんて…!」と断ろうとした気がするが、結局先生に押し切られたようだ。ともかく自分は生徒会に加入した。
そこで学校生活でほぼ初めて友達ができた。人生で初めてカラオケに行った。人前で歌うのが怖くて声が震えた。
先輩、後輩という概念に触れたのもこの時が初めてだった。後輩ができても「先輩」の作法がわからないから、話すときは基本キョドっていた。
今思えば、新しい場所に連れて行ってくれたI先生には、今では感謝しかない。
元不登校児や、いわゆる不良が多い高校で、半数以上が「高卒で働く」ことを選んだ。
しかし自分はまだ高校の3年間しか社会で暮らしていない。
今社会の荒波に放り出されたら150%死んでしまう。
そんなわけで大学進学を希望。当時、自分の成績は学年3位。周囲から天才かのような扱いをされていた。けれど全国模試では偏差値35……。勿論大学は全部落ちた。
現役ではどこにも受からず、一浪させていただいた。予備校の授業のわかりやすさに感動し、学力が大躍進。関東の大学に受かり、地元北海道を離れることになった。
華々しいキャンパスライフに内心憧れていた。こっそり大学デビューを目論んでいた。
が、大前提が「社会コワイ人間コワイ」だったので、やっぱり陰キャだった。あとファッションが凄くダサかった。
コミュニティの中での振舞い方がよくわからないので、サークルは馴染めないし、アルバイトもメンバーが固定されない派遣のイベントスタッフをあえて選ぶ。
人との関わりから逃げる言い訳として「学生の本分は勉強」という言葉を掲げ、勉学に励んだ。幸いなことに研究室では気の合う仲間に恵まれ、失われた青春をここで少し取り戻した。このあたりでようやく人間社会というものに慣れてきた。
恐れていた就活は思いのほか順調に進み、希望の会社から内定をもらった。
卒論も書き終え、社会人になる日が近づいてきた。人間関係がリセットされる、新しい自分で世に出るチャンスだ。レッツ社会人デビュー!
自分は陽キャだと言い聞かせながら積極的に周囲に話しかけ、飲み会に参加した。裏でこっそりファッションの勉強をした。今当時の写真を見たらやっぱりクソダサかったが。
高校生の頃からずっと「まともな人間」になろうと必死だった。
自分にとっては「不登校=変な奴」で、「変な奴=悪」だった。
だから「不登校だったこと」はバレるわけにはいかなかった。
違和感を感じさせないように、慎重に言葉を選んでいた。
義務教育あるあるなんかには、必死で話を合わせてへらへら笑っていた。
社会人になって、毎日息苦しさを感じながら「ああ、やっとまともな人間になれた」と思っていた。
しかし、そんな涙ぐましい努力が崩壊する事件が起きる。
参加したセミナーで、悩みをシェアする時間があった。初対面の人に対して勇気を出して「不登校だったことがばれると、自分が変な奴だと思われそうで怖い」と打ち明けた。
すると、間髪入れず「いや、今でも十分変やで。なんか話すタイミングとか微妙にずれてるし」と言われた。
「え!?!?!?」
とてつもない衝撃だった。築き上げてきたはずの世界は、まやかしだったのだ。必死で防護壁を固めていたはずが、がら空きだった。とっくに見透かされていた。裸の王様もいいところだ。
なんだ。隠せてなかったのか。
ショックだったけど、それと同時にもう強がる必要はないんだと気づいた。
不登校の過去を少しずつ周囲に話すようになった。
勇気を出して言ってしまえば、なんてことはなかった。
ある日、ついに自分が不登校だったことをSNSで発信した。しかも顔出し実名で。昔の自分からすれば、世界に公開なんてありえない。
投稿ボタンを押した瞬間、肩の力が抜けた。これでもう、守るものは何もない。
あぁ、ようやく認めることができた。自分は陰キャだ。
一人でいる時間が好きだし、特に小説を読んでその世界に浸る時間がすごく好き。
だからといって、友達がいらない、なんて言わない。
むしろ基本的には皆と仲良くなりたいし、青春とか友情というものに飢えている。だって人間だもの。社会的動物だもの。学生時代にそういったものが欠落しているのだもの。
人見知り? 人との距離感の詰め方がわからない?
しょうがない。義務教育を丸ごとカットしている自分に すんなりできるはずがない!
過去を受け入れたから、ありのままの自分で生きられるようになった。
1年がたち、妻からは「キョドらなくなったね」と言われるようになった。
義務教育あるあるの話題になったら、「それ俺習ってない!」で一笑い いただけるようになった。
今は「義務教育行っていないのに、今普通に働いてる俺凄くない?」とさえ思っている。
気が付けば「不登校の過去」が自分の武器になっていた。
きっと、今この瞬間も、必死に何かを隠して生きている人がたくさんいる。
悪いことでも何でもないのに、「バレたら、世界が終ってしまう」と思いながら生きている人がたくさんいる。
そんな人に良いニュースと悪いニュースがある。
悪いニュース。あなたが隠したい秘密や、見せたくない自分は、たぶん周りの人に既にバレている。残念ながらにじみ出ている。
そして、いいニュース。あなたが必死に隠しているものは、実はあなたの武器だ。
いつか、少しだけ勇気が出たら、思い切ってその秘密の箱を開けてみてほしい。
大丈夫。少し時間はかかるかもしれないけど、「これでよかった」と思える日が来る。
僕に「不登校で良かった」と思える日が来たように。
P.S.
ちなみに、僕が大学に合格した時、母は「息子がダサすぎて、大学に入ってから浮かないかしら……」と心配していたらしい。おしゃれな弟に比べて、すさまじくダサかった自分。さぞ不安だっただろう。
しかし、その後大学に見学にきたとき、自分の同期となる人たちを見てこう思ったらしい。
「ああ、皆ダサいからこれなら大丈夫だわ」 普通に失礼だと思う。