2024/9/11 期待しちゃうよねえ
砂漠で遭難した人みたいな話です。
↑これの続き
9/1から9/6 昼はひねもす夜は夜もすがら
じわじわと、真綿で首絞められているような1週間だった。
8/31の夜呼び出され「ここまでよく頑張ったと思います」と言われたところから、なんとか耐え凌いでいる。
血中CO2濃度の値は大きく下がることはなく、140%と110%の間くらいで持ち堪えている。
普通なら死んでしまうような状態を、病院でも経験のない薬と治療で、なんとか中和して持ち堪えている。
面会のたびに、血中の炎症反応が上がっていく。
値は20と少し。この値が大きいとか小さいとかは知る由もないが、明確にわかるのは「今までで一番高い」こと。
面会のたびに、呼吸器の圧力が1ずつ上がっていく。
初回のエクモ装着時は圧力が33や34(cmH20)のレンジで「呼吸器ではもう限界」だったからエクモ装着に踏み切った記憶だが、今や40を超えている。
もういちいち話題にもしないけど、圧力が高ければその分気胸や、縦隔気種、要するに肺が破れたり、空気が漏れたりするリスクは高くなる。この状況でそれが起きれば、多分死ぬ。
面会のたびに、吸入酸素濃度が増えていく。
前は40%くらいだった気がするけど、呼び出し時はついに100%。その後80%までは下がったが、そこから下げられない。窒素やアルゴンを取り入れないことで、人体にどんな悪影響があるんだろうな。
あとは、「なんかまつ毛短くね?」と思ったら強いむくみが出ていた。小顔自慢の我が子が丸々とした顔をしている。炎症値が高いと水分が溜まりやすくてうんたらかんたらと説明を受けたが、要するに「状態が悪い」と言われた。
今までで一番高いCO2濃度に、今までで一番高い炎症値。それから今までで一番高い呼吸圧力と吸入酸素濃度。 起きた瞬間から夜なんとか気絶する間際まで、スマホの着信に怯える日々。
なんとか社会の一員のふりをしてはいたけれど、自分が息をするので精一杯だったような気がする。
9/6 18:00
この週、友人のお母さんが、亡くなられた。
我が子の入院と比較的近しい時期に同じく入院され、我が子の症状が重篤になったタイミングと近しい時期に、同じく厳しい状態になっていた。
空元気で、逆にこのふざけた状態を笑い飛ばしたいから「まさにデッドヒートやねえ」なんて、当事者にしか言えないブラックジョークで笑っていた。
入院前は、言われなければ闘病中とわからないほど元気に、気丈に振る舞われる立派な方だった。我が子もよく遊んでもらっていた。我が子もその方のことが大好きだったし、その方も多分、我が子のことが大好きだったと思う。
状況が状況だったが、病院からの電話が鳴らないことを信じて9/6に通夜だけお邪魔することにした。
身近な人の死に触れたことが、自分にはほとんどない。
というか覚えていない。
母方のおばあちゃん、おじいちゃん、ひいばあちゃんが亡くなった時はまだはっきり物心がついていなかった。
父方の祖父が亡くなった時は大学院の修士論文が佳境で、場所も遠く母から「帰らなくていいよ」と言われたので帰らなかった。
今思えば1日葬儀に参加したことで詰む論文など無いし、担当教官などに相談すればどうにでもなったはずだし、飛んだご先祖様不幸のクソ学生だったと思う。
「死」に纏わることで記憶にあるのは祖父母の家で一人で待っていたら、泣きながらたくさんの人が皆で棺を抱えて帰ってきて「おばあちゃん死んじゃったの?」と聞いたら「ごめんね、死んじゃったの」と帰ってきた光景だけ。
あとは白い薄皮に包まれたこし餡のお饅頭、つまり葬式饅頭があまりにも大量にあって、腐ってしまうから冷凍庫に入れて凍らせたものを前歯で薄く削りとって弟と食べる速度を競争した記憶くらい。粒餡だったかもしれない。
饅頭の記憶は確かだと思うが、皆で棺を抱えて家に帰ってくることが、現実にあるのだろうか?それくらい、曖昧な記憶。
その後日を浅くしておじいちゃん、ひいおばあちゃんも亡くなったのだが、本当に何も覚えていない。葬式なんて、本当にやったのだろうか?
子どもにはショックが大きいからと、誰かに預けられて待っていたのだろうか?
幸か不幸か、おじいちゃんとおばあちゃんとの思いでは、いつも遊びに連れてってくれて、学校に行ってない自分に算数や漢字のドリルを作ってくれて教えてくれる、そんな幸せな記憶だけで終わっている。
横道に逸れたが、要するに今回の通夜が、実質初めての経験だった。
立派な葬儀だった、と思う。比較対象がないから断定はできないが。
友人も、そのお父さんも笑顔で参列者を迎え入れ、暗い雰囲気で進むのだろうと思っていた式は、明るさすら感じられた。
もちろん胸中はわからないが、痛々しい明るさでもなく、自然に皆がどこか笑顔になるような葬儀だったし、それを目指していたように思う。
(また、もう少し前の入院期間中、どう考えても我々と同様に大変なのに、お父さんや友人である娘さんが激励に来てくださったりもした。。。)
開式の直前に後方が騒がしかったから振り返ったら斎場の人が忙しなく追加で椅子を並べていた。当初の想定よりも多くの方が来ているようだ。これは、式に参加した皆が嬉しいだろうな。
最後の喪主挨拶も立派だった。
通常はお父さんが喪主を務めるのだろうが、直々のご指名で娘である友人が喪主を務めていた。
形式的な挨拶を終えて原稿を畳み「ここからはアドリブ」と語り出した、お母さんや周囲への感謝とこれからの決意。拍手をしてもいいのか? と周りを見たが、やはり通夜の場では普通しないのか、皆戸惑っていたようにみえた。同じような気持ちだったのだと思う(帰りに共通の知人の方に送っていただいた際にも車内で「拍手しようかと思ったわぁ」なんて声が挙がっていた)。
一方で、自分はずっと半泣きだった。
なんでって、単純にお世話になった方が亡くなったという事実は悲しいし、確かに棺の中で見せる表情は確かに眠っているように綺麗だけど、それがこの後再び動くことはないという現実を突きつけられているのが辛かった。笑って送り出すのが本人と親族の願いだろうとは思ったりもするが、やっぱり辛かった。
だから、読経や、焼香時に「どうか健やかでありますように」とひたすら願い続けた。
死後の世界がどうなっているかは死んでみないとわからない派なので、逆にあらゆる可能性が否定できない。
もし何かしら意識のある状態だとしたら、せめて苦しい状態からは解放されていてほしい。
あとは、やっぱりどうしても、我が子だったら? を想像してしまう。
自分が、もし我が子の葬儀をすることになったとしたら、何か話そうとしても全部が嗚咽になるから、一音も発せないような気がする。
というか、それをしたら何かが終わってしまう気がするから、我が子のことを心配してくれている人たちに、お知らせをすること自体ができない気がする。
覚悟もできていないし、できそうもない。
もし「そう」なったら、一生引きずりながら、生きていくのだろう。
むしろ、忘れるくらいなら、引きずっていきたいな。
9/7 から 9/8
土曜日と、日曜日。
ホテルに滞在して、面会時間を待つ。
土日は主治医の先生が常駐しておらず面会時に会えないので、基本的に午前中に定例で連絡をいただいている。
定例連絡があるとわかっていれば、電話が鳴ってもそこまで怖くない。
予定通り連絡があり、二日続けて「やや炎症値が下がっている、酸素も少しずつ下げられている」との連絡をもらっていた。
面会時は我が子の見た目を見てなんとなく判断するしかないのだが(その判断自体何の根拠もないが)、確かに、ここ数日より良い顔をしているような気がした。少なくともむくみはずいぶん取れて、まつ毛が長く見える。
「流れ」が来ているのだろうか?
9/9 8:12
病院から着信。電話をとる前に体は出発の準備を始め、先生が話し始める前に口は「すぐに行ったほうがいいですか!?」と発している。
「大丈夫です。この土日でCO2濃度を含めた各種値がわずがに下がってきています。ここがチャンスなので、若干リスクは伴いますが、感染等防止のために1ヶ月以上つけっぱなしになっている人工呼吸器の回路を交換したいです」
若干のリスクはもうリスクではないので、当然お願いする。
それより「各種値が下がっている」?
通常通りの時間に面会に向かうと、確かに値が下がっている。
吸入酸素濃度の値は65%、呼吸器圧もわずかに下がっている。
面会希望を伝えるのが遅れ、先生には会えなかったから、CO2濃度はわからなかった。
次の日。
また、値が下がっている。吸入酸素濃度が60%で、圧力もまた下がっている。
面会時間の中ほどで先生が来てくれる。
「ここ数日頑張ってくれていて、最大20あった炎症値が6、血中CO2が60%近くまで下がっています」
60% !?!?!?
そんなことを聞いたら、また期待してしまう。
「期待は悪だ」と以前書いた気がするし、今でもそう思っている。
とりわけ、今みたいに自分の努力でどうこうできないものについては尚更悪だと思う。
期待すればするほど「期待通りになるだろうか」と不安になるし、ダメだった時に落胆も大きい。勝手に自分でハードルを上げて、越えられないからガッカリする。そもそも期待してなければ存在しないダメージだ。負のエネルギーを、勝手に作り出している。
何にも期待せず、何が起きてもニュートラルに、淡々と状況を見守る。
これが、我が子が重篤な状態に陥っている時の有用Tipsだと思う。
でも、やっぱり、期待しちゃうよね。
親だもの。
9/11 いつもの面会時間
そして、今日。
炎症値は昨日の6から5に下がった。
CO2濃度は60-70%に維持しながら呼吸器圧もまた少し、下げられた。
先生の表情も昨日より明るい。
また、昨日より少し良くなった。
今気にしている値を整理するとこんな感じ。
もちろん、絶対値で考えれば重篤な状況だし、何ならエクモを外した直後と同じような状況とも言える。
けど、相対的には回復している。非常に悪い状態の中での変化だけど、この数日だけの出来事だけど、少しずつ、回復している。
この1週間と少しは、「砂漠で遭難した人」みたいな感じ。
未開の砂漠に迷い込んで、ついに水が尽きて、もう少しだけ歩いてみたら遠くにオアシスの煌めきみたいなものが見えてきて、幻かもしれないから落ち着いて、信じないようにしようとするけど、結局目はずっと釘付け、みたいな感じ。
でも、その幻に目を向けるのをやめてしまったら、あっさりと消えてしまうかもしれないから、やっぱり見つめておくのがいいのかもしれない。
この数日を振り返ると、事実として、通夜に参加した直後から、回復傾向に入っている。なんとなく、何か良い存在が、近くにいるのかもしれない。わかんないけど。
今日も、期待と期待しないの合間で息を潜めて、我が子に精一杯の「大丈夫」を伝えにいく。
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