感想文ではないかも、な読後。
長い失業中(笑)
テレビ、見れてます。
本、読めてます。
映画、見れてます。
何より今回の無職は、子どもがいない。
すごい。
つまり、時間の制約がない。
…すごい。
これはすごい。
そもそも。
「朝」や「明日」や「今週」や
「帰宅時間」や「在宅時間」は
すべて、ワタシ以外の誰かとの、調整概念。
常勤の任務
と
子どもの日常生活。
これが、タイムスケジュールの、スタートやゴールに著しく作用する。
なにもない
ただのワタシ個人はあくまで、
「やりたい意思」と
「約束」
そんぐらいでしか出来ていなく。
おーーー✨すごい。
何十年ぶりの、昼夜気にならない行動、思考,優先順位のほとんどないタイムスケジュール(笑)
ダンナが仕事に行き、帰る。
この2点以外、
やるべきコトを、いつやっても、いい!
責任の本質だけが手元にあるだけ。
きゃーーー。
「ちゃんと」とか
「普通」とか
「当たり前」から
久しぶりに手放しの解放感。
とはいえ。
今はもうすぐ9月。
失業からはなかなか経ち(笑)訓練校終了が年明けあたり?
4月には一応、子どもは独立した訳で。
染みついた習慣からくる感覚は、
もともとの性質を思い出すまでに、
こんなに月日を費やすのかー。
そういう意味では、
ルーティンも、教育も、
あなどりがたし。
たとえ
違うと感じて、
違うと考え続けていてすら、
どちらをなにを無意識に「当たり前」と思うのか。
こんな自分の今の手もとから、
そこを考え馳せても、
「そりゃあ、たいへんでしかない、ほんまに。」
と長く大きいため息をつく読後です。
それでも必ず、
前?上?もしくはそちらをみた横ばい?
それを書く意味から決してそらさない著者に
救われるし、リスペクトするばかり。
「自分の思う通り」が
どれだけ自分の手の中にあるのか。
強いて言うなら、
そこだけは守らねばと、ずっと生きているのかもしれない。
思いがなんでも叶う、なんてのでは全くない。
自分が思い描いたように進み、
へこたれたり逃げたり止まったりを
自分で決めれる自分、
そういうこと。
誰かについていくことや、
誰かの決めたことに従うこと、
それを、自分で決めれるように。
さぁ。
次、どうします?>自分
読んだ本 :『はーばーらいと』
吉本ばなな
晶文社