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新年にやってたこと

 猿川です。しつこいですが、告知です。
 2025/1/19(日)、京都に遣唐使上陸します。
 主に、10巻、遣唐使特集号を持っていきます。(9号、1号の再販あります)
 ブース番号はあ-54。入場無料。
 場所は、京都市勧業館「みやこめっせ」1F 第二展示場です。
 イベント詳細→ https://bunfree.net/event/kyoto09/
 ブース紹介⇒ https://c.bunfree.net/e/daY

 新年は、年末にかかったインフルエンザの回復をしていました。インフルによって受けたダメージをひたすら癒やしていました。異様に眠気があるのと、全体的に疲れていました。忘年会も行けず、忘年会の代わりに新年会をすることにしました。
 なんかノートに使えそうな写真あるかなあと思って、過去の写真データを見ていたわけですが、前の職場の暗い写真ばかりが出てきて、辞めた後の写真の充実さと比べて、ほとんどランチの写真、しかも同じランチ、同じカレー、同じラーメン。見るだけで憂鬱になってきたので、閉じました。

フィルム写真。場所は近江。瀬田の唐橋。
瀬田の唐橋。気づく人は気づくけど、人が写ってません。写ってないタイミングで撮ってます。
ボートと漁船が混じり合う空間です。瀬田の唐橋。

 この瀬田の唐橋の写真は、壬申の乱特集のときの取材写真(2023年)です。瑞祥くんには黙っていたのですが、この取材をしたとき、手術直後で、身体に冷えピタを貼りながら、死にそうになりながら取材していました。

 手術の経緯は、上にあるカクヨムのリンク先に書いてあるのだが、それにしてもよく行ったなと思う。しかも雨降ってた気がする。取材時、雨が降ってない方が珍しい。
 近江神宮と三井寺もまわったが、昼ご飯を食べる暇もなく、とにかくハードだった。仕事ってたぶんこの取材した年に辞めているので、もっとも仕事がしんどかったときだろうな。
 まえの谷九の職場で、一番食べたお昼ご飯は、上本町 麺乃家のラーメンだ。たぶん、15年間食い続けたと思う。店主がまだ若い頃から、ちょっとおじいちゃんになるくらいまで食べてた。いまも元気だろうか。味の変遷まで分かる。なくなったメニューまで知ってる。そんな場所だ。

 たぶん、100万円以上はここで食べていると思う。むかし、この店のラーメンに、鰯を使ったラーメンがあって、それがいまだにベストと思えるほどとんでもなく美味かった。つけ麺(濃い味)というタイトルだったように思う。この鰯はあるとき仕入れできなくなってメニューから消えてしまった。いまでも、脳が味を覚えている。
 もちろん、ここを超えるラーメン屋は、谷九のジャンクストーリーだった。ジャンクストーリーは麺乃家とはまた違う「別格」だった。とくに、チャーシューにおいては、ジャンクストーリーは最強だと思う。あと、唐揚げのでかさ。
 ジャンクストーリーの店主は、駐車場の違法駐車を取るおじさんのことが大嫌いで、店を飛び出して、しばくぞおらあああ!と、ラーメン屋外をうろつく駐車切符切りのおじさんに、親の敵のようにぶち切れていた。

 後にも先にも、夢中になってスープを飲み干したのはこの店だけかもしれない。まさに天才のなせるワザによって作られたラーメンだったように思う。

 そういえば、芦原瑞祥氏と取材していて、昼飯を食べた記憶がない。昼ご飯の代わりにアイスクリーム食べていた気がする。いつも取材のとき、昼飯はどうしてたんだろう。
 この頃は、昼からビールを飲んでいた気がする。アル中だ。いまはそんなことは全然なくなった。辞めた後も、透明なトイレに籠もる夢をみたりして、凄かった。心の傷っていうのか。だいたい一年は回復にかかるな。
 それにしても昼飯を食べた記憶なし。

柱がたくさんあって、立体的な作りで良かった近江神宮
そういえば天智天皇陵も行っていた。ハードな一日だった。

 近江神宮の裏山を越えると、わりとすぐに京都は銀閣寺なのだ。もちろん近江朝時代にそういうルートは確立されているだろうし、近江朝を考えた天智は、京都の開拓をどこまで考えていたのだろう。(京都にどんな都市をつくろうとか考えていたのだろうか)
 というわけで、今日のノートはこれでおしまい。

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