救ってくれた「おかえりなさい」
死んだような3年間。
私の高校生活を言葉にするとそんな感じだった。
これ以上傷つかないよう全ての感情を鈍くして学校に向かう。
目立たないように、おかしいと思われないように、、
思春期真っ盛りの肉食動物の中に投げ込まれた子ヤギのように、怯えていた。いつも心の中で怯えていた。
見た目は男子、でも中身はだいぶ女子寄りな自分。
みんなとは違うことがバレないよう1日をどう切り抜けるかで精一杯。
まるで宇宙人がそれとバレないように人間に溶け込もうとしているような状態。
全く面白いと思わない下世話な男子の会話についていく昼休み。常にターゲットを見つけては繰り返されるいじめ。つまらないマウンティング合戦。
なんとか巻き込まれないように、目をつけられないように。。
先生にも親にも誰にも助けを求められない。
生きていくために私が編み出した術は感情を鈍くし、死んだように時が過ぎるのを待つこと。早く時間が過ぎてくれ!と願うだけの果てしない3年間。不登校スレスレ。今思い出しても地獄の日々だった。
そんな生活を耐え凌いでいた私であるが、それからの人生で何度も思い返すような「救われた出来事」が1つだけあった。
それはマラソン大会での出来事。
その高校では毎年6kmのマラソン大会が開かれていた。距離は短いのだが、そのコースはまあまあ急なの登山道を麓から頂上まで往復するというもの。「嫌でも休んだものなら後で何を言われるかわからない。」
そんな思いから多くの生徒が嫌々ながらも参加するしかないという行事であった。
私も本当に嫌だったが、否応なく参加。遅いグループにはならないようにと走り出した。なんとか途中で歩くことなく見えてきたゴール。汗まみれで身も心もズタボロになって、通過したゴールで、、
「〇〇君、おかえりなさい」
耳を疑った。しかも名前も呼んでくれた?
誰にも何の興味を持たれていない。自分は空気と同じだと思っていた。
そんな自分にクラスの女子が掛けてくれた言葉。
涙が出そうだった。
あの時自分が「ありがとう」と返せたのかどうか?多分返せなかったと思うのだが、あれから30年以上が経った今でも本当に感謝している。
もしも、彼女に会うことができるなら伝えたい。
「あなたのおかげで暗闇の中に光を見ることができました。」
「心からありがとうございます!」
自分も彼女のような愛ある人になりたいと思ってきた。
少しは近づけただろうか?