私が日本という社会から無意識に感じる価値観 1人の社員より会社のために 1人の生徒より学校のために 1人の国民より国家のために 私は暮らしたい。人が人として大切にされる社会に。 会社は一人一人の社員が幸せになるためにある。 学校は一人一人の生徒が幸せになるためにある。 国家は一人一人の国民が幸せになるためにある。 建前ではなく、日本に暮らす多くの人の無意識の価値観が 「人が人として大切にされる、それが一番大切だよね」 と心に宿るような社会。そんな社会を目指したい。
私はセクシャルマイノリティ。 体は男性、心は女性寄りという性自認です。 これまでの人生で無数の辛い体験をしてきたと思うけど、そんな中でもひねくれることなく生き延びてきた自分のことは誇りに思っています。 そんな私は、キラキラした人々にあまり関心はなく、自分と同じような辛い思いをしている方々に意識が向きます。幸いにも今の仕事では微力ながらそのような方々へのサポートに時間を費やすことができる環境。ありがたいです。 自分の辛い体験を通して生まれたアイデアでサポート事業を立ち上げ
死んだような3年間。 私の高校生活を言葉にするとそんな感じだった。 これ以上傷つかないよう全ての感情を鈍くして学校に向かう。 目立たないように、おかしいと思われないように、、 思春期真っ盛りの肉食動物の中に投げ込まれた子ヤギのように、怯えていた。いつも心の中で怯えていた。 見た目は男子、でも中身はだいぶ女子寄りな自分。 みんなとは違うことがバレないよう1日をどう切り抜けるかで精一杯。 まるで宇宙人がそれとバレないように人間に溶け込もうとしているような状態。 全く面白いと
noteのアカウントを作った後、なかなか最初の記事を書けずにたけれど、昨日ある方とのお話しする中で大きく心が動いた瞬間があり、書き留めておこうと思います。 私は仕事を通して子どもの育ちに関する活動を行っているのだけれど、昨日お話しした方(Aさん)も同じような活動を精力的に行っておられるという情報を見つけ、一度どのように活動をされているのか?直接お話を伺いたいと思い、それが昨日に実現した。 最初は和やかな雰囲気で話が進み、ひと段落したところで 「じゃあこれでイイですか?必要